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□私は女に見えますか
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白澤が相手にするのは見目麗しい顔立ちをしていて、職人が作った銀細工みたいに着飾った女ばかりだ。自分が知らないだけで醜女や貧しい成りの女とも関係を持っていたかもしれない。しかし、美女との付き合いの方が圧倒的に多いのは断言できる。
「ほら、貴方の大好きな女性が来たんですから最大限のおもてなしをしなさい」
「は、お前なんか女の子じゃないね。性染色体XXだ」
「分類しないでくれますか偶蹄類が」
「どの口が言う!」
噛みつく勢いで食って掛かってきた白澤は、気を取り直したように薬を作り出した。鬼灯は兎を抱き上げて椅子に座る。
目下の悩みは地獄の財政難や人員不足だけではない。この、癪なことに惚れてしまったロクデナシに女扱いされないこともである。
白澤は女に、修羅場や振られる際に殴られようが蹴られようが笑って受け流す。だというのに自分が暴力を振るうとすぐ怒る。理不尽な暴力だからというのもあるだろうが。
「ほら、出来たよ。金払って帰れ。二度と来んな」
「私だってこんな豚小屋一度だって来たくないです。斡旋しておきながら言うのもアレですが桃太郎さんが可哀想ですね」
しかと薬を受けとり、店を後にする。白澤を前にする時は思わないのだが、会った後になると、またやってしまった感に襲われる。
白澤と喧嘩するのは楽しい。殴るのも蹴るのもだ。だけどたまには、ちょっとくらいは、親しく話したい。
「あら、鬼灯様」
「……お香さん」
閻魔殿に戻ると昼休憩中らしいお香と会った。そのまま一緒にお昼、という流れになる。食堂には閻魔もいて、三人で席に着いた。
「鬼灯君、何だか浮かない顔だよ?」
「……また、白澤様と喧嘩してしまったの?」
「それもあるのですが……未だに女扱いされなくて」
まさかの性染色体XX認識である。
どうすれば女として見てもらえるのか鬼灯には分からなかった。とりあえず先程のようにさりげなく自分の性別をアピールしたり、髪を伸ばしたりしかしていない。
閻魔とお香は眉を下げて顔を見合わせていた。二人はこの恋心を歓迎していないのだ。だが、鬼灯が白澤の女好きは百も承知で片想いしているから、応援してくれている。
「叶わないのは分かっていますが、最低限、女としては見てほしいです……」
桃色の心を吐露するのが恥ずかしくて唇を尖らせ、煮魚をつつく。頬が桃色に火照ってしまう。
「鬼灯様、ではもう少し手を出すのを控えては……」
恐る恐る言ったお香に首を振り、自分の考えをポタリポタリ垂らす。白澤に喧嘩を吹っかけるのはアイデンティティーに近い。それを抑えてまで女扱いされても嬉しくない。
「我が儘だというのは承知していますが」
「そんなことありませんわ。ありのままを好きになってほしいのは当然のことですもの」
「そうだなあ、鬼灯君はもっと着飾ったらいいと思うよ。せっかく可愛い顔なんだから」
「……うっさいです大王」
その言葉は白澤から欲しかった。手入れしているが寝不足のせいでそこまで艶はない髪を人差し指でくるくるする。
努力はした。リリスのルージュの化粧品を買い、鏡台の前で徹夜で六時間かけて頑張った。散々な出来に終わり二度としないと誓った。
「……そもそも、拷問で化粧なんて崩れますし、綺麗な着物も汚れてしまいます」
明るい色は自分には似合わないに違いないが、もう少し華やかな着物を着てみたいとは思った。着る機会はないのだが。
どうしたものかと考えていた閻魔が顔を上げた。
「そうだ鬼灯君、パーティーがあるよ」
「パーティー? ……ああ、一月後の」
EU地獄の、ベルゼブブとレディ・リリス、その他暇人貴族を招いて開かれる親睦パーティーのことだ。それがどうしたと首を傾げると閻魔は焦れったそうに口を開く。が、その言わんとすることに思い至ったお香の方が先に声を上げた。
「そうですよ、パーティーなら拷問なんてしません。思いきり着飾れますわ! 行く前に白澤様に見せればいいし」
なるほど、と合点が行く。お香の言う通りだ――気分が浮上するが、自分の化粧下手を思い出し下降する。
そんな鬼灯に、自分がレクチャーするとお香が名乗り出た。遠慮したのだが「白澤様に女の子扱いしてもらえるチャンスです」と言われては首を横には振れない。
「大丈夫です、コツさえ掴めば簡単ですよ」
にっこり笑うお香は大変頼もしい。昔から、姉みたいな鬼女であった。
* * *
