●○短篇○●

□籠想〜桜梅桃李-オウバイトウリ-
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待ち合わせはいつもの場所。

俊太郎さまは当然のように先に着いていて、開口一番、今日の私を誉めちぎる。

これだけはいつまでたっても慣れることはなくて、初な反応をする私を、俊太郎さまは飽きずに可愛がる。



当たり前のように差し出された手を取って、春めいていく景色を、道端に咲く花を愛でながら、ふたり同じ歩幅でゆっくり歩いてく。




―――

目的地が近なると、俊太郎さまは私に前を見ないようにと指示する。

不思議に思いながらも、私は言われた通り下を向いて前に進むことにした。

足元しか見えない不安から、自然と握る手に力が入ってしまうけれど、

それをしっかり握り返してくれる大きな手が、すぐに安心をくれる。








「顔、上げてええよ」

「……わぁ!すごい…」


ずっと足元に広がっていた茶色の景色から一変・・・

視界いっぱいに広がる、活き活きとした緑と淡い紅色の景色。

そこは、梅、桜、桃、李(すもも)の花が同時に見られるというところだった。

どれも満開に咲き誇っていて、小川沿いに曲線を描きながら濃淡の違う薄紅色に染められた景色は圧巻で、

この時期だけのために作られた掛け茶屋も観光客で賑わっている。




俊太郎さまは、そこの数部屋だけある小さなお座敷を取ってくれていた。

障子を開けると、四種の花木の見事な景色が広がっていて、お茶とお菓子を頂きながら楽しめるようになっている。


「きれいですね!」

「へえ。ほんに…」


そう言う俊太郎さまの視線が外ではなく、こちらに向けられているのには気付かない振りをして。


「そうだ。俊太郎さまにお誕生日の贈り物を持ってきたんです…」

「気にせんでええ言うたのに」

「それじゃ私の気が済まないんです。……俊太郎さま、お誕生日おめでとうございます」


私から受け取った包みを手のひらにのせ、俊太郎さまは柔らかく微笑んで、開けてもいいかと断りを入れてから丁寧にそれを開く。


「ああ、なんとかいらしい…」

「女の人から男の人に贈るのは珍しいかもしれないですけど…その…私の……気持ち、です…」


暫し、こそばゆい沈黙が降りる。

今更恥ずかしくなってしまったけれど、やっぱり反応が気になって俊太郎さまのほうを盗み見ると・・・

それは私だけじゃなかったらしい。

いつも涼しげな目許がほんのり色づいて、薄い唇が幸せを噛み締めるように、おおきに、と呟いた。


「……せっかくやから、お茶と一緒に頂きまひょか」


俊太郎さまの手の平から、薄紅色を一粒貰って舌に乗せると、

向こうに広がる景色と同じような、淡く優しい甘さが口の中に広がった。


「俊太郎さまは、梅と桜と桃と李、どれがお好きですか?」

「○○はんは?」

「私ですか?…ん〜やっぱり、桜、かな…」

「ほんなら、わても。桜が好きや」

「…………じゃあ、梅」

「ほんなら、梅」

「……じゃなくて、桃」

「ほんなら、桃」

「……やっぱり李」

「ほんなら李」

「……ふっ、ふふふ。もう、俊太郎さま!」


俊太郎さまの肩を軽くぺしっと叩いて、二人で笑い合う。

不意に、ふわり、春風が鼻を擽った。


「あ、いい香り…」


まるで、いまの私の気持ちを表したかのような、この世のすべての幸せを詰め込んだような甘い香り。

それを目を閉じて胸いっぱいに吸い込む。

と、胸元に何かの気配を感じて、目を開けると、俊太郎さまが覗き込むようにして、私の衿に手をかけていた。


「っ!」


突然、高杉さんの言葉が頭の中でこだまして、急速に心拍数が上がっていく。


「ぁの…」

「さっきの風が運んできはったんやろか」

「…え…?」


俊太郎さまの指が花片を抓み上げ、私の目の前にかざす。


「桜の花弁やろか。○○はんに好きやと言われて嬉しゅうなって飛んできはったんかもしれへんね」

「……」

「ん?顔が赤いようやけど、熱でも…」

「ないです!…全然、大丈夫です…」

「……?そうどすか。……ああ、そういえば。お座敷に高杉はんが来はりましたやろ」

「!」

「誘われたんやけど、あの日は行かれへんですんまへんどした」

「ぃ…え」

「……○○はん?ほんまにどもない?」

「大丈夫、です…」

「少し、横になったら…」

「いいいいいいえ!」


そんなことをしたら余計におかしくなってしまう。

思ったことが素直に顔や態度に出てしまう子供っい自分に呆れながら、

この際、下心はないと俊太郎さまにはっきりと否定してもらって、安心してこの後の時間を楽しみたいと、私は思い切って口を開いた。


「…ちょっと…」

「ちょっと?」

「……ちょっと、高杉さん、のこと、思い出しちゃって…」

「高杉はんの、こと?……やはり行くべきやったか…」

「え?」


後半が聞きとれなくて聞き返すけれど、困り顔の微笑ではぐらかされてしまった。


「なんや高杉はんが粗相をしはったんなら、代わりにわてが謝ります」

「いえ!そういうわけでは……その、何かあったわけじゃなくて…いや、あったんですけど…その…高杉さんが変なこと、言うから…」


俊太郎さまに問い詰められるけれど、その先はとても自分の口からは言えなくて、俯いて、口籠っていると・・・


「…ひゃっ!」

