●○長篇○●
□巡り愛〜誰がために
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【第一幕〜別る〜】
<其の一>
島原の鐘の音が鳴り響く。
艶やかに色付いていた灯りが、ひとつ、またひとつ、消えていく。
客も遊女も眠りにつく時。
――日付の変わるたび、○○を思い出そう。
どこにおっても、その時間は魂を飛ばして、愛を囁きます――
「俊太郎さま・・・・・」
空で輝く星たちを愛でながら、
二人見上げる星空は、情緒に溢れ、甘美に煌めいて見えたのに。
部屋の窓から独り見上げる星空は、愛(かな)しい雫に輝きも滲んでいびつに歪む。
月のない夜には、漆黒の闇に何もかも呑まれてしまいそうで。
毎夜どうしようもない胸の痛みと焦りと無力感に苛まれながら。
声も届かない愛しいひとの元へと、想いだけを夜空に馳せた。
――必ず、○○の所に帰ってくる――
そう約束した誰よりも大切で、誰よりも愛しいひとは、
今も暗く冷たい獄の中。
その姿を瞳に映すことも、触れることも、声を聞くことさえ叶わない。
――この体は貴女のもんや――
最後に見た愛しいひとの姿は、体中を血で染め、傷口は赤黒く腫れあがり、
心地良く響く楽の音のような甘い声は、苦しげに掠れ、
自らは立ちあがることも出来ず、そこにただ弱々しく横たわる姿だった。
全てを話してしまえば、与えられる苦痛から解放されるというのに、
それは俊太郎にとって、拷問よりも遥かに己を苦しめる行為だった。
それゆえ、証言を頑なに拒み、苦痛に耐え、仲間を守り、全てを背負い。
独り地獄に堕ちる覚悟でいる。
俊太郎が捕縛されてから。
ろくに眠れないまま朝を迎えることが、○○の日常になっていた。
眠れぬ夜、涙に頬を濡らしながら見上げる夜空。
それを拭ってくれた優しい指先を思い出せば、とどまることなく涙は溢れ出て。
乾いた秋風が濡れた頬を乾かす間もなく、また雫が伝っていく。
そんなふうに、どれほどの間天を仰いでいただろうか。
まだ日の出には少し早い空が、黄昏時のような朱色に染まっていることに○○は気付く。
湿った頬を拭いながら窓から身を乗り出してみると、
明るく見える空の方角から、微かに喧騒が聞こえた。
暫くその方角を眺めていると、今度は半鐘らしき音が聞こえてくる。
火事だろうか・・・。
直後、静かだった置屋内が慌しくなり始めた。
「○○はん起きてはる?」
襖を僅かに開いて顔を出したのは花里。
「ここまで火がくるかは分からへんけど、
念のため、秋斉さんが吉野のお寺に逃げるようにて。
みんな下で待っとるさかい、○○はんも早う行こう」
「うん、わかったすぐ行く」
○○は襦袢の上から羽織を一枚肩に引っ掛け、
鏡台の引き出しから大事にしまっていた木箱を手に取ると、そっと蓋を開け中身を取り出す。
綺麗なうるし細工の櫛。
それを袱紗に包み、大切に懐に仕舞った。
島原を出ると、京の町中は避難する人々でごった返していた。
これが後に歴史に名を残す”どんどん焼け”と言われた大火だったなどということは、
この時の○○は知る由もなく。
その人混みに紛れ、○○達は吉野のお寺を目指した。
途中、火元から出来るだけ遠くへと足を向ける人の波に逆らう、
見知った顔とすれ違ったことには気付かずに。