●○短篇○●
□一本桜
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春らしさがいっそう増してきた今日この頃。
部屋の窓と襖を開けておくと、柔らかな風が吹き抜けて気持ちがいい。
開け放した窓から空を見上げて、
ふわふわ漂う雲をぼんやり眺めて想うのは、大好きな彼のこと。
・・・今頃なにしてるのかな・・・・
そんなふうに彼に想いを馳せていると、
頬を撫でるようにふわりと吹いた優しい風と共に部屋に舞い込んできたのは、
一片の薄紅色の花びら。
・・・あ・・・
畳の上に舞い下りたその花片を優しく抓み上げる。
置屋の庭に一本だけ桜の木があるから、きっとそこから飛んできたのだろう。
京の桜もあと2、3日で満開になる。
・・・今年も一緒にお花見に行きたいなぁ・・・
でも、一昨日お座敷で逢った時、俊太郎さまはお花見のことは何も言わなかった。
忙しない人だから、不確かな約束はしない。
仕事が突然入ってしまうことも少なくないから、
当日になって約束を断ることになってしまうと、私をがっかりさせてしまう。
そんな思いを私にさせないための彼の優しさだってわかってる。
だけど、一年に一度しか咲かないの桜の花、やっぱり俊太郎さまと一緒に見たい。
でも忙しいのかな。無理は言いたくないけど、
・・・手紙、書いてみようかな・・・
散々迷った挙げ句、私は引き出しにしまっておいた絵半切を取り出した。
いくつかあるものを広げて並べると、それは一目で決まる。
今部屋に舞い込んできた桜の花片と同じ色をした紙に、白色の桜の花が散りばめられている。
その一枚に即決して、早速墨を磨り始めた私の耳に届いたのは――
「○○はーん、枡屋はんから恋文が届きましたえー」
二階への階段を登ってくる花里ちゃんの陽気な声。
よく通る花里ちゃんの声は廊下に響いて気持ちよく通り抜けていく。
私は一気に火照らせた体で部屋を飛び出し、花里ちゃんの元へ駆け寄る。
「ちょ、花里ちゃん!そんな大声で……」
「なん?もうみーんな知っとることやろう。今更何を隠すことがあるん?」
他の女の子たちも、開け放していた部屋の襖越しにちらほらと顔を出す。
『せやせや、あれだけの色男で引く手あまたやいうのに、
枡屋はんはもう○○はんしか見てへんしなぁ?』
『あのご執心ぶりは見とるこっちが中てられてしまうほどや』
『絶世の美人太夫かて枡屋はんの心は奪えへんやろなぁ』
『ほんまや、張り合う気にもならへんわ』
『うちもあんなふうに愛されてみたいわぁ』
女の子達の明るい笑い声が響き渡る。
次々と投げられる冷やかしの言葉に、穴があったら入りたいくらい恥ずかしい。
こうなったらもう何を言っても治まりがつきそうにないと観念した私は反撃の言葉もなくして、
真っ赤になっているであろう頬を抑えながら、ただ小さくなっていた。
そんな私を、耳まで赤うなっとるでと、
楽しそうにけたけたと笑う花里ちゃんの背中越しに、
私は救世主を見つけ、ぱっと表情を明るくする。
助けを求めるように、私はその名を呼んだ。
「菖蒲さん!」
・・・菖蒲さんならきっとみんなをなだめてくれるはず!・・・
菖「……あら、みんな揃うて楽しそうやね。何の話?」
『○○はんと枡屋はんの惚気話どす』
「えっ!?…ち、違います!惚気てなんか…私じゃなくて、みんなが…」
菖「ほほ、そらまた楽しそうな話や。○○はん、わてにも聞かしてえな」
「菖蒲さん……」
またけらけらと笑い声が上がる。
望みの綱だった菖蒲さんにも見放され、全員が敵と化した中、
ようやく花里ちゃんが手紙を渡してくれた。
「きっと、花見のお誘いやで」
肘でつんつんと私の腕を突きながら、
