●○半篇○●

□隠忍自重
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【隠忍自重】いんにんじちょう
怒りや苦しみなどをじっとこらえて、軽々しい行いをしないこと。
また、そうするべきであるとする戒めの語。
「隠忍」は辛さなどを表面に出さないで、じっと耐え忍ぶこと。本当の気持ちを秘めて、こらえ忍ぶこと。
「自重」は自分の行動を慎むこと。






―*―*―



今日は、俊太郎さまとお出掛けをする約束の日。



いつもの待ち合わせ場所に当然のように先に来ていた彼を見つけ、



春の陽気も手伝って、スキップしてしまいそうなくらい弾む心を精一杯大人ぶって覚られないようにして…



目的地は、町外れにある料亭。



部屋から見えるお庭が春夏秋冬で表情を変えるとても素敵なところで、俊太郎さまとは何度も来たことがあるし、私もお気に入りの場所。



前に来たときは、雪化粧をしたお庭が幻想的でとてもきれいだった。



今頃は梅が丁度見頃でしょうね、そんな話をしながら俊太郎さまは『いつも同じ場所ですんまへん』なんて申し訳なさそうに言うけれど、



彼と居られるならどこだっていい。



こうやって並んで歩けることすら私にとっては嬉しくて幸せで仕方ないのだから。








――そんな機嫌良く俊太郎さまの斜め後ろを歩く道すがら…



数日ぶりに見るその姿に、つい目を引かれてしまった。



二、三日留守にすると言って置屋を空けていた秋斉さんだった。



毎日顔を合わせているひとだから、たった数日とはいえ会えないのは寂しいもので。



だから、無意識だった…。




「――あっ…秋斉さんっ!」




明るく張り上げた声に振り返った彼が私を見つけて双眸を細める。




「おかえりなさい!」



「――ただいま。……ああ、今日は枡屋はんとの日やったね」




秋斉さんは置屋を留守にする時いつも、その間みんなが困らないようにと逢状の振り分けなどもすべて手配して出ていく。



当然、今日私が俊太郎さまとお出掛けする事も秋斉さんの采配なわけで。




「枡屋はん。いつもご贔屓にして頂いて、おおきに」




愛想よく挨拶をする秋斉さんに、俊太郎さまは私の後ろで軽く頭を下げた。




「ほんなら、○○はん、枡屋はんのお相手、失礼のないようにな。……ほな、ごゆっくり」




踵を返した秋斉さんの少し疲れた後姿に、はたと思い出す。



慶喜さんから頂いたお菓子を秋斉さんの分も取ってあるので、帰ったらお茶と一緒にどうぞ、



それを伝えようと、去っていく藍色の背中を呼び止めようとして――




「あき…っ!」




突然、手首に痛みが走る。



すぐには何が起こったのか理解できなかった。




「どこに行かはるの」




その声に振り向くと、手首の痛みは俊太郎さまが私を引き留めたものだとわかって、彼らしくない行動に驚く。




「え…。あ、あの…秋斉さんに、ちょっと言い忘れたことが…」



「……それは、今やないとあきまへんか?」




…確かに。



俊太郎さまの言う通り今じゃなくてもいい。



それに、きっと秋斉さんが帰ったら番頭さんがお茶を用意してくれるだろうから、その時に一緒に出してくれるだろうし。



わざわざ私がここで言わなくてもいい。




「………いえ」



「そやったら、わての傍を離れんといて。今だけは、わてを○○はんの一番にしておくれやす」




その言葉に、ズキリと心が痛んだ。



そうだった。



今は俊太郎さまとの大切な時間だった。




「………ごめんなさい」




さっきまでの飛び跳ねたくなるような気持ちは、本当に飛び跳ねてどこかへ飛んでいってしまったみたいだった。



・・・・俊太郎さまに嫌な思いさせちゃった・・・・



いつまでたっても思ったままに行動してしまう子供な自分が不甲斐なくて、ガックリ落ち込む。








――――


気まずい空気感を引きずったままお店に到着すると、予想通りお庭には梅の花が見事に咲き誇っていて、紅梅と白梅の対比がとてもきれいだった。



それを俊太郎さまのどこか寂しげな背中越しに眺めながら、せっかくの楽しい時間を自ら壊してしまった罪悪感にひとり打ちひしがれる。




「――○○はん…」




呼ばれた名前にはっとして、慌てて表情を取り繕った。



・・・・落ち込んでる場合じゃない!・・・・



