●○短篇○●
□天女の秘めごと
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昼間の蒸し暑さを忘れさせてくれるような、
ひんやりとした黄昏時の心地よい風を受けながら、自室の窓から空を見上げると、
一番星を見つけて、自然と唇が弧を描く。
・・・・これならきっと、天の川も綺麗に見えるはず・・・・
今朝、枡屋さんから正式に逢状が届いたのを聞いて、
私は朝から鏡の前で、着物や簪をとっかえひっかえしながら、
彼と過ごせる七夕の夜を待ちわびていた。
だからもう準備は万全。
空も雲一つなく晴れ渡っている。
あとは、枡屋さんが迎えに来てくれるのを待つだけ・・・・。
まだ約束の時間までは一時間以上もあるのに、
私は窓に頬杖をついて、これから始まる彼と過ごす幸せな時間を想像しながら、
大門から繋がる通りをじぃっと見つめていた。
――それから間もなく。
約束の時間よりも少し早く、一つの影が角を曲がってこちらに向かってくるのが見えた。
それがお目当ての姿だと確認すると、私は小走りに玄関へ向かう。
慌しく階段を駆け下りたのと同時に、彼が暖簾をくぐって顔を出した。
「…枡屋さん!…こんばんは……」
『……こんばんは、○○はん。約束通り、お迎えにあがりました』
そう言って、にっこり微笑む枡屋さんに、
私は、ほんのり頬を赤く染めながら、お礼を言う。
「…あの…誘ってくださって、ありがとうございます」
『いいえ。礼を言うのはこっちの方や。
他の誰でもなく。わての誘いを受けてくれはって、おおきに』
・・・・他の誰でもなく?・・・・
『○○はんが、わての誘いを待っとってくれはったなんて、夢のような話や……』
「……なんで枡屋さんがそれを……?」
『昨日、お酒を貰いに座敷を出た時、花里はんに逢いましてな……』
「!!」
・・・・もう!花里ちゃん!・・・・
・・・・となると。
花里ちゃん達と星を見に行くなんて嘘だったことも、
枡屋さんのお誘いを首を長くして待っていたことも・・・
きっと全部バレちゃってる!
昨日は枡屋さんと七夕の約束が出来たことが、ただ嬉ししくて、
花里ちゃん達との約束があるのを知っている枡屋さんが、何故私を誘ってくれたのか・・・・
そこまで頭が回らなかった。
それを今、目の前の枡屋さんが全部知ってると思うと、顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。
・・・けれど、
私はすぐに落ち着きを取り戻す。
だって、枡屋さんの目許も、ほんのり朱色に染まっていたから・・・・。
『そのことを聞いたら、年甲斐もなく舞い上がってしもうて、
約束の時間よりもちいと早く着いてしまいました。迷惑やありまへんでしたやろか……?』
「そ、そんな……迷惑だなんて……それに、準備はもう出来ていましたから」
『そうどすか。それを聞いて安心しました。
今日のお召し物もよう似合うてはります。ほんに、天女のように美しい……。
その姿を人目に晒すんが惜しいようや』
「も、もうっ!枡屋さんっ…褒め過ぎですよ…」
『あんさんを愛でるのに”過ぎる”とういことはありまへん』
逢ってすぐに次から次へと、くらくらするような甘い言葉をもらって、
この後、私の心臓がどこまで持つかどうか不安になってしまう。
『……ほんなら、少ぅし早いけど、行きまひょか』
「はい……」
そうして、私は少し足元をふらつかせながら、枡屋さんと置屋を出た。
―――
島原を出ると、西の方の空には、まだほんのり茜色が残っていて、
星を見るにはまだ少し時間が早いからと、近くの神社に出ていた屋台や出店を散策することに。
星を見るだけでなく、お祭り気分も味わえて、
それに、早く出かけられたお陰で枡屋さんと過ごせる時間も少しだけ増えて。
