綴
□霞の先の彼
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「もう、春なのですね…」
暖かい陽気を肌に感じて、陸遜は柔らかな表情で微笑む。
今が盛りとばかりに咲き乱れる梅の木の下に立ち小さな花を仰ぎ見、ふと銀髪の青年の面影を思い出した。
数ヶ月前、遠呂智の作り出した世界。
陸遜は孫堅の命を受け、遠呂智軍に苦戦する劉備に加勢した。後に各軍勢と協力しあって進撃し再び復活した遠呂智を見事に討ち破った。
だが、共に戦渦を駆け抜けた銀髪の青年…太公望はそれからすぐに姿を消してしまった。
――彼は仙人だ。
元々遠呂智を連れ戻すのが目的だったのだから、役目を終えた彼が此方に長居する理由はないし、寧ろ仙界に帰るのは当たり前の事。
別れは一瞬だった。
だがそれが逆に太公望らしいとも思えたのだ。後腐れ無きようにと、彼なりの配慮なのかもしれないと。
「でも貴方は、気付いているのでしょう」
…達成感と同じくらいの虚無感を、私達に残していったことも。
そこまで考えて苦笑した。
女々しくも過ぎた時の事を今でも悔やむ自分が情けなくて、唇を噛み締める。心がギスギスと渇いた音を立てて崩れていく様な気がした。
「挨拶くらいさせてくれても、よかったんじゃないですか…?太公望、殿…」
薄桃色の梅の花がひらりと一枚の花弁を散らせる。
湿気った土の上に、ぬるい水滴がひと粒零れた。