●○短篇○●

□主人と執事の関係〜sweet dreams〜
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〜#1〜





――満たされない。




この感じはなんだろう。




両親の愛情を一身に受け、何一つ不自由なく育った。

欲しいものは望めば何でも手に入った。

毎日美味しい食事が食べられる、ふかふかの温かいベッドで眠れる、

足りないものなんて何もない。

充分過ぎるくらい、幸せ。

幸せな、筈。

なのに…




満たされない。




この感じは何なんだろう――







〜〜〜



民家を離れた小高い丘の上。

下界を見下ろすようにそびえ建つのは、現代の時世に似つかわしくない古城を模した大豪邸。

立派な彫刻の施された重厚な正門から、屋敷まで歩いて行くには僅かに遠く。

けれども、その長い道程も訪問者を飽きさせはしない。

屋敷へ繋がる小道へと一歩足を踏み入れたなら、

世にも珍しい草花達が織り成す庭園に無条件に目を奪われる。

それはまるでお伽話の不思議な国へ迷い込んだかのよう。



このまま不思議の国へ誘われてしまうのではと不安にかられる頃、

目の前に現れる屋敷の表扉にもまた、

豪華絢爛な装飾が施され、制服を着た使用人が恭しく頭を下げ出迎えてくれる。


屋敷内には、値がつけられないほどの美術品があちらこちらに鎮座し、部屋数は数え切れない。

長年の住人ですら未だ立ち入ったことのない部屋まであるほど。

とにもかくにも、贅沢の極みを尽くした大豪商の館である



〜〜〜







―――



冷たいコンクリートの壁に囲まれた屋敷の最上階。



私の鳥籠。



古臭くて時代遅れの住みにくい家。



ここからは贅沢を尽くした庭園の全貌が見渡せる。



大好きだったアニメ映画のような庭が欲しいと、私の我儘で造らせたものだった。



幼い頃はよく遊んだけれど、今では立ち入ることもない。



籠の底を惜し気もなく埋め尽くすのは、足先が埋まるほど毛足の長い歩きにくい絨毯。



レース生地が滑らかなたわみを描いて四方を取り囲むのは、一人で眠るには大き過ぎるベッド。



海外から取り寄せた、見かけばかりの使いにくい調度品。



己の豊かさを見せびらかすためだけの煌びやかな装飾品の数々…



人はそれをこぞって欲しがるというけれど。



私にとっては、この不自由の欠片もない籠の中がどうしようもなく息苦しい。



閉じられた窓を開け放ち、肺を刺すような冷気を深く吸い込んでみても、



それは変わらなくて。



星の見えない灰色がかった半端に黒い空。



そこに向かって吐き出した私の重たい息は、冬の澄んだ空気に白く濁って現れて、



直ぐに消えてった。




・・・・私も、あんなふうに一瞬で消えちゃえば・・・・




昼間は気丈に保っている心が温度を無くしかけたその時――



―カチャリ―



静かに部屋のドアが開き、品のある足音がこちらに近づいてくる。




「――夜更かしは美容に差し障りますよ」




冗談を言う穏やかな声が、冷えかけた心に温度を戻す。




「あなたのお話がないと、眠れない」




子供のようなことを言う私を諭すこともせず、彼は慈愛の微笑みをくれる。




「ホットミルクもお持ちしましょうか」




言いながら窓を閉める彼に頷いて、私はベッドへとエスコートされる。





人肌の温度に調整された甘くないホットミルク。



一口含み、そのマグカップを両手で包むように持って、



期待に胸を膨らませる私の足元に毛布をかけてから、



彼はいつものようにドレッサーの椅子をベッドサイドに引き寄せ、そこに腰掛ける。



いつも見上げる彼と視線が同じ位置になるこの瞬間がとても居心地が良い。




「ねぇ、今日は何のお話?」



「はい。…では、今日は――」




誰にも邪魔されない二人だけの時間。



ホットミルクなんかより、彼の優しい声が私を穏やかな眠りへと導いてくれる。




彼は物知りだった。



空はどうして青の?雲はどうして浮いてるの?



私が幼かった頃、無邪気に投げ掛けた素朴な疑問にも分かりやすく答えてくれた。



そして、私が大人になった今でも。



海を渡った遠い国の話、最先端の技術のこと、未来の話…



鳥籠の中で育った世間知らずな私に、彼はたくさんのことを教えてくれた。










「――今日はここまで」



「え〜」




口を尖らせる私を宥めながら肩までしっかり毛布を掛け、彼はこう言う。




「お休みなさいませ、お嬢様。良い夢を――」



「……おやすみ」




―パタン―




薄れてゆく彼の気配を惜しんで、閉まったドアをしばらく見つめていたけれど、



瞬きをする度にだんだん瞼が重くなっていって…



私は優しく夢の中に誘われる。
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