それだけはなぜか私だけに聞こえるような小さな声で言った花里ちゃん。
手紙を受け取ると、私はその場から逃げるように部屋に戻り、
しっかりと部屋の襖を締め切る。
ぱたぱたと両手で熱くなった顔を扇ぎながら、火照った体を落ち着かせる。
年上の大人な彼だから、まだ恋愛に未熟な私は悩むことも多い。
そんな私の恋の悩みを、いつもはみんな真剣に相談に乗ってくれるから、
みんなが私の恋を応援してくれているんだってことは知ってる。
だから、ああやってからかわれても、まんざらでもなかったりする。
ただ、ものすごく恥ずかしいけど。
そして、ちょっと嬉しさもある。
周りから見ても私は俊太郎さまに愛されているんだって思えるから。
そう思うと、困り果てた表情がゆっくりと緩んでいって、
いつの間にかにやけ顔になってしまう。
・・・あ、私、一人で笑ったりして気持ち悪い・・・・
冷静になったところで、彼からの手紙を丁寧に開いた。
それは、花里ちゃんが言った通り、
私が待ち望んでいたお花見の誘いの手紙だった。
・・・約束の日は、明後日。
私は、彼に手紙を書こうと選んでいた桜の絵半切で、すぐに快諾の返事を書いた後、
すぐに俊太郎さまとのお花見の準備を始めた。
着ていく着物に小物。
・・・お菓子は何を持って行こう・・・
―――
迎えに来てくれた俊太郎さまと一緒に置屋を出る。
手には竹で編んだ篭、今で言うカゴバックのようなものに、
前々日からあれこれ考えたお花見アイテムを入れ、
そこに蓋をするように風呂敷を被せたものを携えて。
「今日はええ日になりそうや」
「そうですね。お天気も良くて、本当に…」
「桜の下の○○はんをわてのもんにできて……ほんに、ええ日や」
俊太郎さまが言う"ええ日"の意味に、私は早速頬を色づかせる。
けれど、そう言われて嬉しくないはずがなくて・・・
「……私も……俊太郎さまとお花見ができて……とっても嬉しいです……」
はにかみながら素直な気持ちを伝えると、
指先を握られる感触がして、どきんと心臓が跳ねる。
その指が、握った私の指先を優しく引き寄せる。
手のひらが合わさって、二人の指が一本づつ交互に絡み合う。
大門に向かって島原の町を二人寄り添い歩いていく。
周りにも、手を繋いだり、腕を組んだりして、
仲睦まじく連れ立って歩く男女の姿がいくつか見えた。
きっとみんな、贔屓の旦那様と一緒に花見に行くのだろう。
私達も、あんな風に仲のいい恋人同士に見えているのかな・・・
・・・そうだといいな。
――京の町の大通り出るとだんだんと人気が多くなってきて、賑やかになってくる。
島原から一緒に出てきた恋人たちも、
町を歩く周りの人達も皆、同じ方向へ向かっているようだった。
この先には、各地から見に訪れる人がいるほど有名な桜の名所がある。
きっと俊太郎さまもそこへ行くつもりなんだろうと思っていたのだけれど・・・・。
その名所に行くにはもうすぐ見える曲がり角を右に曲がる。
人の波もこぞってそちらへ流れていく。
けれど、俊太郎さまはその曲がり角を見向きもせず通り過ぎ、ひたすら前に進んでいく。
不思議に思いながらきょろきょろする私に気付いた俊太郎さまが、
私の顔を覗き込んで問いかける。
「どうしはりました?」
「あ、いえ……あの、今日は、お花見に行くんですよね?」
「へえ」
「……だったら、名所を通り越してしまったような気が……」
「そうどすな。あそこの桜も見事やけど……
今日は、誰でも知っとる人で賑わう名所の桜やのうて、
人知れず咲く桜を○○はんに見せたいんや。
あんさんと二人で見たい桜があるんどす。
まだ少し歩きますけど、付き合うてくれますか?」
後篇へつづく>>