main
□主人と執事
1ページ/1ページ
屋敷の朝は早い。日差しが一番柔らかい時間から起き出し、活動を始める――といっても屋敷の主はひどく遅い時間に目を開ける。早朝に動き出すのは、使用人や庭師達仕える者だ。
午前十時。懐中時計で時刻を確認した鬼灯は重厚な扉の前で息を吐いた。毎朝の下らない展開への、脱力であり鬱憤である、溜め息だ。
「起きなさい白豚。起こされないと起きないとか餓鬼ですか」
「おはよー挨拶くらいしようねー」
「ああすみません、失念していました。早く死ね」
「挨拶それ!?」
以上の会話は全て、裸の女を間に挟んで交わされている。扉に鬼灯が立っていて、ベッドの手前に女が、奥に白澤が寝転んでいる。
第三者に肌を見られても気にしていない女に呆れながら、ベッドに歩み寄り白澤を蹴落とす。蹴ってから相手が裸だと汚物を見る羽目になる、と後悔した。が、ソレはズボンで隠されていたので安堵する。
「いった……お前、それが主人に対する態度!?」
「形式上は主と執事ですが……貴方のことは金をくれるジジイとしか思っていません」
「お前と援交してるつもりはないしジジイじゃないから!」
「すぐ色に持っていく脳みそどうにかなりませんか」
若作りな白澤は二十代半ばをやや越えた鬼灯と同じくらいに見えるが、実際は六、七歳上である。しかしジジイという悪口は他の三十代前半に失礼なので、白澤だけに当てはまる悪口を使おうと心に決める。
真横で喧嘩が繰り広げられているにも関わらず、女は普通に身支度を整え、普通に出ていった。
「あーもー誰かさんのせいで目ぇ覚めちゃった。もうちょっと寝てたかったのに」
「十時以降なら起こしていいと言ったのは貴方でしょう。物覚えの悪さはもはやアルツハイマーですね」
「違うしせめて若年性を付けろよ……とりあえずご飯食べてこよ。シーツ洗っといて」
手洗いで――意地悪を楽しむ顔で笑い、白澤は適当に服を着て出ていった。
残された鬼灯は、夜のにおいが漂う部屋で沈黙した。毎朝思うが質の悪い嫌がらせだ。付き合っても白澤の女癖が治るなんて期待はしていなかったが、毎朝見せつけられ、シーツを洗わされると惨めになる。
「――あ、おはようございます鬼灯さん」
「おはようございます、桃太郎さん」
屋敷の裏側でシーツを洗っていると桃太郎が通りがかった。刈った芝を捨てた帰りなのだろう。服にちょいちょい芝がついている。
「うわ、またですか……」
「またですよ。全く、常識を疑います」
多分、人間扱いされていないのだ。さすがの白澤も人にこんなことはさせまい。
ここにはいない主にドン引いた顔つきをしながら、桃太郎が去っていく。芝刈りに戻ったか庭の手入れに行ったか、はたまたトイレか。
それにしても冬に水仕事は辛い。女に優しい白澤は、メイドが霜焼けにならないよう蛇口からお湯が出るようにしている。しかしこの蛇口から出るのは水だけだ。
「鬼灯さーん」
もう汚れも落ちたかと判断した時だった。どこかへ消えたはずの桃太郎が戻ってきた。手には湯気が昇る白いマグカップ。
「お疲れ様です。手が冷たいと思うのでこれで温めてください」
「……ああ、ありがとうございます。爪の垢を煎じてアレに飲ませたいくらいできた人ですね」
当初の、道場破りするように屋敷にやって来た桃太郎とも大違いだ。
ともあれ冷えすぎて切るように痛い指先をカップに伸ばす。これくらいの痛みはどうってことはないが、有るよりは無い方がいい。
「うわあありがとう桃タロー君! ちょうど喉が渇いてたんだ」
温かさを享受する前に、横から伸びた手がカップを拐った。桃太郎がギョッと目を見開く。
いきなり現れた白澤は、風呂上がりの一杯のようにカップの中身を飲み干した。そして、ハイ、と桃太郎に返す。
「こんなところで何してるんです。午前は薬を煎じる予定では?」
「散歩〜。別に足りない物はないしやんなくていっかなーって」
じゃあね、と白衣から伸びる手をヒラヒラ振り、白澤が屋敷の敷地から出ていく。本当に何をしに来たんだろう。
「大変ですね……」
三徹したように桃太郎が呟く。この数分で随分げっそりしている。
鬼灯は慣れました、と返して洗い終えたシーツを抱えた。
* * *
「退職します」
告げると白澤は目を真ん丸にして息を飲んだ。
別に唐突というわけではない。ギリギリのバランスで保たれていた積み木が、誰かの尻餅で崩れた。そんな喩えが丁度いい。
「え、ちょ、待ってよ、なんで」
「貴方と四六時中顔を合わせることに限界が来まして。私情を挟んだ理由は、まあちょっとだけ申し訳なく思っていますよ」
しかし白澤の方は唐突と思ったらしい。おかしいくらいに慌てている。
夕日が差し込む中、乱れだしているシーツ。今日は帰ってと早くも素っ裸な女に口早に言い、適当に服を着、白澤はこちらまで来た。そういえば最中に出くわすのは初めてだ。
「本当どうしたの。賃金はちゃんと払ってるよ」
「貴方を見たくないからだと言ったでしょうその耳は飾りか」
服を雑に身に纏った女がそそくさと出ていく。今朝と違う女だ。
余計な人物が消えたのをきっかけに、日々溜めていた鬱憤が口から飛び出す。
「この際だから言いますが、貴方どうして私を恋人になんかしたんです? 女とヤったシーツを洗わせるわ物を横取りするわそれらしいことは夜しかしないわ……恋人として以前に人として底辺ですね」
