●○半篇○●

□秋季によせて〜恋文
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清々しい秋晴れの空から差し込む柔らかな陽の暖かさに、


眠気を誘われるような小春日和の一日。



とある宿屋の一室、予定外にできてしまった暇を持て余す。






今日は枡屋の主人として、大坂まで来ていた。



たまには店のほうもまじめにやらないと、また番頭はんの機嫌を損ねる。



本来ならば数人と商談を交わし、三日ほどで京へ帰る予定だったのだけれど、



商談相手の一人が道中豪雨に見舞われ、道が崩れ落ちてしまったらしく、



別の道を迂回してこちらに向かっていて、あと数日かかるとのこと。



滅多にない大きな取引だ、このまま帰ってはそれこそ番頭はんに何を言われるかわからない。



ただ小言を言われるだけなら慣れているし、今日はどう言いくるめてやろうかと密かな楽しみでもある。



仕方なく滞在を長引かせることにしたのは、



心のどこかでわてを警戒している番頭はんのあらぬ疑いを避けるため。






今、京は紅葉真っ盛り。



おそらくわてが京に帰る頃には、鮮やかに色付き人々に愛でられていた木々達も、



誰も見向きもしない寂しい姿になってしまっていることだろう。



今年はあの娘と紅葉狩りを愉しむのは難しそうだ。



…そうだ。



大坂の菓子でも手土産に、散紅葉を見に行くのもいいかもしれない。





どんな菓子がいいか考えを巡らせながら、



その時のあの娘の可愛らしい笑顔を想像して頬を緩ませていると・・・・



ふわり



どこからともなく甘い香りが鼻孔を掠めた。



誘われるように丸窓の障子を開けると、香りの根源は品良く整えられた庭の中、



隅の方に控えめに佇んでいた橙色の小花をあまたつけた金木犀だった。



乾いた空気と共にすうっと大きく息を吸い込んで、その甘香を胸いっぱいに感じる。



…まるで○○はんのようや…



ちぃこくて可憐で、下手に触れればその花片を落としてしまいそうで…



そやのに、その見た目からは想像もつかへんくらいに驚くほど強く甘く香って…



一度その香りに触れてしまったら、脳裏に焼きついて忘れられへん…



わての身も心も陶酔さして、どこまでも翻弄し続ける…





その酔香をもっと近くに感じたくて、庭に降り立つ。



見上げるほどの立派な木なのに、つける花は指の先に乗るほどに小さなもの。



その可愛らしい姿を愛でながら、恋しくて仕方ないあの娘を重ね想いを馳せる。



…今日も元気にしとるやろか。
朝晩はよう冷えるし、体を壊して辛い思いはしてへんやろか…



愛らしい笑顔を見つめていたい。



この腕で抱きしめたい。



柔らかな肌に触れたい。



…早う、逢いたいなぁ…



そんな独り善がりの世界に、ぼんやり意識を投げかけた時だった――




「――失礼します」




想像の中の甘い世界から引き戻すように、部屋の方から声がかかる。



襖から控えめに顔を覗かせたのは、この宿屋の女将だった。



庭先から返事をすると、傍まで来て愛想の良い笑みを浮かべ頭を下げる。



用件は夕げの時間帯のことだった。



適当な時間を指定して、少しの間他愛ない話をする。




「立派な金木犀どすな」



「おおきに。ええ香りがしますやろ」



「ええ、とても……」




サササ



不意に強く吹いた秋風が金木犀の小花を一片落とす。



地面に落花したそれを見て、ふと、あることを思いついた。




「…せや。ひと枝、貰うてもええやろか」



「構しまへんけど……気に入らはったのなら、部屋に生けましょか?」



「いいえ。すぐに花を落としてしまいすさかいに…」



「……?」




わての返答に不思議そうにする女将に笑って言葉を付け足す。




「京に置いてきた仔猫に贈ってやろうと思いまして」



「仔猫に………?」



「おいてけぼりにされて…今頃、寂しい寂しいと泣いとるやろうから……」



「ふっ…ふふふ、猫に花を贈るやなんて、おもろいひとやね、枡屋はんは」



「いつも綺麗なべべを着たかいらしい娘(こ)で…

この金木犀の花のようにかいらしくて、甘い香りがしますのや…」



「着物まで着せて…ますますおもろいひとや。……いっぺん見てみたいもんやね、その仔猫はん」



「…へえ、次に来るときは連れて来まひょ」



「おほほ…楽しみにしときますわ」




女将はわての話を冗談半分にあしらって、面白おかしそうに笑いながら部屋を出ていった――









目立たない中の方の小枝をひとつ手折り、部屋に戻る。



半紙を広げたところに優しく指で払うようにして枝から花を落とし、



それを薬包みの形に折り畳んだ。



そこに添えることばをと思案してみれば、次から次へと溢れでる想いは止まることを知らず、



それらをすべて認めていては、この文があの娘の元へ届く頃には、



折角の香りが消えてしまっているだろう。



仕方なく簡潔に近況を綴った後に、溢れる想いを控えめに添えた。







*****




彼のように品があって、柔らかで、



いつでも私に幸せを届けてくれる文字。



崩し字の苦手な私のために、一文字一文字丁寧に書かれている。



そのささやかな心遣いが、存分に甘やかされて愛されているのだと思い知らされ、



今日はそこに、ときめく胸ほど甘い香りが添えられていた。





手紙には、こんなことがかかれていた…




予定よりも帰る日にちが延びてしまいそうだということ、



今年は山々を彩る紅葉は二人で見に行くことは難しいかもしれないことに対する謝罪の言葉に、



その埋め合わせに散紅葉でも見に行こうかとの逢引きのお誘いから、


美味しいお菓子を買って帰るから楽しみにしていてくださいと。



それから…



秋の風情を貴女と感じることができないのが寂しくて
せめて私と同じ秋を感じて欲しくてこれを贈ります
今世話になっている宿屋の庭にあるとても立派な金木犀の木
秋風が運んでくれるこの甘い香りにあなたの姿を映し毎日寂しさを凌いでいます




離ればなれの日々、寂しいのは私だけじゃないのを知って、それが何より嬉しかった。



胸がほんのりと温かくなるのを感じながら、同封されていた小さな包み紙を手に取る。



薄紙に透けて見えるオレンジ色の可愛らしい小花。




「……いい香り……」




鼻を近付け、その甘香を胸いっぱいに吸い込む。



そして、遠い大坂のどこかで同じ香りを感じている彼を想いながら、



文末に綴られた言葉を何度も眺め、だらしなく頬を緩める。




早くあなたに逢いたい




私もです…




小さく呟いて、香る包みを帯の間に挟んだ。




「…早くお返事、書かなくちゃ…」






おわり。
 

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