●○短篇○●

□繋
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<繋〜逢行く>



「もしもし、翔太くん?」


「ああ、○○?どうした?」


「……私……明日、俊太郎さまに逢ってくるね……」





――私は、俊太郎さまに逢うことを選んだ。



俊太郎さまにもう一度逢える。



一度そう分かったら、逢いに行いたいと想う気持ちは止められなくなってしまった。



翔太くんから話を聞いた翌日。



もらった名刺に書かれていた電話番号にかけてみると、



そこに記されていた名前と同じ「橘」と名乗る若い男の人が電話に出た。



タイムスリップした話は、あまり人にするものではないと思っていたのだけれど、



話を聞かないことには依頼を受けられないと言われたので、



馬鹿馬鹿しいと、断れることも承知で、橘さんとも一度会って話をすることになった。



待ち合わせ場所は、翔太くんと会う時にいつも使うカフェ。




そうして、約束の時間に現れた「橘」さんは、



私や翔太くんと年齢はほとんど変わらないように見える、



二十代前半の爽やかで、誠実そうな好青年。



人好きのする笑顔に、とても人を騙したり嘘をつくような人には見えなかった。



会って早々、不躾かとも思ったけれど、



話をする前に、私はずっと気になっていたことを橘さんに聞いた。



「……あの……料金とかって……」



「ああ、そういうのは頂いておりません。

この仕事は僕にとって、生まれ持った使命みた
いなものなので。

報酬を目的にはしていません。

強いて言えば、依頼人が亡くなられた方ともう一度逢えてよかったと、

笑顔でそう言って頂けることが僕にとっての報酬です」



それを聞いて安心した私は、



カメラひとつで幕末にタイムスリップしてしまったという不思議な体験をしたこと。



俊太郎さまのこと。



全て橘さんに話した。



そんな信じがたい私の話を、彼はひとつも馬鹿にすることなどなく真剣な眼差しで聞いてくれた。



最後には僅かに瞳を潤ませながら。



「わかりました。ご依頼、受けさせて頂きます」



そう言って、依頼を承諾してくれた。





――当日。


私は久しぶりの和服を目の前に、首を左右に捻っていた。



現代で着物を買うには、私には高額過ぎて手が出ない。



だけど、どうしても着物を着て行きたくて。



私は貸衣装屋さんで着物を借りた。




まだ残暑の厳しいこの季節、



涼しげな白藍色の布地に水流模様の描かれた着物にするか。



季節を先取りした、



秋を感じさせる黄土色の布地に楓の描かれた着物にするか。



ギリギリまで迷ったけれど・・・・。



私は黄土色の秋を感じさせる着物に袖を通した。



懐かしさを感じながら、慣れた手つきで。



仕上げに、うなじがきれいに見えるように、すっと襟元を引く。



・・・・俊太郎さま好みの着こなし。





俊太郎さまとはある旅館の一室で逢うことになるらしい。



そこがガイドブックにもネット上にも名前のないことに少しの不安を感じながらも、



私は橘さんから貰った地図を見ながら、日付の変わる頃、指定された旅館に訪れた。



くねくね曲がった道をタクシーに揺られながら、山道を登りきった頂きに、ぼんやり灯る明かり。



決して目立つことなく、ひっそりと佇み、



それでいて、品格を感じるような高級感が漂い、



周りを木々に囲まれた隠れ家的な雰囲気の建物。



私がここにいるのが場違いのように思えてくる。



その雰囲気に圧倒されながら、恐る恐る中へと入っていくと、



すぐに、ロビーに橘さんの姿を見つけた。



橘さんも私の姿を見つけると、こちらに近寄ってきてくれて、



さっそく部屋へと案内してくれる。




客室の廊下はすべて赤絨毯が敷き詰められていて、



毛足の長いふかふかの絨毯の上を土足で歩くことに少しの罪悪感を感じながら、



橘さんの後ろをついていくと・・・・ある部屋の前で歩みが止まる。



「風の間」



という、表札が掛った格子戸の向こうに玄関あり、



その先にまた一つ、部屋に繋がる襖がある。



「……こちらのお部屋にお呼びしております」



そう言いながら、橘さんが格子戸に掛っている鍵を開ける。


・・・・この向こうに俊太郎さまがいる・・・・



緊張と嬉しさと不安が混じり合って、私の鼓動は急速に高鳴っていく。