「あんお人は…このかいらしい耳に何を吹き込まはったんやろか……」


身の毛も弥立つ囁きが、耳朶に唇が触れるほど近くで注ぎ込まれる。


「この無垢な仔猫に”あかん”ことを教えるんは、わての役目やのに…」

「そんなっ…”あかん”ことでは…」


危険な香りがぷんぷんする俊太郎さまをどうにか鎮めようと、蚊の鳴くような声で高杉さんから聞いた”贈り物の意味”を話した。


「でも、きっと、高杉さんが私をからかって楽しんでただけですから…気にしてませんし…」

「高杉はんの言うことは信じへんと?」

「…?…はい…」

「ほんなら、この金平糖に籠められた、あんさんのわてへの気持ちも、嘘や言うことどすか?」

「それは嘘じゃないです!」

「そやったら、高杉はんが言うたことは信じへんいうのは矛盾しとる」


どこか楽しげな俊太郎さまに、完全に遊ばれていると気付いて、ちょっとだけムッとした。


「…いじわる…」

「はは、ふくれた顔もかいらしい」


つん、と頬を突かれて、いぢけて唇を尖らせて俯くと、その突いた指が、くい、と顎を持ち上げた。


「あ…」


じっと唇を見つめられて、私はそれを”合図”と感じ取り、どぎまぎしながら瞳を閉じ・・・


「○○はん、紅を点してはったんやね」

「…んえ?」


色気のない声とともに、閉じかけの瞼を慌てて見開いた。


「紅も上手く引けるようにならはったんやね。この着物に合うように薄めに上手につけてはる」

「え?あ、いえ、今日紅は点けては……あ…」

「ん?」

「なんでもないです」

「また高杉はんから”あかん”ことを聞いた?」

「いえ。これは、昨日慶喜さんが――」


昨日慶喜さんが来たのは、寝る直前の時間だったから、塗られた口紅は懐紙で拭き取ってから眠ったのだけれど、

完全には拭ききれず、少し色が残っていたみたいで・・・





「――へえ。慶喜はんが、紅を…」

「慶喜さん、よくお土産をくれるから!…だから、そんな深い意味なはいかとっ…」


俊太郎さまの色香が音もなく濃度を増したのをはっきりと感じた。

噎せ返りそうなほどの色気を纏った、こういうときの彼には少し恐怖を感じる。

けれど、危ない!と思った時には、いつも既に手遅れで・・・

顎を捉えたまま、一段と二人の唇と唇の距離が縮まって、寸前で親指がつーっと下唇をなぞる。


「面白うないな。他の男の手で染められるいうんは…」


独り言のような、聞こえるか聞こえないかほどの呟きが、却って危機感を煽る。


「…あの、俊太郎さま…」

「この着物には…まだちぃと、色が濃いようや…」

「ぅん…」


捕食するように唇を食まれ、添えられていた親指が、顎を僅かな力で下方に引くと・・・


「ぁ、んっ…」


強制的に開かれた隙間から、舌が入り込む。

それは決して激しいものではないのに、呼吸も思考も奪うような情熱的な大人な口づけで・・・


「たとえ慶喜はんかて、この唇は奪わせへん」


わてんもんや、ともう一度奪われる。


「はぁ…っ」


ようやく口づけから解放されたかと思うと、一息吐く間もなく、離れた唇は首筋を這って、鎖骨を吸い上げる。


「俊太郎、さま…待っ、て…」


やっとの思いで絞り出した私の声に、俊太郎さまは、ちゅ、と音を立てて唇を離した。

申し訳なさそうな顔が、潤む視界に映る。


「……また、泣かせてしもた。……すんまへん」


今にも零れ落ちそうな雫を、骨ばった指が優しく拭う。


「○○はんのこととなると、つい我を忘れて、加減がわからんようになってしまう…」


俊太郎さまは私を安心させるように、体を離し少し距離を取った。


「もう心配せんでええよ。こんなところであんさんの肌を暴いたりせぇへん。
花見客に○○はんのかいらしい鳴き声を聞かせるわにもいかへんしな」


苦笑しながらそう言って、少し乱れた胸の合わせ目を直してくれる。


「下心がなかった、言うたら嘘になるけど……」

「えっ…」


俊太郎さまに限ってそんな事はないと、たかをくくっていたのに、

まさかの答えに、また身構えてしまう。


「そやけど、高杉はんのような脅すような真似はしまへん。
わては、○○はんの心の準備ができるまで、何年でも、何十年でも、待ちますさかい…。
その代わり、何年先になろうと、必ず、あんさんの全てをわてのもんにする。
それだけは覚えといておくれやす」


その言葉に、やっぱり、俊太郎さまは優しかった、とほっとして体の力を抜いた。


「そうや。今度の○○はんの誕生日には、櫛を贈りまひょ。
……そん時は、受け取ってくれますか?」


そこに籠められた暗黙の意味を理解して、少し照れくさいけど、はにかみながら、でも、はっきりと答えた。


「…はい。もちろん」

「おおきに。……今は、こんだけで我慢します…」



この日最後に貰った口付けは、四種の春の香りよりも、金平糖よりも、甘く優しい口づけだった。



おわり。


◆◇◆◇◆◇

桜>慶喜:優れた美人 純潔 精神美 淡泊
(しだれ:ごまかし。八重:豊かな教育 善良な教育)

梅>高杉:高潔 忠実 忍耐 不屈の精神 絢爛
(白:気品)

桃>秋斉:天下無敵 気立ての良さ 私はあなたのとりこ あなたに夢中 辛抱 忍耐

李>俊太郎:忠実 困難 貞節 独立 疑惑 誤解 誠実 甘い生活
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