「あ、れ? 鬼灯、そういうの気にしてたの……?」
「……本当、あんた私を何だと……」
冷凍食品とでも思っているのだろうか。生憎それよりは温度が高い。
とにかく、と赤い耳飾りを見ながら吐く。
「退職します。ついでに別れます」
「だめ!」
肩をきつく掴んできた手を払う。もう一度掴まれた。力が拮抗してなかなか振りほどけない。
睨みつけて、うっかり白澤の顔を見てしまった。ベッドの中で見るような必死な形相をしている。こんな顔をするくせに、どうして遊び呆けていたのだか――力なく、白澤が俯いた。
「……だめ、だよ鬼灯。それはだめ」
「自業自得でしょうが。というか貴方、私に愛着あったんですね」
「あるよ……女の子達とは一晩でいいけど、お前とは一生じゃないと嫌だ」
女の子と遊ぶのもシーツ洗わせるのも、嫉妬してほしいからだよ――と白状してくる。発想が子ども以下だ。
手と手は相変わらず拮抗しているが、力自体は弱くなっていた。
顔面を下に向けながら別れないでと縋る、情けない主を前に考える。愛着は、こっちにもまだ一応ある。しかし、はい分かりましたと頷けるくらいの信用は、ない。
「…………これからテレビに出演しますよね。生放送の」
「……ニュース番組のことだね? 新しい薬効の説明役で出るやつ」
意図を掴めないらしく戸惑いながら顔を上げた白澤に、真っ直ぐ告げる。
「ではそこで、私と付き合っていると言いなさい」
そこまでできたら信用できる。しかし、言っておきながら、そんなことをこの男がするとは思えなかった。そんな公開処刑を受ける程の情なんてないだろう。
つまりは無理難題だ。これで白澤は何も言えず、自分は静かに屋敷を去る――
「なぁんだ、そんなことでいいの?」
悪戯を許してもらえた子どものような声だった。いつの間にか白澤ではなくその服に落としていた目を上げる。
「やっぱり無し、はだめだよ? 逃がさないからね」
ゆるゆるした笑みで背を向け、支度をしだす。まさかの反応に唖然としていると、「お前も来なよ」と腕を引かれた。気づけば車に乗せられていた。
景色が流れる中、かける声が見つからず白澤を盗み見る。既に万事解決したかのような余裕の笑みをしていた。
何回かの白澤の撮影見学で見慣れたテレビ局に着く。顔見知りのスタッフなどに棒読みに近い挨拶をし、我に返れば白澤はカメラの視線の先にいた。
「それではこの薬効を発見した、白澤さんにお話を伺いましょう!」
このニュースでお馴染みの女子アナが明るい声で紹介した。カメラに白澤が映る。白澤は微笑んで軽く挨拶をした。そのゆるゆるっぷりからは、とても今から公開処刑に臨む人の気は感じられない。
「薬効についてお話する前に――この場をお借りして、僕個人としての発表をしたいと思います」
やはり言えないだろうと鼻を鳴らそうとしたら、清々しい声がそう言った。
司会の男が不審そうに眉を潜める。スタッフも顔を見合わせる。笑顔なのは白澤と、辛うじてたが女子アナだけだ。
「好色として有名な僕ですが、これからはたった一人を愛することに決めました」
周囲がざわりとざわめいた。鬼灯の頭もざわざわする。今やっと分かったが、白澤は本気だ。
彼目当ての女達やニュースを見たがる人々がリアルタイムで見聞きしている中、とんでもないことを言おうとしている。止めないといけない。何かないかと見回すと、小道具らしき金棒が目に入った。
「その人は僕の執事をしていて、名前をほお、ずっ――!?」
振りかぶって、投擲。金棒は真っ直ぐ目標へ飛んで頭を直撃し、目標ごと床に転がった。
誰もが黙る。金棒がカランと揺れた。数秒後、ベテランスタッフが「CM入ります!」と叫んだ。テレビにCMが流れ出してから、鬼灯は倒れたままの白澤に駆け寄る。
「何をしているんですか貴方は! 馬鹿ですか!」
「だって鬼灯が言ったんだろ、そしたら別れないって!」
「無理だと思って吹っ掛けたんです気付け!」
胸ぐらを掴みあげてガクンガクン揺さぶる。地位も才能もあるくせに、簡単に後ろ指差されようとする神経が分からなかった。
「途中で止めさせられたし、もう一回言った方がいい?」
揺さぶられて苦しそうにしながらも白澤は言ってきた。固くはない表情だが、両目は真剣だ。まだ言うつもりなのかと恐ろしくなる。
「もういいです、さっきので許してあげますよ!」
「本当? よかったぁ」
許したのは自棄だった。相変わらず何でもなさそうに笑うこの男にとって、何なら「どうってことない」の範疇外なのだろう。つい、呟いた。
「何だろうね? とりあえず、世界中の男を敵に回すレベルまでかな」
「なるほど女性も入ると厳しいんですね」
「それでもまあ、守りきるよ」
守られるつもりはないが、言えなかった。繋がりが切れなかったことを心から喜ぶ白澤を見たら、何も。
CM終わります、と鬼灯のせいで白澤に何も言えなかったスタッフの声が、場違いに響いた。
終
* * *
場違いはむしろ二人の方ですね。新ジャンルはやる気だけあって上手く書けないので診断に頼りました…! 「あなたは50分以内に801RTされたら、執事と主人の関係で公衆の前で告白する白鬼の、漫画または小説を書きます」