●○特別○●

□PLUS★曖昧見舞い
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曖昧←続編となっております※




・・・味気ない、つまらない、やる気が起きない・・・




彼のいないオフィスは、出汁を入れ忘れた味噌汁みたいだ。



仕事のモチベーションが、好意を寄せる先輩にある社会人ってのも問題だけど。



どうにもこうにもならないのだからしょうがない。



ここのところ、出張に残業…古高先輩はとても忙しそだった。



だからだろう。



今日、彼は体調を崩して休んでいる。



体質なのか、多忙を極めたあと、彼は決まって風邪を引いて熱を出す。



いつもは何もできない私だけれど、



今日は、あの日の曖昧な記憶が背中を押した。





―――



さっさと仕事を終わらせ、定時に会社を出た私は猪突猛進、目的地へと向かう。




先輩の家に行くのはもちろん初めて。



だけど彼の住むマンションには容易に辿り着いた。



女子社員の間では有名も有名。ちょっとした観光名所。



高級マンションとまではいかないけれど、



セキュリティ万全のおいそれとは入れない、なかなかオシャレな良いマンション。



古高先輩が住んでるというだけで箔がついているところもあるけれど。



・・・突然後輩が家になんて来たら驚かれるよね、迷惑だよね・・・



繰り返し頭の中で思いながら、なかなかその重厚なゲートをくぐる勇気が出ない。



リクルートスーツにネギがひょっこり顔を出すトートバッグを肩に掛け、



マンションのエントランスをちらちら覗きながら、



前の歩道をいったり来たり・・・完全に挙動不審の怪しい女。




・・・そして、動物園の動物のように、同じ場所を何度かぐるぐると徘徊しながら、



ふと、私は根本的な問題に気づく。



・・・てか、先輩の部屋って、どこ?・・・



住んでるマンションは知ってるけど、部屋番号までは知らない。



携帯の番号も知らないし。



行くか行くまいか、迷う前に、そもそも先輩とコンタクトが取れない。




「……」




何も考えず、勢いでここまで来てしまった自分に呆れる。



ドキドキして損した。



・・・この数十分間の無駄に緊張した時間を返してほしい・・・



いや、これはきっと神様の思し召しだ。



厚かましいお節介をして嫌われないようにとの。



・・・帰ろ・・・



体調を崩している先輩のことは心配だけど、彼だって子供じゃないんだ。



風邪を引いて会社を休むのはこれが初めてなわけでもないし、



自分でちゃんとそれなりに対処はできてるんだろう。



それに、きっと献身的にお世話してくれる美人な彼女さんがいるはず。



そんなことに今頃気づいた自分が恐ろしい。



危うく修羅場になるかもしれないこの状況にぞっとする。



曖昧な記憶に勘違いして、期待して、馬鹿みたい。



そう思いながらも、諦めの悪い自分もいて・・・



・・・でも、彼女さんがいたら、あんなことしないよね・・・



けれどその曖昧な記憶が現実だという確たる証拠はどこにもない。



やっぱり、あれは夢、だったんだよ。



一人で結論を出して、大きなため息を吐き出し、家路を急ごうとくるりと振り返り・・・




「ぶっ!」




そこにあるはずのない壁に、私は顔面を思い切りぶつけた。



押し潰されて更に低くなった鼻頭を押さえて、そびえる壁を見上げ、ぎょっとする。




「…!?先輩!?な、んでこんなとこに…」



「そらこっちの台詞や。どないしはったん?こんなとこで」




春を通し越してやってきた真夏のような蒸し暑さの中、



スパーモデル並の小さな顔の3分の2を覆った大きなマスクに、ジーパンに長袖のパーカー姿の先輩。



いつも洒落たスーツをびしっと着こなす彼からは想像できない、ラフな格好。



しかし、それもまた似合っているから困る。



マスク越しに聞こえるのいつもの美声は少し掠れていて、



熱で少し潤む瞳はさらに色気を増していた。



完全プライベートな古高先輩の姿を見て、禁断の扉を開けてしまったような感覚に、



しばし呆然としてしまう私と、先輩は目線を合わせるように少し腰を屈めて




「…もしかして、お見舞いに来てくれはったん?」




それは唯一覗く目元だけでもわかる。



彼が今、マスクの下で私をからかう笑みを浮かべていることが。




