-short story-
□喘息
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仕事が終わって帰路に着こうとした時、ふと一人の少女のことを思った。
その子は私にとって誰よりも大切で誰よりも難しい子。
一度考えると私は思考が止まらなくなってしまうタチだ。これを頑張り屋さんととるか不器用ととるかは自分には分からないけれど…
とにかく、私はもう止まらなくなってしまった。
会いたい。
自宅に戻ることをやめ、タクシーを拾って行き先を告げた。
明日はせっかくのオフで家で見たい映画とかしたいこととかがいっぱいあった気がしたけれど、そんなものは今となってはどうでもいいように感じられた。
******
呼び鈴を鳴らすと、程なくしてその子は現れた。それも怪訝な表情を携えて。
「こんばんわー」
「…何?」
「いや、体調悪いんやろ?やから看病しに来た」
「別にいい」
「そんな冷たいこと言いなやー…」
「ゆいと居ると関西弁疲れる」
「とりあえず、おじゃましますー」
「邪魔するんだったら帰って」
「はいよー、って何でやねん!」
そこまで言って、ようやくその子…ぱるるは笑った。
そして、ぱるるの笑顔を見て思わず笑う私がいた。
部屋の中に入ると、机の上には大量の錠剤が存在した。ぜんそくがどれだけしんどいものかは分からないが、この薬の質量は私を落胆させるに十分だった。
「すごい薬の量やなぁ…やっぱりしんどいん?」
「うん、特に夜は…」
「そうか…ゆっくり休まなあかんよ?仕事の事とか考えたってしゃーないんやから…今は何も考えんで大丈夫やで?」
「…ふふふっ」
「ん?何わろてんの?」
「総監督の立場で、休んでいいなんて言ってもいいの?」
本当に楽しそうな顔をして「総監督」の私をからかう。余裕を無くしていたのはお互い様のくせに…
「こらっ!からかうんやないわ!」
「あははっ、じゃあずっと休んじゃおうかなー!」
「嘘ばっかり!そんなこと思ってもないくせに!」
そう口にした瞬間、みるみるぱるるの顔が曇った。しまった、と思った時にはもう遅かった。
気まずい沈黙が漂う。
やがて泣きそうな声でぱるるが呟いた。
「…本当は…すぐにでも…戻りたいよ…」
「…ごめん…あほなこと言うてしもた…」
潤んだ瞳。揺れる声。そのすべてが私の心を痛めた。
「…なんて、ウソウソ…休めるだけ休んで、ゆっくりする!」
天の邪鬼なぱるるはそう言うと悪戯っぽく笑った。でもその笑顔が無理矢理作ったものに違いないことくらいは私にも分かった。
でも、ここはそれに気付かぬふりをしよう。
「そやで、総監督がそう言うてるんやからな、休んどき!…ぱるるご飯食べた?」
「まだ食べてな…ゴホンゴホン…」
「あ、咳…はよ食べてお薬飲まなな…すぐ作るわ…」
「ゆい料理なんか出来たっけ…ゴホッ…」
「おじやくらいな!…身体に良いおじや、作るから…ちょっと待っと…」
ふわっ
不意に、すぐ側にぱるるを感じていた。何が起きたのか理解するのに少し時間が必要だったが、伝わる体温とたまらなく良い香りが〈抱き締められている〉ことを教えてくれた。
鼓動が早くなる。息が苦しくなる。
「…ゆい…私が早く戻りたい理由ね…早くゆいを側で支えたいからだよ…」
「………」
「総監督のゆいをね、私が支えたいんだよ…」
「………」
「私…だけがねっ……ゆいをね…支えたいん…っ…だ…よ…」
とうとう泣き出してしまったぱるるを今度は私が抱き締めた。あぁ、この子はきっと不安で仕方なかったんだ。私の隣はぱるるしか似合わないのに。私とぱるるじゃなきゃダメなのに。
「…心配せんでも…うちのエースはぱるるだけや…うちの隣はな、ぱるるだけやで…?」
「…本当…?」
「…あぁ、本当や。だって、うちが好きなんは…」
そっと、キスをした。
少し目を見開いたまま動かないぱるるをもう一度抱き締めて、そしてもう一度キスをした。
「…うちが好きなんは…ぱるるだけや」
「………」
ぱるるは困ったような顔をしている。その唇をもう一度奪った。もう一度だけのつもりが、何度も何度も奪っていた。
「そんな困った顔…せんといて…」
私は何だか哀しくなって、何だか泣きそうになった。ぱるるが私に求めていたのはこういう事じゃなかったんだと思うと、訳もなく泣けた。
ところが…
「…ぜんそく…うつっちゃうよ…?」
ぱるるはニコッと笑って、私にそっとキスを返した。
泣きそうだった心が喜びに変わる。
愛しさと気恥ずかしさが満ち満ちていた。
「…もしうつったら…一緒に休もか!」
「こらっ!総監督でしょ!」
(そう言ってまた笑ったぱるるの唇を、私はもう一度奪った。)
-END-