嬉しことだらけで、最高の七夕の夜を枡屋さんと過ごせることに、私は胸を躍らせてた。
――そうして、とっぷり日が暮れた頃・・・・・・
枡屋さんが連れて来てくれたのは、島原から少し離れた川原。
七夕だけの特別営業として、お茶屋さんや料亭が川原に茣蓙(ござ)を敷き並べた即席のお座敷で、
そこに座ったお客さんたちに、甘味やお酒を提供していた。
川原沿いに敷かれた茣蓙の上に、男女が仲良く肩を並べて座っている光景が目に映る。
遊女とお客さん、恋人同士、夫婦・・・・・ほとんどが男女二人組だった。
・・・・私達はどう見えてるのかな・・・・
『この辺りがええやろか……○○はん、座りまひょか』
「はい」
空いていた茣蓙の上に枡屋さんが腰を下ろす。
私は座った枡屋さんから、微妙な距離を空けて座った。
だって・・・。
なんだか恥ずかしい。
お座敷でなら、もう少し近くに座れるけど・・・・周りには人がいっぱいいる。
こんな人目の多い中で、枡屋さんにくっついて座るのは少し恥ずかしかった。
枡屋さんはお酒を、私は甘酒を頼んで、
それを待つ間、空に輝く見事な天の川を眺めながら、枡屋さんが口を開く。
『今日が晴れてようおした。
今は…かささぎ鳥が天の川に橋を渡して、織姫が彦星のもとへ渡った頃やろか……』
「……かささぎ鳥?」
聞き慣れない鳥の名前に、思わず聞き返してしまう。
すると、枡屋さんが教えてくれた。
『織姫が川を渡るために、かささぎ鳥が羽を重ねて橋を渡してくれるんどす。
せやけど、雨が降るとかささぎ鳥も羽を広げることができまへん。
そやし、七夕は晴れるようにと、皆願うんどす』
「へえ……」
そう言えば・・・・
七夕は織姫と彦星が一年に一度逢える日だってことくらいしか知らなかった。
どうやって天の川を渡るとか、考えたこともなかったかも・・・・・。
今頃知った織姫と彦星の話に感心していると、頼んでいたお酒と甘酒が届いて。
私は甘酒を一口頂く。
「おいしい……」
すると視線を感じて、その方向へ目を向けると、
にっこりと微笑んで、こちらを見つめる枡屋さんと瞳が合った。
『○○はん?』
「!…はい」
『……お酒、注いでくれまへんか?』
「あっ!…すみません、気が利かなくて……」
それでもやっぱり、枡屋さんの隣に寄り添うのは恥ずかしくて。
お酌をするには少し遠い距離から、枡屋さんの持つ杯にお酒を注いだ。
『……はは。そないにわては怖おすか?』
「い、いえ…そういわけじゃ……」
『何もせぇへんよ。こない星空の下で、天女に無粋な真似をしたら、
天の神さんのお怒りを買うてしまうさかい。
……せやから、安心して。もう少し、わてのそばに来てはくれまへんか?』
「…は、い…」
一つ、二つ、膝を進め・・・・
枡屋さんと私の間の距離は、拳二つ分くらいまで近づいた。
じわじわと頬に熱が集まり、いつもお座敷でしていることなのに、
私は妙に緊張しながら彼にお酌をする。
『……おおきに』
そうして枡屋さんがお酒をくいっと飲み干すと、私の火照った頬を冷たい雫が掠めた。
「えっ……」
『……ん?』
「雨…!?」
『雨…?』
空を見上げると、さっきまであんなに綺麗に見えていた天の川を、
いつの間にか、雲がまばらに覆っていた。
現代のように照明の少ないこの時代、
お陰で星は現代と比べ物にならないくらい、輝いて見えるけれど、
その分、夜空に浮かぶ雲はほとんど見えない。
だから、天の川のすぐそばまで黒い雲が近付いていたことに皆気付けなかった。
―――
突然降り出した雨に、私達は近くの小料理屋さんに駆け込んだ。
しとしとと降る弱い雨は、暫く止みそうにない。
そこでお店の人にお願いして、ひと部屋借り、枡屋さんと二人雨宿りをすることになった。
・・・・最高の七夕の夜になるはずだったのに、雨が降るなんて最悪・・・・・
すっかり厚い雲に覆い隠されて見えなくなってしまった天の川。