「彼がこの世にとどまれるのは、夜明けまで。

……それでは。私は先程のロビーにおりますので」



そう言うと、橘さんは一礼してその場を去っていく。



私は小さく息を吐いて一歩踏み出す。



格子戸の内側から鍵を掛けると、草履を脱ぎ、靴脱ぎ石の端に揃えて置く。



襖の前に立ち、数回大きく息を繰り返しながら、高ぶる胸を抑え、自分自身に言い聞かせる。



・・・・絶対に泣かない・・・・



笑顔で始まって、笑顔で終わるんだ。



あの日、俊太郎さまと別れた時。



むちゃくちゃな泣き顔だったから。



今日は絶対泣かない。



ずっと笑顔でいるんだ。



そう心に決めて。



最後に一つ、大きく深呼吸をする。



そして、襖の引手に手を懸け、静かに開いた――。



その先には、二畳程の廊下のような狭い空間があり、両隣りに襖がある。



私は最初に、向かって左側の襖を数センチ開いてみた。



すると、暗がりの中に見えたのは、テーブルと座椅子のある居間のようなスペース。



半身を乗り出して中を覗いてみるけれど、そこには彼の姿はなく。



今度は、反対側の襖をまた数センチ開けてみる。



すると、部屋には間接照明の仄かな光が、空間を淡い橙色に照らしていた。



そこにも彼の姿は見当たらない。




疑念と不安の気持ちが強くなりかけた時・・・



どこからともなく吹いてきた風に乗って、



鼻を掠める甘くほろ苦い香りが再び私の鼓動を速める。



その香りに導かれるように視線を上げると、部屋の中には左右に開いたもう一つの襖。



その先に、またひと部屋あるようだ。



私は部屋の中に入り襖を閉め、奥へと歩みを進めて行く。



そうして、奥の間の敷居を跨ぎ、一歩踏み入れた時――




――窓の開け放たれた縁側にひとつの後ろ姿。



月明かりに照らされた情緒ある庭を眺める優雅な立ち姿。



夜風になびく癖のない柔らかな黒髪。



袖に千鳥掛けの施された特徴のある黒色の着物。



「っ…」



その姿を一目見ただけで、私の決心はあっけなく崩れた。



零れる嗚咽を両手で抑えながら涙が次々と頬を伝っていく。



その気配に気付いた彼が、こちらをゆっくりと振り返り、私を見てふわりと微笑む。



「……いつまでもそないなところにおらへんで。

早うこっちへ来て、わてにかいらしい顔を見せておくれやす」



次の瞬間、私は駆け出し、そのままの勢いで彼の広い胸に飛び込んだ。



「俊太郎さまっ……」



「○○」



私の名を呼ぶ鼓膜をくすぐるような甘い声。



私の心をいつも穏やかなものにしてくれる彼が纏う沈香の香り。



私を痛いくらいに抱き締める力強く逞しい腕。



私の全てを受け止めてくれる広い胸。



私を包み込む優しくて温かな体温。



私の大好きなもの。



全部覚えている。



あの時のまま。



何ひとつ変わらない。



・・・・俊太郎さま・・・・



今ここに彼が確かに在ることを感じる。



身を震わせながら胸元に顔を埋めて泣きじゃくる私に、



くすりと上品な笑みを零し、俊太郎さまの優しい声が呟く。



「相変わらず○○は泣き虫やなぁ」



「ぅうっ…ごめ、ごめんな、っさい……」



「ええ、ええ。泣かんでとは言わへん.。

○○をこないに泣かせてしまうんは、わてのせいや。

あんさんのことやさかい、今まで辛くとも涙を我慢しとったんやろう。

……せやけど、今日はその涙をわてが拭ってやれる。

我慢せんで、気の済むまでわての腕の中で泣いたらええ」



「んぐっ…ひくっ…うぅ……」



相変わらず過保護すぎるほど優しい俊太郎さまに、



自分ではもう涙を止めることができなくなってしまった私は、


俊太郎さまの腕の中で子どものように甘えながら、しばらく泣き続けた。




――その間も俊太郎さまは飽きずに私の頭を撫で続けてくれていた。



その懐かしい心地良い感触と、全身を包み込む優しい温もりに、



私は少しずつ落ち着きを取り戻す。



腫れぼったい瞼をゆっくりと上げると、愛おしそうに腕の中の私を見下ろす俊太郎さまと目が合う。



「…ふっ」



すると、俊太郎さまは突然吹き出すように笑って、私の鼻の頭を人差し指でつつく。



「鼻の頭まで赤こうして……かいらしい」



「え…」



私は慌てて自分の鼻を手で覆う。



「それに、女の色気がまた増したようや。