出来うるだけの努力はした。肌や髪の手入れは元からしていたから以前と変わらない。睡眠時間も、忙しい毎日だから変わらない(閻魔がいつになく仕事をしてくれたが、それでも地獄は忙しい)。
代わりに、休憩を使ってお香と着物や簪を買いに行った。女性雑誌も、分からないなりに読んだ。テスト前日の学生のように化粧を学んだ。
「……決戦です」
物騒な言葉に震え上がるはずの獄卒は、上司の姿に目を奪われて唖然としていた。
鬼灯が身に纏っているのはいつもの振袖だ。赤い襦袢のフリルが袖口から出ている。暗い赤の袴を穿き、深紅の帯を正面で蝶結びにし、赤を縁取ったり裾からひらひら伸ばす黒い長い羽織を羽織っていて、重い。
「なんだか、黒い天女みたいだね。もっと明るい色でも似合うのに」
閻魔が七五三の娘を見るような目で言った。確かに色合いは普段と大差ない。そこも変える勇気はなかったのだ。
透けた薄紅色の羽衣を腕にかけ、薄く化粧した顔で閻魔を、そしてお香を見、小さく頭を下げる。
「色々とありがとうございました。では、行ってきます」
「うん。時間には間に合うようにね」
「いってらっしゃい。きっと上手くいくわ」
鬼灯は、うっすら紅をひいた唇で弧を描く。これで、女として見てもらえるだろうか。もしかして顔を赤くしてくれたり。胸の中は甘酸っぱい期待や不安でいっぱいだ。
極楽満月が近づく度にドキドキは大きくなる。金棒をギュッと握った。
扉の前で立ち止まる。上半分を結い上げ、ホオズキの飾りをつけた簪を刺した髪に確かめるように触れてから、深呼吸して取っ手に手をかけた。
「最っっ低!」
「うぼ!」
「っ!?」
バン、と扉は勝手に開き、次の瞬間白い物体がぶつかってきた。投げ飛ばされたか殴り飛ばされたか蹴り飛ばされた白澤だ。鬼灯を巻き込み地面に倒れる。
鬼灯は、揺れる視界を抑えるように頭に手を当て上体を起こした。そこに上から、まったく予期していなかった冷たさが降ってくる。見上げると、水滴が滴る空の桶を手にした女がいた。盛大に濡れた鬼灯を見て気まずそうにする。
「二度と会いたくない!」
桶を白澤に投げ、女はぷんすか立ち去った。ここでようやく白澤が鬼灯を見る。見開いた目を、見間違えたみたいに瞬きさせる。鬼灯は水をかけられたまま呆然としていた。
「…………お前、どうしたの。その格好」
「……今夜、EU地獄と親睦パーティーがあるんです。それで……」
ぽたり、と髪から水が落ちた。着物は濡れて色を濃くしている。せっかく綺麗になったのにびしょ濡れで――ひどく惨めで、恥ずかしかった。
ぶふっ、と白澤の口から息が飛び出る。鬼灯は水を被っていない膝に視線を落としていたが、彼の表情は簡単に分かった。
「お、おま、ぶっ、ソレ、仮装……っ? ぶふふっ。それでパーティーとか、ぶふ、やめた方がいいよ」
――わかっていたことだ。
ぽたり、水が落ちた。
何千年と同じように接してきて、今更変わろうだなんて無理な話だったのだ。
わかっていたことだ、けど、期待してしまったのだ。
「ぶぼっ」
「ブーブーうるさい豚ですね。どうせ薬もできていないんでしょう、後日また来ます」
金棒で馬鹿笑いを殴って立ち上がる。時間はあるから薬を待ってもよかったが歩き出す。早く白澤の視界から消えたかった。
* * *
裏口からこっそり入ったがお香に見つかった。青ざめて大騒ぎしつつも鬼灯を鬼灯の部屋に入れ、着物を脱がせ化粧を落とし、髪もほどいたお香はやはりすごい。
「白澤様にされたの?」
「いえ、アレではありません」
「……大丈夫、着物も髪も時間までに乾きますわ」
「普段着で十分です。……出すぎた真似だったんですよ」
髪にドライヤーを当てる手が一瞬止まった。少しの間、沈黙が続いた。
「――白澤様がなんと言おうと、鬼灯様は綺麗です」
「…………」
「だから、そんな悲しいことを仰らないで」
髪が乾かされ、先程と同じように結い上げられても、もう心は浮かばなかった。
化粧を施された後に扉がノックされる。誰何すると、桃太郎だった。鬼灯は襦袢姿だったのでお香が扉の向こうに消える。
「……取りに行くと言ったのに」
いや、この方がいいか。正直、当分は白澤に会いたくなかった。納期を過ぎたことを気にしているのか知らないが、桃太郎に持って来させてくれてよかった。
鏡の自分から目を逸らし、金魚草のぬいぐるみを叩くように撫でる。この気持ち悪さが癒しだ。
「……遅いですね」
いつの間に立ち話をする間柄になったのか。それともお香が、白澤への怒りの言伝てを頼んでいるのか。後者の可能性が高そうだ。彼女は優しいから。
と思っていたらお香が戻ってきた。片手に薬を持っている。
「白澤様には、今度面と向かって文句を言うわね」
そうにっこり笑う様子からするに、やはり後者らしい。鬼灯はどう返したらいいか分からず、そっと胸を押さえた。