●○短篇○●

□桜の木の下で
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文机の前に正座をして、ぴんと背筋を伸ばす。



何枚も何枚も下書きを繰り返して、



やっと納得のいくものになった。




心を落ち着かせるように、



筆に墨をなじませ……



筆先を整え……



大きくひとつ深呼吸をして、



淡い桜色の絵半切りに筆を入れていく。




手紙の宛名は……




―枡屋喜右衛門様―




万が一、誰かに見られてしまったことを考えて、



手紙には”俊太郎さま”と書けないことが、少しだけもどかしい……。




私は、少し緊張していた。



俊太郎さまに手紙を書くのが初めてなわけではないけれど、



今日は少しワケが違う。



私から彼を逢い引きに誘うために、手紙をしたためている。



いつも誘ってくれるのは俊太郎さまの方で、



私から誘うのは初めてだったから……。




集中して、一文字一文字丁寧に書きあげていく。









「……っふぅ〜」




そうして、やっとの思いで書き上げた一枚を、



丁寧に折りたたみ、封をする。




前に、お座敷で何気なく聞いた彼の誕生日。



この時代では自分の生まれた日を知らない人もいるくらいだから、



誕生日を祝う風習なんてない。




だけど……



誰よりも大切で、誰よりも大好きな人が生まれた、特別な日。



……やっぱり、お祝いしたい。




手紙には、『6日の日に逢いたい』という旨だけを伝えて、



詳しい事は書かなかった。




俊太郎さまには、いつもたくさんの幸せを貰っているから。



その感謝の気持ちも込めて。



誕生日には、たくさん”幸せ”のお返しが出来るといいな……。








――数日前。




ちょうど桜の時期だし・・・・・



お花見でもしながら、ゆっくり過ごせたらいいなあ。



……でも、私は京の町のことは詳しくないし……



どこに行けば綺麗な桜が見れるのかもわからない。



俊太郎さまなら、たくさん良い所を知ってるんだろうけど・・・



本人に聞くわけにいかないし……う〜ん。どうしよう・・・・




そんなふうに、



あーでもない、こーでもないと頭を悩ませていると・・・・。



「……○○はん、いてはる?」



襖の向こうから、上品な色香を含んだ声がかかる。



「あ、はい、どうぞ・・・・・」



襖を開けて顔を出したのは、菖蒲さんだった。



「昼のお座敷で、旦那はんから貰うたもんなんやけど……」



そう言いながら、部屋に入ってた菖蒲さんとともに、



ふわりと春の香りが、私の鼻を掠める。



「…わあ!桜餅ですか?」



「たくさん貰いましたよって、○○はんにもお裾分けと思うてね」



「…美味しそう…」




……あ、そうだ。菖蒲さんなら・……




「あのぉ…菖蒲さん。少しお時間を頂いてもいいですか?

…お聞きたい事があって……」



「うん、構いまへんえ」



「それじゃあ、桜餅でも食べながら。……私お茶を淹れてきますね!」




――



そうして、桜餅を頂きながら、菖蒲さんに尋ねてみた。



「…菖蒲さん…」



「…ん?なに?」



「お花見をするのに、どこかいい所ご存知ないですか?」



「……?そら京にはぎょうさんありますえ。

醍醐寺に嵐山・・・知恩寺のも綺麗やねぇ……それから……」



菖蒲さんは、いくつか名所を連ねてから、ふと、言葉を途切れさせた。



すると、少し悪戯っぽく、にっこりとこちらに微笑みかける。



「……もしかして……枡屋はんと…?」



「……えっ!あっ…」



誤魔化そうとしたけれど…



到底、菖蒲さんには通用しないだろうと思い、正直に答える。



「…は、はい……」



「それやったら……とっておきの、ええ場所を教えたげまひょ」






――次の日。




その”とっておきの場所”を教え貰う為に、



秋斉さんに外出の許可を貰って、菖蒲さんと二人で出掛けた。




京の町から少し離れた、自然豊かな野原の広がる場所。



その先に見える小高い丘を目指して歩いていく。




とてもこんなところに桜の木があるとは思えない程に、



辺りには、寒い冬を乗り越え芽吹いた、



生命力溢れる、青く瑞々しい葉の生い茂った木々が立ち並ぶ。




何か特別に目的がなければ、こんな所まで来ることなど無いような、



見渡す限り、緑と豊かな自然以外、何もない場所……。





――すると、どこからともなく



ピンク色の花びらがひとひら、私の目の前を掠めた。



「……桜の花びら……?」



「…ふふ、もう少しや」



どこか楽しげな菖蒲さんの後をついて、



緩やかな坂道を上りながら、木々の間を抜けて行くと……



それは突然目の前に現れた。






「……うわあ……」




目の前に広がる景色に、暫くの間、私は言葉を忘れた。




生い茂る木々達が、それを隠すようにして……



そこには、見事な桜並木が連なっていた。



降り注ぐ太陽の光を受けた花びらが、



地面まで桜色に染め上げたその景色は、



この世のものとは思えないほど



……まるでここだけ別世界のようだった。




「見事どっしゃろ。

こないなところに桜があるなんて、誰も思わへんでしょう」



「……はい……こんな所にこんな素敵な場所があるなんて……」



「前に、贔屓の旦那はんに連れて来て貰うたところなんよ。

なかなかここを知ってはる人は少ないみたい。

……きっと、この美しい景色を自分だけのもんにしときたい……

そないな人の欲が、世に知られへん、秘密の場所にさせたのかもしれへんね」



「…確かに。人に教えたくないっていうのが分かります」



それほど、その景色は神秘的で、美しいものだった。



「ここなら人目も気にすることなく、

旦那はんと二人きりで、ゆっくり過ごせるでしょう」




……秘密……二人きり……




その言葉に、少しどきどきした。









――帰り道。






前から目をつけていた、



俊太郎さまへのプレゼントを買って。




あとは、お誘いの手紙を書くだけ……。







―――そうして、手紙を出した翌日。




早速、返事が届いた。




見慣れた流れるように綺麗な文字を目で追いながら、



勝手に頬が緩む。




『貴女から誘ってもらえるなんて、天にも昇るような気持ちです。

もちろん、よろこんで。当日を楽しみにしています』




もかしたらお仕事が忙しいかもしれないと、心配していたのだけれど、



無事に返事を貰うことができて、ほっとする。





そうして、



私は俊太郎さまの誕生日を心待ちにしたのだった。
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