失敗しちゃった分、取り戻さないと…。



梅がきれいですよ、と縁側に誘う俊太郎さまに笑顔を携え傍へ寄る。



すると、背後からふんわり包まれ、ぽやっと体温が上がるのを恥ずかしがる暇もなく、そのまま腰を下ろした俊太郎さまと一緒に、私は必然的に彼の胡座の中に。




「あっ、の…私…重いから…」



「まだ、あん人のこと考えてるの?」



「え…」



「やっぱり、わては○○はんの一番にはしてもらえへん?」




少し掠れたような声が切なさに拍車をかけ、きゅうっと胸が締め付けられた。




「さっきは、本当にごめんなさい…」



「責めてるわけちゃいます。ただ……。

情けをかけて欲しいだけ…。明日は身を切る思いで、堪え忍びますよって…」



「…?」



「あん人の誕生日……お祝い、しはるんやろ?」




ほんの少し、私を囲う俊太郎さまの腕が狭くなった。




「優しいあんさんのことや。ここんとこはずっと、あん人の喜ぶことをと、あれこれ考えてはったんやろう。
そないなふうに、○○はんに想われて……恨めしいんや。
せやけど、悋気を起こしたりして、器の小さい男やとあんさんに嫌われとうなくて…
大人ぶって、余裕なふりして笑っとくんが精一杯や。ほんまは余裕なんてひと欠片もあらへんのに…」




この部屋には私達二人しかいないのに、私にしか聞こえないような俊太郎さまの小さな声。



それがまた切なかった。



けれど、次に続けた声はいつも私をからかう時のような妖艶な色香を含んだ声色だった。




「…今はわてだけを想うて…」




行儀よう待っていられたら、ご褒美をくれはる?



さらに冗談めかしてそう言うから、私も笑みが零れて素直な気持ちが思わず口を吐いて出た。




「…イ…バ……です……」



「…ん?」



「俊太郎さまは、いつでも、私の………イチバン、ですから……」



「………。ほんなら……わてのもんやと、印をつけてもええ?」



「っ…。……み、見え、ない、ところだ…っ!!」




返事を最後まで聞かず、俊太郎さまは私の衿に手をかけ大胆に広げると、露になった肩口をきつく吸う。



すぐ耳のそばで聞こえる濡れた音に鼓膜を侵されて腰が砕けそうになる。



これ以上彼を傷つけたくなくて勢いで承諾してしまったけれど、やっぱりこういうことはまだ恥ずかしさが勝ってしまう。



逃げ出したくなるのを唇を噛んでぐっと堪えていると、最後の仕上げとでも言うようにそこを、ちゅっ、とわざと大きく音を響かせるから、軽い眩暈がした。



そんな私の心中を知ってか知らずか、俊太郎さまは満足したと言わんばかりのくすり笑いを零し、自ら乱した衿元を整えてくれる。



ドックンドックン聞こえる自分の心音が余計に間を持たなくさせて、私はつい色気の無い言葉を続けてしまう。




「あっ、あき、秋斉さんのお誕生日には……その、純粋に、日頃の感謝の気持ちと、ありがとうを、伝えたいだけですから…」



「ふぅん…」




やっぱり違った。



そうじゃなくて、もっと俊太郎さまを安心させられるような言葉を言わなくちゃ…。




「だって!…秋斉さんがいなかったら、置屋で働く事もなかったかもしれないし、そしたら、俊太郎さまとも、きっと出逢うこともなかったから……それに!…お祝いは、置屋のみんなでしますし…別に秋斉さんと二人きりってわけじゃ…ない、し……」




頭の隅の方で”俺のこと忘れてないかい?”と拗ねたこがね色の髪の毛がなびくのが見えた気がしたけれど…。



それは俊太郎さまの突然の"それ"で吹っ飛んでしまった。




「だって、秋斉さんんぅっ!?!?!?!」




頬を包んだ大きな手によって強制的に後ろ向かされ、塞いだ半開きの唇をいいことに簡単に入り込んできた彼の"それ"



あまりにも突然過ぎて、こういう時は閉じるものだと教わった目はぱっちり見開いたまま。




「っ…はぁ…なっ…」




抗議しようとしたけれど、それは熱っぽい視線に射抜かれて喉の奥へ引っ込んでしまう。




「……それ以上、このかいらしい口で他の男の名を呼ばんといて。
印がひとつでは飽き足らんようになってまう……」




”○○はんがもっと欲しい言うんなら、わては構わへんけど”



キケンな熱を孕んだ言葉を鼓膜に吹き込まれ、私は固く口をつぐんだのだった――





おわり。

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