●○半篇○●
□初愛で
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もし、あの激動の時代を俊太郎さまが生き長らえたならば・・・。
晴れて夫婦となり、迎えた初めてのお正月。
そんな『もしも…』の先にあったらいいな、てなお話です。
(「三日月エンド」をご存知の方は、その後のお話と思っていただければよいかと)
除夜の鐘を聴きながら、愛しい妻の中に自身の煩悩を注ぎ込んだ後、
睦言も紡がぬまま、落ちていった夢の淵で、腕の中から仔猫が逃げていったような気がして、はっと瞼を開く。
微かな物音に気を立ててしまうのには、未だ少し慣れない。
早まった鼓動を落ち着かせるように、腕の中にあった温もり。
妻となった愛しい女(ひと)の寝顔を見つけ、強張った体から力を抜く。
寝返りでも打ったのか、布団から白く華奢な肩が覗いていた。
昨夜は熱いくらいに火照っていたのが、いまはもうすっかり冷えてしまって、
風邪を引かせてはいけないと、もう一度腕に抱き直し、首元までしっかり布団をかけてやる。
ふっと一息吐き、何気なく思った。
・・・・静かやな・・・
これほどに心穏やかな年明けは――
思い出すのも億劫なほど昔のことだ。
本来ならば、年越しは毘沙門堂で夫婦水入らず過ごしたいと思っていたのだが、
正真正銘、枡屋の主人となったいま、商売人が年の瀬に店を開けるわけにはいかず、
○○にも寂しい思いをさせてしまった。
もちろん、○○はそんな素振りひとつ見せはしないが。
こんな健気な妻に、正月らしいことをひとつくらいはしてやらなければ。
さてどうしたものかと思案していると、仔猫が母猫に甘えるような声が耳を擽った。
もごもごと何を言っているかはわからなかったが、幸せそうな寝言に緩む頬を好きなようにさせ、はたと思いつく。
二人で初日の出を見たい。
夫婦になって初めて迎える新たな年の始めには、これ以上なく相応しい。
未だ鳥たちも目を覚まさぬうち、逸る気持ちを抑え、心地良さそうに眠る○○の機嫌を損ねぬよう優しく揺り起こした。
寝ぼけ眼の○○を目の前に座らせ、ひとり胸を躍らせる。
「正月やし、明るい色合いのほうがええやろか……いや、落ち着いた色も似合うようにならはったしなぁ…」
呉服屋を開けるほど部屋一杯に広げた着物やら帯やらを、とっかえひっかえあてがっていく。
勿論、すべて私が○○に贈ったものだから、どれも似合ってしまってなかなかひとつに決められず・・・
そのなかに埋もれた○○が小さく欠伸をする。
「俊太郎さま?初日の出を見に行くって言っても、すぐ近所ですよ?
そこまでおめかししなくても…普段着でもいいくらいなのに…」
「いいや。わての自慢の嫁はんや。どんな時も、誰より、綺麗にしたあげたい。
すれ違う男たちが嫉妬するくらいにな…」
そう言うと○○は照れ臭そうにはにかんで、されるがままになった。
「――これにしまひょ」
東の空が薄明かるくなった頃、ようやく決まったひとつに、我が妻ながら惚れ惚れとする。
「ほんなら、行きまひょか…」
「あ、待って!お化粧…」
すっかり目を覚ました○○が慌てて鏡台に向かう。
「化粧なんてせんでも、○○はんは十分かいらしおすえ?」
「駄目です!…俊太郎さまは、私の、自慢の旦那さまなんだから……。
隣を歩いても恥ずかしくないように、綺麗にしないと…。
……俊太郎を見て振り返る女の人に、負けないくらい…」
きっと鏡の前で口を尖らせているであろう○○の拗ねた背中を見ながら、どこかで聞いた台詞やな、と思いつつ・・・
そろそろ出ないと、日の出に間に合わなくなる。
「わてが○○はん以外の女子に目移りすると思うてはるの?」
「それは……思って、ない、ですけど…ぁっ…」
少しだけ強引に小さな顎を捉え、唇を押しつけると、○○は手に持っていた化粧筆をぽとんと畳に落とす。
それを合図に腰を引き寄せ、舐り、吸って、絡ませ、甘く噛んで――昨夜、褥の上でしたそれと同じように・・・
座っているのもやっととなった頃合いで唇を離すと、潤んだ瞳でこちらを見上げた○○の唇も頬も紅を点したように染まっていた。
「…ん。これでええ。……さ、日の出が迫っとります。急ぎまひょ」
眉をハの字に曲げて上目遣いに睨む○○は何か文句を言いたそうだったが・・・
「そんな目ぇで見つめられると…口付けの続きをしたくなってしまうよ?
……それとも、それがお望みどすか?」
わざと耳許でそう言ってやると、○○はさらに頬を色づかせた。
ああ、かいらしい。
「さ、冗談はこれくらいにして。ほんまに急がへんと日が昇ってしまいます」
まだ拗ねた様子の○○を宥め賺しながら、ようやく家を出た。
――――
目的地に着くと同時に日が頭を出す。
間に合ってよかった、とほっと一息つく○○の姿が陽の色に染められていく。
「わぁ…すごい…」
その強い光をも跳ね返すほどに輝く○○の笑顔に見惚れた。
この世で一番美しく、大切なもの。
おそらく、新な年の始めに見たかったのは、初日の出などよりも、○○のこの笑顔だった。
「綺麗ですね!」
「へえ。ほんに、美しい…」
おわり。