落ち着いた色の着物もよう似合うようにならはった。……うなじも色っぽい……」



すいっと首裏を撫でられて、自分でも顔が赤くなっているのが分かる。



「今度は、耳も赤こうなった」



流れるように矛先を変えた彼の指先は、色付いた耳縁をそろりとなぞり、



その感触に背筋をぞくりとさせた私は、身体中に熱を持った。



「…っもう!俊太郎さまがそんなこと言うからです!」



拗ねたふりをして俯く私を見て、俊太郎さまはますます上機嫌に笑う。



「はは……やっぱり○○はかいらしい」



言いながら、きゅっと抱き寄せられ、また涙が込み上げそうになる。



からうような声も瞳も、悪戯な指先も。



一瞬にして私の熱を上げさせてしまう妖艶な仕草も。



それに翻弄されっぱなしな私も。



何ひとつ変わらない。



二人ともあの時のまま。



それが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。



話したいことは数えきれないほどあったはずなのに。



こうして俊太郎さまを目の前にして、声を聞いて、その温もりに触れたら・・・・



・・・・全部忘れてしまった。



そんな私の代わりに、俊太郎さまが口を開く。




「……ずっと気になっとったんや」



「……?」



「わてのしてきたことは、○○が暮らしている未来の平和の礎にどれだけなれたんか……」



そう言いながら、俊太郎さまはどこか懐かしむような眼差しで、夜空に浮かぶ月を見上げる。



そんな彼を見上げる私は、青白い月光を浴びた妖艶な横顔につい見惚れてしまう。



「現し世におらへんでも、○○のことはよう分かる。

今、泣いてはるのか、笑うてはるのか。泣きたいのを我慢して笑うてはるのか……。

……今日も着物の色を、白藍色と黄土色で悩んどったことも」



驚きに目を見開いて俊太郎さまを見つめると、



悪戯っぽく笑った直後の瞳に、僅かに寂しげな色が浮かぶ。



「心を寄せればあんさんが目の前におるように分かる。

せやけど、今の世の中がどないになっとるのかまでは分からへん。

それが気がかりやった。○○は平和な未来で暮せとるのやろうかと。

○○が幸せに暮せとるならば、何も心配することはあらへんのやけど……」



愛しさと切なさが綯い交ぜになったような、複雑な色の瞳が私を見つめる。



「……○○は、今幸せ?」




・・・・・今、幸せかどうか。



俊太郎さまが隣にいてくれたら。俊太郎さまの隣にいられたら。



どんな逆境にいても、何も迷うことなく幸せだと言える。



俊太郎さまのその質問に、瞬時に私の頭の中に出てきた答えは『いいえ』だった。



けれど私は・・・・・



「はい、幸せです」



笑顔で俊太郎さまにそう答えた。



「俊太郎さまが命がけでしてきたことは、

今私が暮らす平成の平和な世にちゃんと繋がっています。

そのどれか一つでも欠けたら、きっと今の世の中もまた少し違っていたかもしれません。

だから、安心してください。もっと自分のしてきたことを誇りに思ってください」



……なんて、生意気なこと言ってしまったけど。



本当に、心からそう思う。



だから、それを聞いた俊太郎さまも、



「……そうか」



幸せそうに微笑んでくれた。



本当は『貴方がいなきゃ私は幸せになれない』



そう言いたかったけれど・・・。



そうしたら、また彼を困らせてしまう。



幕末で過ごした日々の中でも、私を危険から遠ざけようとする俊太郎さまに、



傍に居させて欲しい、離れたくないと、我儘を言っては彼をたくさん困らせた。



ここでまた、私が幸せじゃないなんて言ったら、



俊太郎さまの心も休まらないだろう。




あらゆるものに恵まれた平成の時代。



俊太郎さまが願っていた世の中に限りなく近いと思う。



一概には言えないけれど。



間違っていることを間違っていると、誰もが言える権利がある。



理不尽なことで罰を与えられたり、命を奪われることもない。



だから、こんな素晴らしい時代に生きていられることを、彼に幸せじゃないなんて言ったら、



罰が当たる。



”今、私は幸せです”



そう俊太郎さまに言えたことで、忘れてしまった話したかった沢山のことも、



全部彼に伝えられたような気がした。



次ページに続く>>>
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