〜小説〜
□『温度』
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小雨が降る昼下がり。
お洗濯物を畳んでいると、背中にずっしりとした重みを感じる。
一瞬、驚き肩がはねてしまうけれど、その犯人が誰なのかを知っていたから。
何を問うわけでもなく、作業を続けた。
少し涼しい今日は、その温度がとても心地よくて。
背中に広がるじんわりとしたぬくもりに、頬を緩める。
こういう彼の態度は、今日が初めてではない。
でも、決まっていつも雨の降る日だった。
初めは理由を聞いていた私だったけど、はぐらかされるばかりで一向に理由を話してくれないので、問いただすのを諦めてしまった。
暫くすると、安心したように規則正しい穏やかな寝息が聞こえ始める。
私はくすり、と小さく笑うと、お洗濯物の最後を既に積み上げられているそれに重ねる。
背中に感じる温度をそのままに、ぼんやりと中庭を眺めていると、不意に手を握られる。
小さく驚きの声を上げると、黙って。と掠れた声が届く。
そう言われても乱される心は落ち着いてはくれなくて、思わずその名前を呼ぶ。
「・・・沖田さん」
「黙れって、いったんだけど」
大きくて、私のよりも少し温度が低いその手に力がこもる。
台詞とは裏腹に、とげのないけだるそうなその口調に不安がよぎる。
そこにいるようで、いなくなってしまいそうな―
沖田さん特有の、空気感。
私は・・・
その雰囲気がとても好きで、彼と過ごすこう言ったなんでもない時間がとても大切だと思ってる。
でも・・・同時にその存在が失われてしまいそうで怖くなる。
「沖田さん」
また黙れ、と一括されてしまうかと思ったけれど、その名を呼ばずにはいられなくなって口を開く。
「沖田、さん」
返事が返ってこない。
寝てしまったのだろうか。
振り向けばその答えはそこにあるのに、小さな不安がそれを押しとどめる。
「沖田さん」
「・・・聞こえてるよ。しつこいな」
本気で嫌そうな声で返事をされてしまい、少しひるむ。
きっと、誰にも何も言われたくない。
そう思って、でも誰かが近くにいてほしくて。
丁度そんな時にいたのが私だった。
それだけだというのに。
「・・・すみません」
何を期待したのだろう。
私を選んで、私じゃなくてはならない理由なんてないのに。
「・・・」
私はずきり・・と痛む胸に、握られていないほうの手を当てながら、瞼を閉じる。
波打つように感じる心臓の音。
沖田さんにも伝わってしまっているだろうか。
伝わっていたとしても・・・・
彼は、どうも思わないのに。
・・・・・一方的に私は貴方を想って、傷付いて。
そんな私を貴方が知ったら、笑うのだろう。
自意識過剰もいいところだ、と。
「・・・・眠れないんだ」
まとまらない想いに頭の大半をまわしていた私は、え?と、その呟きに問い返した。
「眠れって言われてもさ、頭が冴えて」
「そのまま朝になる。朝が来たのが嬉しいのか、夜が来るのが怖いのか、なんて・・もう分からなくて」
「自分の部屋にすら、いたくない」
何かが纏わりつくようで息苦しい。
そう、最後に付け加えて、握っていた私の手を解くと溜め息をついてその場に寝転がる。
「・・・沖田、さん」
「・・・・なに」
今度はきちんと返事が返ってきたことに安堵すると同時に、先程から感じる生気のなさには不安がぬぐえない。
不意に零された本音のような言葉に、嬉しいようななんというか、複雑な気持ちになる。
「・・・・・」
だから、何も言えずに寝転がるその姿を見つめる。
問いかけておいて何も言わないのはどうかとも思うけれど、本当に何も言えない。
言おうとしても何か引っかかって出てこないのだ。
「千鶴ちゃん」
「・・・はい」
「ここ、おいで」
叩かれたそこは、彼のすぐ隣・・・というか、腕を頭の後ろに組み寝転がっている腕の真下だった。
「・・・え、っと」
「えっとじゃなくて、早く」
有無を言わせないほど強くはないけれど、
そのまま否定できるような声音でないことがわかったので、しぶしぶそこに横たわる。
「・・・いい子」
そう言い私の前髪を梳くように頭を撫でると、満足したようにゆっくり微笑みその瞼を閉じた。
「・・・沖田さんは、ずるいです」
ようやくもたらされた答えと、隠された本音と素顔を垣間見れた気がして、私は嬉しくなる。
本格的に眠りに入ったその寝顔を見上げて、小さく呟く。
この穏やかな時間が、いつまでも続くことを願って。
私も彼の腕に包まれながら瞼を閉じた。
(完)