「…え、いや、あの……あ、体調は?出歩いたりして大丈夫なんですか?」



「大丈夫やないけど…風邪薬切らしてしもてたさかい、
誰も面倒看てくれへんし、仕方なしに」




言いながら、先輩はドラッグストアのビニール袋を私に掲げてみせる




「そう…だったんですか…」




話題を逸らすふりをして、言い訳を必死に探すけれど、



ネギを覗かせたこの状況で言い逃れするのは無理だろうと観念し、



私は心配でお見舞いに来たことを素直に認めた。




「…でも、突然押しかけたりして…ご迷惑ですよね……すみません、帰りま…」




帰路へ一歩踏み出したところで、



肩に掛けたネギの飛び出たバッグごと、ぐいと体を後方に持っていかれ、強制的に足を止められる。



見ると、長い指がバッグの縁にかかっていて、



そのまま引っかけた指でくいっと広げ、中身を覗き込む先輩。




「これでなにか作ってくれはるの?」



「え?…あ、はい……」




彼は、少々中の食材を眺めてから・・・




「……ほな、卵のお粥さんがええなあ…」



「は…?」




肩にかかっていた重みが無くなったことに気づいたときには、先輩はマンションの自動ドアをくぐっていた。



状況が把握できず、唖然と立ち尽くす私に




「早う来んと、閉まってしまうよ」



「…あ、はい!…あ、荷物…先輩、風邪引いてるのに…私が持ちます!」



「これくらいどもないよ。そこまで弱ってへん」





―――



何が何だか分からないうちに、私は先輩の部屋に来てしまった。



1LDKのシンプルな部屋。



だけどそこは、二十畳はあろうかというほどの広さで、



窓際に置かれたクイーンサイズのベッド。



その隣に、パソコン用の小さなデスク。



部屋の中心には、真っ白なソファーとテーブル。



そして、壁際にアンティークの棚が一つあるだけ。



余白がありすぎる部屋。



良くも悪くも生活感がない。



彼らしいと言えば、らしいけれど。




「台所、好きに使うてええから」




言いながら、先輩は浄水器がらコップに水を汲んで、



買ってきたばかりの風邪薬をぐびっと飲み込んだ。




「……ぁ、はい、お借りします……。
卵のお粥さん、出来るまで先輩はゆっくり休んでいて下さい」



「おおきに…」




そう言い残し、先輩はすぐにベッドに横たわった。



さっきまで大したことはないと振る舞っていたようだけれど、やっぱり体は辛いんだろう。



仕切りのない部屋なので、ベッドからキッチンは丸見え。



音も響くため、できるだけ静に、そして無意識に・・・



他の雌の形跡がないか探しながら調理を始めた。





―――



特に雌の形跡は見当たらなかった。



彼が趣味で料理をすることは知っていたし、綺麗好きなことも知っているから、



調理器具が揃った整理整頓されたキッチンも、なんら違和感はない。



スズメの涙ほどの”可能性”に根拠のない自信を取り戻したところで、



ひと通り下準備を終え、鍋に火にかけようとした時・・・



先輩の声が聞こえた気がして、一度火を止め、ベッドの近くへ寄る。




「……先輩?大丈夫ですか?」



「……」




けれど先輩は、胸を大きく上下させながら、苦しそうな息遣いのまま綺麗な瞼を閉じていた。



・・・寝言?・・・



額にうっすら浮かぶ汗すら何故か色っぽく見えて、思わず見惚れてしまう。



ベッド脇で膝をついて、ハンカチで額の汗を押さえてあげると、瞼がゆっくりと開いた。



綺麗な目も少し充血していて、頬も赤みを帯びている。



さっきよりも症状は酷くなっているみたいだった。




「一度、病院で看てもらった方がいいんじゃないんですか……?」



「……大丈夫……」



「でも……」



「いつものことやさかい……1時間くらい眠ったら、熱も下がる……」



「じゃあ、辛いときはすぐに言ってくださいね?」




そう言って、立ち上がろうとした時、手をきゅっと手を握られる。




「…先輩?」



「……そばにいて……」




彼らしくない甘えた仕草と言葉にドキリとして、また勘違いしてしまいそうな気持ちを抑えながら、



私は言われるがまま、先輩の隣に寄り添っていた。



>>次ページへ続く
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