●○短篇○●

□香縛
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<其の壱>



「……それじゃあ、行ってきます」


「○○はん、その顔はあきまへん。ほれ、笑顔や、笑顔!」



いつものように笑顔で送り出してくれる秋斉さんに



私はあからさまな作り笑顔を向けてから置屋を出た。





――大門までの道程を勿体ぶるように、のらりくらりと歩いて行く。



「……はぁ」



無意識のうちに溜め息が零れてしまうこの憂鬱な気持ち。



遊女としては最低だと思う。



けれど私にはどうすることも出来なかった。




それは昨晩の出来事――



お座敷が終わって、置屋に戻って来た私は、慌てて秋斉さんの部屋に駆け込んだ。



「秋斉さんっ!」


「…な、なんや!?」


「あ…明日…」


「ああ、せや。丹波屋の旦那はんから逢状がかかっとります。二人での外出をご所望や。
明日は朝から夕まで出掛けることになるさかい、そのつもりで」


「え…」


告げられた言葉に、握り締めていた手紙が畳の上にぱさりと落ちる。



「…ん?それは?」



放心状態の私に変わって、秋斉さんが落ちた手紙を拾い上げる。



「……ああ、枡屋はんからか。……残念やな、こっちの方が日付けがちぃと後や。
贔屓の旦那やけど…またの機会に、やな」



その事実を受け入れようとして、私は肩をがっくり落としてうな垂れた。



さっきお座敷から帰ってた時、玄関先で番頭さんが教えてくれた。



つい先程、俊太郎さまが置屋に来て、この手紙を預けていったらしい。



今日は時間がないからと、すぐに帰って行ってしまったようだけれど。



手紙には・・・



『急遽暇が出来たから、久しぶりに二人で出掛けようか』



そう書かれていた。




―――


最近忙しいのか、俊太郎さまはあまり島原に来ない。



だから逢状が届いた時は飛び上がるほど嬉しかった。



久しぶりに出来た二人の時間だったはずなのに、



そのお誘いを断わざるを得なかったショックから立ち直れないまま、



私は丹波屋さんとの待ち合わせ場所へと向かっていた。




すると――



置屋から一番近いお茶屋さんの軒先・・・



一瞬、見間違えかとも思った。



けれど近付くにつれ、それは確信に変わる。



すらりとした長身に、見惚れてしまうほどの優雅な立ち姿で、



切れ長の涼しげな瞳を細め、晴天を仰ぎ見る愛しいひと。



「――俊太郎さま!?」



どきん、と心臓を跳ねさせ思わず彼の元へ駆け寄る。



「……おはようさん、○○はん」


「どうして……?」


「すんまへん。どうしても、ひと目だけ逢いとうて…往生際の悪い男やと笑うておくれやす」



そう言う俊太郎さまの苦い笑みを見て、情けなく眉が下がる。



「俊太郎さま……ごめんなさい……」



何故かわらかないけれど、喉の奥が熱くなって声が詰まってしまう。



「はは…なんであんさんが謝ることがあります?○○はんは何も悪ない。
忙しいのを言い訳にあんさんを捕まえておかれへんかったわてが悪いんや」



決して私を責めることなく優しく頬を包み込む彼の大きな手の平に、



甘えるように頬をすり寄せた。



「……わてが連れて行ってやれへんのが口惜しいけど……。
折角やさかい、楽しんできなはれ」



胸がきゅっと切なくなって、頬に添えられた俊太郎さまの手に自分の手を重ねる。



「次は必ず、あんさんを誰かに盗られる前に捕まえに行きます……」



その言葉にこくりと頷き、



私は後ろ髪を引かれる思いで、また大門の方へと歩きはじめる。



――と



「○○はん」



私の名を呼ぶ声に振り向く。



「……?」



疑問符を浮かべた顔をして立ち止まった私に、俊太郎さまが歩み寄る。



「……衿が、ちぃと乱れとります」



そう言うと、俊太郎さまは私の衿元に手を掛け、整えてくれた。



「……これでええ」


「……ありがとうございます……」



見上げた彼はやはり苦笑を浮かべていた。



その寂しげな笑顔に、このまま彼と抜け駆けしてしまおうかなんて考えまで浮かんでくる。



けれど、そんな私の気持ちを俊太郎さまが断ち切った。



「さあ、お相手が待ってはる。……行っておいで」



今にも零れ落ちてしまいそうな涙と、心の隅で感じたちょっともやっとした気持ちを堪えて、



私は俊太郎さまにぺこりと頭を下げ、再び大門へと向かう。



最後に一度だけと、振り返ったけれど、そこにはもう彼の姿はなかった。






――大門を出たすぐのところに、丹波屋さんはいた。



「――おはようございます、丹波屋さん。
今日は誘ってくださってありがとうございます」



決まり文句のような台詞を告げて作り物の笑顔を浮かべる。



「ああ、夢でも見とるようや。今日一日○○はんと出掛けられるなんて……。
いっつも枡屋はんに取られてしまうから、返事が来るまで気が気やあらへんかったんどすえ」



そう言って、丹波屋さんは私とは違う心からの笑みを浮かべる。



そんな屈託の無い笑顔を向けられると、心苦しくなる。



「枡屋はんに負けへんように、早めに逢状を出した甲斐がありました。
……ほな、行きまひょか」


「……はい」



丹波屋さんは、近頃私を贔屓にしてくれている大店の若旦那で、爽やかな好青年。



優しくて、話も面白いし、嫌いなわけじゃない。



きっと、お友達としてなら良い関係でいられると思うのだけど・・・。



そんな彼の斜め後ろを着いて歩いて行く。



丹波屋さんは緊張しているのか、今日は口数が少ない。



気まずい沈黙が続くちょっと居心地の悪い空気の中で、



私はさっき逢った俊太郎さまのことを思い出していた。



一目だけでもって逢いに来てくれたのは嬉しい。



だけど・・・・



”さあ、お相手が待ってはる。……行っておいで”



なんて、余裕の台詞・・・。



もう少し、やきもちを妬く素振りくらい見せてくれたっていいのにな・・・。



いつも余裕綽々な彼を時々恨めしく思うことがある。



そんなこをと思って拗ねる私の女心に、まだ冷たさの厳しい冬の風が、



その刺激と共に、つい先程まで私の鼻孔を擽っていたあの香りを届けた。



「……!?」



俊太郎さま・・・・?



島原を出てから大分歩いてきた。



私が振り向いたときにはすでに俊太郎さまの姿はなかったし、



ここまで香りが届くなんてあり得ない。



けれど確かに感じた彼の香りに、私はきょろきょろあたりを見回し、



どうしても愛しい彼の姿を探してしまうのだった。





其の弐に続く>>
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