窓際に立ち、真っ黒な空を見上げながら、思わずため息が零れる。
「織姫と彦星は、無事に逢えたでしょうか……」
二人のことを想いながら、さっき枡屋さんが教えてくれた話を思い出す。
「雨が降ると、かささぎ鳥は橋を架けることが出来ないんですよね……」
・・・・一年に一度しか逢えないのに、そんなの悲し過ぎる・・・・
肩を落とす私の隣に、枡屋さんがそっと寄り添い、穏やかな声で話し始める。
『七夕に降る雨は、年に一度の彦星との逢瀬に、織姫が流す嬉し涙やとも言います』
「そうなんですか」
枡屋さんのその言葉が、私の曇った心を晴らしていく。
・・・・不思議だなぁ・・・・
枡屋さんと一緒にいると、どんなに悲しい出来事も、素敵な出来事に変わっちゃう。
そんなふうに、胸をほっこり温かくしていたのも束の間・・・・
『この雨や。きっと今頃、かささぎ鳥もどこかで雨宿りをしてはることでしょう。
……そやし……雨が止むまでは、天女は元の場所へ戻ることはでけへん……』
「…っ!」
言いながら、するりと指を絡め取られ、
さっきまで穏やかに脈打っていた心臓が、いきなり大きく跳ね上がる。
『わてが彦星やったら……』
流れるような仕草で、その手が口元に導かれると・・・・指先に彼の柔らかい唇が触れた。
『……今のうちに、天女をどこか遠くへ連れ去ってしまうやろ』
色っぽいのに、どこか獲物を狙うような危い瞳に射抜かれて、私はそこから動けなくなってしまう。
そのまま握られた手を軽く引かれると、二人の間の隙間は簡単に無くなる。
互いの息遣いがはっきりと分かる程の距離で、今度はもう片方の枡屋さんの手が頬を包み込む。
『それから、もう一つ。……天の川を覆う雲は、目隠しやとも言います』
「……目隠し?」
『へえ。二人の逢瀬を、誰にも邪魔されへんための……』
色香を含んだ熱っぽい瞳に見つめらたまま、彼の指が私の耳の形をそろりとなぞる。
背中がぞくぞくとする感覚と一緒に、私は眩暈を覚えた。
『せめて、この雨が止むまでは……わてから逃げんといてくれますか?』
ばくばくと暴れ回る心臓を必死に抑えながら、震えるような声で彼に想いを伝える。
「……ぁ…雨が止んでも……私は……枡屋さんから、逃げたりしま…せん…」
雨音にかき消されててしまいそうな程に小さな声で告げた言葉も、枡屋さんは逃さず拾ってくれる。
『本気にしますえ?』
「私は……本気です……」
『はは……ほんに、あんさんはやりにくい』
優しく頬を撫でながら、困ったように眉を寄せる枡屋さん。
『あんまり、わてを甘やかしたらあきまへん。
この真っ白な肌に触れるだけでは足りひんで、天女に無粋な真似をしてしまう』
彼の色気に中てられて、瞳も合わせていられなくなった私は、ただ俯くだけ。
すると、頬を撫でていた彼の手が、するりと顎に落ちていき、くいっと上向かせる。
『それとも、今なら……雲に隠れて、もう少しあんさんに触れても許されるやろか……』
彼の親指がすっと唇を撫でると、私は魔法にかかったように瞼を下ろす。
すると、すぐに柔らかい熱が唇に触れ・・・
それが名残惜しげに離れていって・・・・・
ゆっくりと瞼を開けると・・・・・
彼の熱っぽい瞳と目が合う。
軽く触れるだけの口付けでも、私の心臓はばくばくと煩いくらいに脈打つのに。
心の隅で思ってしまう。
・・・物足りない・・・・
『そないな目ぇで見つめんといておくれやす……もっとあんさが欲しゅうなる』
「……ぁげます……枡屋さんになら……私の全部…っ」
だから、自分でも驚くような大胆な言葉を口にしてしまった。
・・・けれど
勇気を振り絞って出たその言葉は、途中で枡屋さんの人差し指に遮られてしまう。
『それ以上言うたらあきまへん。……せやけど……もう少しだけええ?』
その問いかけに、私は再び瞳を閉じた。
おわり☆ミ