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□むかしのはなし
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 自然の匂いがする林の中、自分は木々を見上げていた。両手を皿にして雨を受け止めるように伸ばす。すると小さな手に余る大きさの桃色の果実が現れ、手のひらに乗る。


『桃……?』
『そう。食べてごらん、甘くておいしいよ』


 見上げる先にはやはり木しかないないのに、声がした。性別も分からない、はっきりしない声だ。
 声に従い桃にかぶりつく。少し固い歯ごたえの後、口の中に甘い果汁が迸った。あまりの美味しさに一気に食べ尽くす。


『どう?』
『おいしいです、――』


 口を動かし声を出しているのに音にならない言葉。幼い自分の体の中で鬼灯は、相手の名を呼んでいるのだと分析する。
 何もない、なのに、相手が嬉しそうに笑ったことが分かった。


 そこで目が覚めた。


 天井を見つめ時計の音を聞く。十秒ほどそうしてから時間を確認した。起きるには一時間早い。
 喉奥から溜め息を吐いて眉間に手の甲を当て、ぐっと押す。


「また……」


 最近見る、同じ時代、同じ場所を舞台にした夢。連日見るというだけでも不思議なのに、その内容は自分の昔の記憶だからますます不思議だ。
 しかも思い出せない。丁として働いていた日々は思い出せるのに、それより明らかに厚みがある記憶を思い出せない――自分に桃をくれた誰かの姿すら。


「顔色悪いよ鬼灯君、大丈夫?」


 おかしいと思いつつ記憶を手繰りつつ仕事をしていると、閻魔が声をかけてきた。


「平気です。最近よく眠れないだけで」
「ええっ、君ただでさえ睡眠時間短いんだから倒れちゃうよ!」
「誰のせいで睡眠時間が短いと思っているんですか」


 金棒の先っちょで閻魔の頬をグリグリする。痛い痛いと下がったところで止めてやる。
 でも、と閻魔は頬を擦りながら見下ろしてきた。


「白澤君から薬もらった方がいいよ」
「いりませんよ」
「だめ! 本当に倒れちゃうよ!」


 怒鳴られたが、心配が源のものだから全く怖くない。こちらを気にしすぎて更に閻魔が仕事をペースダウンしそうだ。仕方なく桃源郷へ向かう。


「白豚さーん、お客様がいらっしゃいましたよー」


 言いつつ蹴破った扉を踏んで店内に入る。扉がかすかに沈んだので見てみると、白澤が下敷きになっていた。


「こんなところにいたんですか。睡眠薬ください。あと、記憶を思い出す薬も、あれば」
「注文する前に退け!」
「座り心地が悪い椅子ですねえ」
「座るなああ!」


 扉に腰を下ろし、体を揺らして圧力がかかる場所を色々と変える。早く作れよと言いつつ煙管を咥えていると桃太郎が帰ってきた。


「うわっ、……こんにちは。また派手にやりましたねえ」


 常識人である彼は扉をよけて中に入った。圧力が増えなかったことを残念がりながらも退いてやる。白澤はよろよろと立ち上がり、食って掛かってくる。


「お前な、毎度毎度いい加減にしろよ!?」
「どうでもいいから早く作ってください。私用なので仕事の時間が減ります」
「私用?」


 勢いを消した白澤に、夢見が悪くて閻魔が過保護を発揮したのだと説明する。すると顔を近づけてきたので頭突きした。鬼灯の頭突きはすなわち「つのでつく」である。


「痛いよ! 隈見ようとしただけだろ……!」
「心配なら無用ですし、必要があるなら桃太郎さんを希望します」
「えっ、俺!?」


 薬学の本を読んでいた桃太郎がぎょっと顔を上げた。そして、白澤の眼光を受け顔色を悪くする。


「無駄話はいいですから、早く用意しなさい」
「別に無駄じゃあないだろ……睡眠薬はあるけど、記憶は……」
「ないならいいですよ。そんな都合がいい薬があるかも疑わしかったですし」


 言葉を濁す白澤にそう言ったが、今一な表情は変わらない。


「記憶が戻るよう働きかける薬なら作れるよ。絶対戻るって保証はないけど」
「ならそれで」
「はいよ。ていうかお前、記憶ないの? 金庫の番号でも忘れた?」
「まあ、そんなもんです」


 かすりもしていないが頷いておいた。説明するのも面倒だ。強ばった顔をしていた白澤だが、強ばりを解く。自分との過去が忘れられたとでも思ったのだろうか。


「じゃ、三日後に来て。あ、やっぱ毎日……」
「んな暇ねえよ」


 白澤にお代を払い、桃太郎から薬を受けとる。自室に薬を置いて仕事に戻る。そしていつも通り、深夜過ぎに寝る支度を終えた。
 もらったはいいが、深く眠りすぎて夢を見られなかったら――そう思うと飲む気にはなれず、錠剤を消化しないまま引き出しに仕舞った。



* * *



 宙から手のひらに現れたのは、綺麗な鞠だった。鬼灯は分かったが、丁は分からず首をかしげた。同時に分からないという感覚もきちんと沸き上がるのだから凄い。心でも記憶をなぞれている。


