●○半篇○●

□約束の黄色い花
1ページ/1ページ

今、彼に向かって振り落とされようとしている鈍く光る刃に、



私は狂ったように叫んでいた。




「お願い!殺さないでっ!」




引き離される力に全身で抵抗しながら、



怒りと悲しみと悔しさの涙でぐちゃぐちゃに歪んだ顔で。




「俺を恨んでいいから!」



「離してっ!俊太郎さまを殺さないでっ!……俊太郎さま!」



「だめだっ、○○!俺を見ろ!」




翔太くんの懸命な声も、私には何一つ届いていなかった。




「いやあっ!」




目の前に構えられたカメラを地面に叩きつけるように振り払った。




「○○…っ!」




必死に止めようとする翔太くんを突き飛ばして、



立ちはだかる牢番に体当たりして、



敵うはずかなくて、弾き飛ばされて、地面に叩きつけられて、



それでも何度も何度も何度も・・・・



転んでは立ち上がり、足も手も擦り剥いて、泥だらけになって、



繰り返すうちにだんだんと足がもつれてきて、



うまく力の入らない足がそれでも動くのは彼を失いたくないという強い想いだけ。




「お願い!……殺さないでっ!」




我を失って猛進する体が突然宙に浮く。



体格の良い一人の獄吏が私を軽々と肩に担ぎ上げてた。



身を捩り手足をばたつかせ、キリキリ痛む喉で彼の名を叫ぶ。




――さいならや――



穏やかな声が聞こえた気がした。






――――



柔らかな草の上に下ろされた頃には、潰れた喉から声にならない声がわめいているだけだった。




「あとは頼むぞ」




私を担いできた獄吏は翔太くんにそうひと言告げ去っていった。



彼に一礼してそれを見送った翔太くんが傍に駆け寄る。




「大丈夫か、○○。少し乱暴にしてごめんな……

あの人、龍馬さんの知り合いなんだ。許してやって……」




そんな声を遠くに聞きながら、私はようやく全身を苛む無数の痛みを感じていた。




ここは獄舎からはだいぶ離れた河原。



町を焼く炎も遠い。



私がここに連れて来られるまでの間に、俊太郎さまは――



背筋がすうっと冷たくなる。



体が勝手にカタカタ震えだす。



呼吸の仕方を忘れてしまったようにうまく息ができない。







――――



あの日からもう三日経つらしい。



その間どう過ごしたのか、あまりよく覚えていない。



翔太くんはずっと一緒にいてくれたみたい。



「なぁ、○○。未来に帰ろう。
きっと古高さんもそれを望んでるはずだよ。だから……な?」



翔太くんの言葉に、私はふるふると力なく首を横に振った。



私が叩きつけたカメラは、幸い部品が外れた程度で、組み立て直せば問題はなかった。



だけど




「私は帰らない」



「○○……」




翔太くんを困らせているのはわかっているけれど、私にはどうしても帰れない理由があった。




「怖いの」



「……怖い?」



「カメラを使うのが、怖い…」



「あぁ……確かにまた元の時代に戻れるって保証はないけど」



「そうじゃない……そうじゃなくて……」



「じゃあ…何が怖いんだ?」



「忘れちゃったら、怖いの。俊太郎さまのこと………」




居住いを正して、翔太くんに正面から向き直る。




「カメラを使って、ちゃんと元の時代に戻れたとして……

この時代で過ごした記憶ってちゃんと残ってるの?

タイムスリップして見聞きしたこととか、体験したことって、消されちゃったりしないのかな」




迫るように話す私にますます困惑する翔太くんにも構わず、溢れる想いをぶつけた。




「俊太郎さまのこと、私が覚えていてあげなきゃ!」




彼は新選組に捕縛されてから、一夜にして悪者になってしまった。



枡屋の主人として慕っていた人達も、彼に心を寄せいてた花街の女の人達も、



彼を謀反人だ、恐ろしい罪人だと罵った。



彼が自白して仲間を裏切ったという間違った汚名も、今の乱世の中では晴らす事は難しい。



だから、彼が、彼らが認められる世の中になった時・・・



古高俊太郎は謀反を企てるような人じゃない



誇り高い志をもった勤王志士だって



古高俊太郎は仲間を裏切るような人じゃない



誰よりも仲間の痛み苦しみを解るひとだって



みんなから信頼されて愛された人なんだって



そして、私の恋人はとってもとっても優しい人だって




「みんなに教えてあげなくちゃ。
私が、本当の俊太郎さまを覚えていてあげなきゃ……。
この時代で過ごした記憶が元の時代に戻っても残ってるかどうかなんて
やってみなくちゃわからないでしょう?そんな賭け事みたいなこと、私できないよ……。
俊太郎さまのとのこと、曖昧な記憶にしたくない…しちゃだめなの。
……今だってね、初めて逢った日のことから全部昨日のことみたいに思い出せるんだよ……」




