●○短篇○●
□香縛
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<其の弐>
どこからともなく届く彼の香・・・・
道中、終始落ち着かないまま、
丹波屋さんに連れられ、訪れた場所は、見事な庭園を持つ料亭だった。
そこでまずは、料亭自慢の食事を頂くことに。
美味しい匂いに混じる彼の微香。
脳内は姿の見えない彼に完全に支配され、
私は丹波屋さんのお話にも上の空で返事を返していた。
―――
食事を終えると、
私達は外と内の区切りがどこなのか分からないほど広い庭園へと散策に出た。
その間も感じる彼の香・・・・。
丹波屋さんは、この香りに気付いていないのかな?
それともこれは私の気のせい?
思わず少し前を行くを背中をじいっと観察してしまう。
すると、視線を感じたのか、丹波屋さんが突然振り向いた。
「……!」
「○○はん?」
「あ、あの…えっと……」
慌てて言い訳を探し視線をさ迷わせると、
池の向こうにぽつりと佇む小さな建物に”だんご”と書かれたのぼりを見つける。
広い庭園を楽しめるようにと建てられた、敷地内にある甘味屋さんだった。
「…あ…あそこでお団子でも頂きませんか?」
わても今そう言おうと思ってました、と笑顔で言ってくれた丹波屋さんに
私はほっと胸を撫で下ろす。
――お菓子の甘い香りに、お茶の芳しい香りと、彼の香。
・・・まさか、後を付けてきてたり?
いや、俊太郎さまに限ってそんなことするわけないよね。
・・・今頃、何してるのかな、俊太郎さま・・・・
池の傍に設けられた長椅子に座り、お茶をすすりながら、
やはり頭の中は彼の事でいっぱいで・・・
「…!」
そんな私の意識を呼び戻すように、
膝の上に置いていた手に温かなものが触れる。
弾かれるようにそちらへ視線を向けると、
目が合った丹波屋さんは、少し困ったような微笑みを浮かべていた。
けれどそんなことを気に留める余裕もなく、私は熱くなった頬で俯く。
好意があるなしに関係なく、
男の人に触れられただけで、緊張して体が熱を持ってしまうのが困りもの。
赤らんだ顔を俯かせれば尚、不思議と彼の香がより濃く感じらるような気がして、
私は心臓は小さく跳ね上がらせながら、視線は彼を捜す。
「……どうかしはりました?」
挙動不審な私の様子に、丹波屋さんが心配そうに顔を覗き込む。
「い、いえ……なんでもありません……」
「そういえば、○○はん、お香を変えはりましたか?」
「え?」
「今日は、いつもお座敷で会う時の香りとは違うものを纏ってはるようや」
やっぱり気のせいじゃないんだ、丹波屋さんもこの香りを感じている。
「……いえ、香を焚くのはお座敷に上がる時だけで、普段は何もつけていません」
「そうどすか……ほんなら、これは○○はん自身が放っとる香やろか」
冗談めかした言葉の後、丹波屋さんは私の手を離し、視線を逸らした。
「……?」
今度は逆に私が丹波屋さんの顔を覗き込むように窺うと、
さっきまであんなににこにこしていた彼が表情を無くしていた。
「……丹波屋さん?」
けれど私の声にはっとした様子で、彼はすぐに微笑みを作った。
「……清らかで……どこか気品のある香りや。あんさんによう似合う香どすな」
「……そう、ですか?」
そう言われて、ちょっと嬉しかった。
俊太郎さまの香りに似合うと言われて・・・
私は今日初めての心からの笑みが零れた。
―――
日が暮れ始めると、丹波屋さんは置屋まで私を送り届けてくれた。
「――枡屋はんも存外、悋気持ちなんどすな。……ちぃと安心しました」
丹波屋さんの唐突な言葉の意味が分からず、私は小首を傾げる。
「あん人は見目も中身も完璧で、同じ男として嫉妬してしまうほどや。
せやけどあの枡屋はんも、惚れた女子の前ではただの男なんやと……」
「枡屋さんは嫉妬なんか……」
「ははっ、やっぱり○○はんは罪深い御人や」
「あの…丹波屋さん?さっきから何のお話を…?」
「今日は枡屋はんに勝った思うてたけど……ぬかよろこびやったようや。
あん人にはどうやっても敵わんへんのやと思い知らされましたわ」
どこか吹っ切れたような清々しさで笑って、
「ほな、おおきに」と言って帰っていく丹波屋さんの背中を見送りながら、
私の頭の中は疑問符だらけだった。
一段と冷え込んだ夜の空気が首筋を撫でる。
思わず身震いすると同時に届く彼の香を感じながら、私は藍色の暖簾をくぐった。
――部屋に戻ると、夜のお座敷の準備に取りかかる。
帯を解いて、重ねた衣を一枚づつ剥いでいき、
肌襦袢一枚の姿になろうというところで、胸元から何かが落ちた。
「……?」
畳の上に落ちたそれを不思議に思いながら拾い上げてみると、
小さな紙切れのようなものが幾重にか折り畳まれていて、
その中央には硬い感触があり、何かを包んでいるようだった。
そっと折り目を開いていくと、小指の爪ほどの大きさの木片が現れる。
「……なに、これ?」
ますます不思議に思い、恐る恐る木片に顔を寄せた。
すると・・・
「あ…」
もう鼻の奥深くに沁みついてしまった彼の香が濃く匂う。
頭の中で、今日一日の出来事や、丹波屋さんの意味深な言葉が繋り始めたその時、
「――○○はん、ええどすか?」
襖の向こうから声がかかって、私は慌てて足元の着物を拾い上げて羽織った。
「…はい、どうぞ」
すると、番頭さんが顔を出す。
「悪いけど、出来るだけ急いで座敷に上がっておくれやす。
昼間から枡屋はんがお待ちやさかい……」
「え!?……あ、はい。わかりました」
それから私は大急ぎで着替えを済ませ、
彼が昼間から待っているというお座敷に小走りで向かったのだった。
其の参に続く>>