『それは鞠、って言うんだよ』
『まり……?』


 与えられた鞠がまた消える。彼――便宜上そう呼ぶことにした――の手に戻ったのだろう。


『こうやって地面についたり、地面につかないよう蹴り続けたりして遊ぶんだ』


 彼の支配下にある物は見えないのに、凄いという気持ちが湧き上がる。上手く鞠をついたり蹴ったりしているのだろう。


『すごいです。それに、こんなの見たことありません』
『だろうねえ。あと千年か二千年したら流行るよ』
『千年と二千年はずいぶん違います……』


 ぽん、と鞠を放られ、慌てて受け止める。こっちに蹴ってごらんと言われたので蹴ってみると、鞠は弧を描いて返ってきた。反射的に蹴り返すと、同じようにして返ってくる。


『そうそう、上手だね』


 蹴り返した鞠が消え、頭を温かいものがさする。撫でられている。温かさへの驚きと、行為へのくすぐったい喜びが胸で踊った。


『楽しかった?』
『はい』
『よかったあ。他の人に見られたら困るから鞠はあげられないけど、また持ってくるね』


 また――未来の話をされて胸がつきりと痛む。もう、次はない。
 温もりが全身に回る。抱きしめられているのだ。自分は短い腕を伸ばして彼の背中に回した。


『――、どうしてだきしめるのですか?』
『こうすると温かいからだよ』
『なるほど、あったかいです』


 ああでも、もう帰らないと叱られる。
 名残惜しいがお互い体を離す。また明日と笑う彼に何も言えず手を振り別れた。明日も明後日もその次の日々も、自分はここには来られない。ああこれが、悲しみというやつか。
 体の温度は元に戻ったはずなのに、温もりは消えなかった。だから余計に悲しかった。



* * *



「自分で言った期限くらい守れましたよね白豚さん?」
「守れたよ! そう毎回遅らすわけないだろ」


 毎回に近い頻度で遅れているが言わないでおく。早く薬が欲しかった。
 苦い顔をした白澤から薬を受けとり、代金を渡す。ふと彼の目の下に隈を見つけ、思わず見つめる。首をかしげられた。


「隈があるので。普通なら注文に応える為に寝る間を惜しんだと考えますが、貴方相手だと寝る間を惜しんで女性と頑張ったとしか……」
「前者だよ! 詳しく言うと注文に応える為じゃなくてお前の為!」
「それはありがとうございます」


 棒読みに地団駄を踏む白澤を横目に茶をすする。長居は無用と立ち上がると声をかけられた。振り向くと、白澤が神妙な顔をしている。


「結局、何を思い出したいんだ?」
「……昔の記憶です」


 前は面倒だと思ったのに正直に話すのは、白澤が大急ぎで調合してくれたからか、気まぐれか。自分と似ていると評される目が見開かれた。


「昔会った方との思い出を思い出すのですが、その方の姿だけ、っ――!?」


 ぶれるくらい俊敏に飛びかかってきた白澤を避けられたのは反射のお陰だ。白衣から伸びる手が薬の袋をかすった。


「いきなり何を――」
「……代金は返す。薬を返せ」
「は? 嫌ですよ」


 閉めきった店内でぶわりと空気が動く。白澤の三角巾の下から二本の角が伸び、下半身からふさふさの尾が生える。変化はそこで留まらない。完全に神獣化する気だと悟り、鬼灯は極楽満月を飛び出した。
 全力で走りながら、一体何なんだとただただ疑問を持つ。なぜいきなり薬を奪おうと――


「っ……」


 後方で剣呑な音が響いた。白澤自ら扉を壊したのは初めてかもしれない。
 後ろを見ると速度が落ちる。ひたすらに前を見て足を動かす。あちらの方が早いが、何とか追いつかれずに門をくぐった。


「白澤さんを通さないでください!」


 白澤であれば強引に突破できる。だが足止めにはなるはず。鬼灯は閻魔殿へ向かった。
 本気の神獣には本気で向かわないと瞬殺される。だがそんなことをすれば周囲への被害が計り知れない。だから逃げるしかなかった。謎にぶちギレているとはいえ白澤相手に逃亡とは屈辱だ。


「鬼灯様!?」


 閻魔大王第一補佐官の全速力に獄卒が驚いたように声をかけてくるが応える暇はない。続いて白澤に驚く声が聞こえたから尚更だ。
 見えてきた閻魔殿に飛び込む。入ってすぐに閻魔を見つける。勤務時間に何故出入り口にいるのか、平時なら叱るところだ。自分も閻魔も運がいい。


「ほ、鬼灯君!? どうしたの」
「あの白豚止めといてください!」
「鬼灯!」


 神獣の咆哮を無視して奥へ進む。さすがに今すぐ服用するわけにはいかない。一応用法を見てみると、就寝前に服用するらしい。
 表の騒ぎにオロオロしていた獄卒達が駆け寄ってくる。問題はないから業務に戻れと命じると、浮かない顔ながら各々の場所へ戻っていった。


「も〜何だったのさぁ。君が逃げるなんて……」


 腹をさすりながら閻魔が戻ってきた。やはり、さすがの神獣白澤も、閻魔大王に喧嘩を吹っ掛けるわけにはいかないらしい。地獄を相手にすることになるからだ。


「薬を奪われそうになりまして。それと逃げではなく戦略的撤退です」


 とりあえず礼を言い業務に戻る。あっさりすぎないかと突っ込まれたが、遅れを取り戻さないといけない。混乱している場合ではないのだ。溜めた分を消化したから普段以上に遅く自室に戻った。
 懐から薬を出し、錠剤を手のひらに置く。これで彼が誰だか分かる。記憶が戻る保証はないと言われたが、ここまで戻っているのだ。きっと、分かるはず。
 催眠効果もあるのか煽って数秒で眠くなった。鬼灯は眠気に抗わずにベッドに入り、目を閉じた。

 
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