勇者達の翌朝(新書・回想)

□林檎の木の下で
2ページ/11ページ

新書「林檎の木の下で」(エスカー)1の1

僕は、ずっと手紙を待っていた。庭で一番高い場所にある、林檎の木の下で。砂煙一つ舞わない、静かな道を見つめながら。

   ※ ※ ※ ※ 

広大な林檎園、いや、林檎の大森林。間を縫って、荷車はゆっくりと歩んだ。夏が終わり、収穫の喧騒が、人も林檎も揺らしていた。
「大丈夫ですか、若旦那。いや、まったく、バカ息子の気が利きませんで。」
馭者はマキシオという、林檎酒製造部門の、班長の一人だ。彼の息子が、業者の見舞いの送迎に馬車を全部出してしまったため、僕は駅から、荷馬車に乗ることになった。
「かまわないよ。この時期は荷馬車だって、余裕がないし。それに、馬車は取引先に使ってもらうべきでしょう。」
僕は返事をし、のんびりした道中から、僕の姿を見て、驚いたり挨拶をしたりする労働者に、手を降っていた。
今度、転送装置を設置しようか。そう考えた時、荷馬車がカーブし、あの木、丘の上にある大木の一本木が見えた。
初代男爵夫人のお手植えの木から派生した一本で、収穫目的ではない、記念樹だった。彼女が、戦争で帰らぬ夫を待つ小間使いに同情し、願いを込めて植えた、とされている。最初の実をつけた年に、夫が帰ってきた、と言われている。
「もう少しですね。」
マキシオが言った。
急ぎたくなかったのに、間に合ってしまいそうだ。

   ※ ※ ※ ※ 

この道を始めて来たのは、まだ三才の時だった。上等な服を来て、今のマキシオの父親、製造部門長のベンボリオと、祖母の秘書のガルシアに連れられ、ヴェンロイドの屋敷に着いた。幼い僕の印象には、知らない大人に囲まれ、張り詰めた時間だった。何年たった今でも、はっきり覚えている。

あの時、父のリヒャルスは広間にいた。一応は、
「エスカー、よく来た。」
と言っていた。
部屋には、大勢の人がいた。父と同じく、浅黒い肌に、赤い髪をした男性が、父を除いて二人。小柄で縮れ毛の極端な男性と、ひょろっとした、長身の男性。伯父の、ミへイルとルドレフだ。
小柄なミヘイルの横には、茶色の髪の、より小柄で、痩せた女性がいた。青白い顔をしていた。ピンクの産着の赤ん坊を抱いていた。小柄なせいか、なんだかすごく重い人形を、大事そうに抱えているように見える。義理の伯母のランシーヌと、従姉妹のメサリーナだ。
ひょろっとした方、ルドレフ伯父には、黒髪の大柄な女性が寄り添っていた。やたら派手な、舞台衣裳みたいな服を着ている。二人の間に、濃い青い服の、赤毛の男の子がいて、びっくりしたように目を見開き、僕を見ていた。ルドレフ伯父の妻エンデミアと、二つ上の、従兄弟のグストーンスだ。当時はまだ、正式に結婚しては居なかった。
そして、彼等の中心に、黒いドレスに、明るい髪の女性が二人いた。
若い方は、色白で金髪、黒のレースのベールを被っていた。柔らかな表情で、僕を見つめていた。もう一人は、白髪と赤毛が混じった結果の、明るい髪をした、老夫人だ。厳つい、ギョロリとした目は、父と同じアンバーだ。表情もなく、睨み付けてきた。
僕は、睨まれながらも、教えられた、礼儀正しい挨拶をした。挨拶すれば、鬼から逃げられる、そう思っていた。
「賢そうな子じゃないか。よほど『畑』が良かったんだろうね、リッヒャ。」
鬼は静かだが、冷たい声で、父に向かって言った。父は、何か言いかけたが、傍らで、ベールの女性が、泣き出したので、そちらに向かっていき、ハンカチを出した。女性は、涙を拭くために、少しベールを上げた。
「お前が泣くことはないでしょう。ミュリ。」
祖母が口を開いた。「ミュリ」は、涙の目で僕を見つめ(距離はあったのだが、明るいくっきりとした色合いの、緑色の目をしているのがわかった。)、
「すいません、御義母様、アヒィルの面影があって。」
と喉を詰まらせた。
「確かに、リヒャルスは兄弟のなかじゃ、顔だけは一番、アプフェイルズに似てるからね。」
と、鬼の老女が言った。「頭の中身も、似ててくれたら良かったのに。」と付け加えて。
若い女性は、四人兄弟の長男で、先日、急な心臓発作で亡くなった、ヴェンロイド男爵の夫人ミュリセントだった。夫妻には、子供が居なかった。
それが、「原因」だった。
「それじゃ、リッヒャ、いや、この子に?」
と、ルドレフが、不満げに言った。
「アプフェイルズの遺言では、そうなるね。」
祖母が睨み、ルドレフが怯んだので、ミヘイルが
「それなら、メッサやグスティにも、一応は、『権利』はあるんじゃ。」
と言った。だが、祖母は、
「今さら、何か文句があるのかね。だいたい、お前たちが不甲斐ないからこその、遺言でしょうが。」
とにらみ返した。伯父達は、半分くらい、縮まったように見えた。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