初めて出逢った日に聞かせてくれた笛の音。



彼の大人な振る舞いにいちいち戸惑ったりもした。



ファーストキスも刺激的すぎて驚いたけど。



何の取り柄もない、ちっぽけな少女を愛して。



彼が幸せだったこと。



間者としてただ身も心も擦り減らして生きただけじゃない。



短い時間だったかもしれないけど、彼にも幸せな時間があったってこと。




「私が忘れちゃったら、俊太郎さまの幸せな瞬間が全部なかったことになっちゃう……

そんなの、絶対にダメ!」









―――


この時代に残ることを決めた日から、



流れる月日は彼が居ないことなど素知らぬ顔。



翔太くんは、○○が残るならオレも残るって、



一度は別れを告げた龍馬さんと、また全国を走り回っている。



私も変わらぬ日々を過ごしていた。



ひと夜の夢を見にやってくる人達に、笑顔と幸福を与えながら。



私にとってあまりにも大きすぎた彼の存在は、それを失ったことを実感させなかった。



今夜も待ってる、あの人からの逢状を。



だから寂しくなんかなかった。



だから泣くこともなかった。



月日だけがただ過ぎていく。



二度と彼が来ることはないのを頭のどこかで知りながら。





―――そして


訪れる彼のいない初めての夏。



あの日からちょうど一年経った、夏の暑さが一層厳しくなった頃、



私が訪れたのは毘沙門堂。



俊太郎さまと夢のような少しの日々を過ごした後は一度も訪れていなかった。



彼と眺めた紅葉にはまだ早いけれど、瑞々しく茂った青紅葉が涼しげだった。




「遠いとこ、ご苦労様でした」




私を出迎えてくれた女中さんが、大福とお茶を出してくれる。



それを見て、懐かしさと何か込み上げるものを感じ、



それに飲み込まれる前に無理やりに意識を逸らした。




「紅葉も綺麗ですけど、青紅葉もいいですね…」



「夏は夏で、涼しげでっしゃろ」








しばらく二人で他愛のない話をしていると、参拝客が訪れたらしく、女中さんが席を外す。




独りになった部屋で、何気なく縁側に歩みを進め、美しい青紅葉を独り眺めながら、



ふと彼を思い出す。



生温い風が木々たちを揺らし、さわさわと葉が擦れ合う音に聞き入って、



そのうちに、なんだか心地良くなってきて――――





――ふ わ り――


優しくて、柔らかで、どこか甘い蜜を湛えたような春風に全身を撫でられ、



ゆっくりと、意識が鮮明になる。



靄がかかったような白い空に、近くに水のせせらぎが聞こえる。



身を起こすと、私は花々に囲まれた中にいた。



足首ほどの背丈の黄色の小花たちが、際限なく続く平野に見事に咲き誇り、



辺りは淡く金色に包まれている。



・・・・ここはどこだろう・・・・



おもむろに立ち上がり辺りを見回した先・・・・遠くの陽だまりの中に人影を見つけた。



目を凝らし、その正体を確かめるけれど、


多分、それはひと目見た瞬間にわかっていた。



だけど信じられなくて、一歩一歩確かめるように近づいて、確信を持つと足が勝手に駆け出す。



手を伸ばして、お互いをぎゅうっと抱きしめ合った。



痛み、苦しみ、悲しみなどひとつもない世界。



ひたすら感じるのは、手放しの幸福。



満たされる心が、ここがどこなのかを教える。




「俊太郎さま…」



「○○」




逢いたかった、と互いの温もりを確かめ合う。




「辛い思いをさして、すんまへん…」




彼の腕の中で首を横に振る。



私も、俊太郎さまにずっと謝りたいことがあった。




「私の方こそごめんなさい。……未来に帰らなかったこと怒ってる……?」



「怒ってへんよ。○○が決めたことやったら、それでええ」


「ふふ、よかった」




確かにここにある彼の笑顔は、変わらずどこまでも優しかった。




「それから……俊太郎さまとの約束、守れなかった……ごめんなさい……」



「わても、○○との約束を守れへんかった」



「私が危険な目に遭ったら、俊太郎さまを売るって、約束したのに……私、できなかった……」



「世の中が落ち着いたら、○○と未来に行くて約束したのに、

わてはそれまで生き長らえることができひんかった……」



「ううん、俊太郎さまは私との約束をひとつ守ってくれました。お嫁さんにしてくれるって。
○○はもうわての嫁はんやって言ってくれたの、私、凄く凄く嬉しかったんですよ?」



「そうや、○○はわての嫁はんや」




抱き合ったまま、私達はあの頃のように微笑み合った。




「わてのことは心配せんでええ。なんの間違いか知らんけど、こうしてええとこに居る」



「間違いなんかじゃありません。

お釈迦様はちゃんとわかってくれたんです。俊太郎さまは悪い人じゃないって。

………私がここに来るまで、それまでちゃんと待っててくださいね?」



「もちろん。百年でも二百年でも…千年だろうと、

わては○○に恋い焦がれながら、ここで待ってるよ」



「……浮気、したら許しませんよ」



「ははは、そないな余裕はあらへんよ。

今でもわての心は○○のことでいっぱいや。○○への愛で溢れとる。

わての心は永遠にあんさんのもん。……せやから、焦らずに、ゆっくり、おいで」










―――


「――ん?……○○はん?」



揺り起こされると、目の前では青紅葉がさわさわ揺れていた。



・・・なんだ、夢か・・・




「すみません、うとうとしちゃって…」




陽が傾き始めていた。



島原までお供を付けましょうと気遣ってくれた女中さんにお礼を言いながら立ち上がって、



足元に落ちた何かに気付く。



拾い上げてどきりとした。



さっき、夢の中で見た黄色の花。




「……福寿草どすな」



「ふくじゅそう?」




女中さんが教えてくれた。



福寿草、春の訪れを告げる花。



この時期には咲くはずのない花。




「不思議なこともあるもんどすな…」




自然と笑みがこぼれた。




「……夢じゃなかった……」



「え?」




聞き返す女中さんに笑顔で首を振って、



黄色い約束の証の花を懐紙に挟んで、そっと懐に仕舞って、茜色に染まる空を見上げた。




・・・必ず、そこで待っててくださいね・・・






おわり☆ミ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