シスコンは最強の生き物だった
□エピソード1
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──最悪だ
そんな事を思いながら、
私たちは走っていた。
夜。
深い闇が包み込み、人々に眠りを与える静かな夜。しかし、この国はそんな静かな夜を邪魔をするように、銃声と怒声、脳に響くような爆撃音に苛まれていた。
その原因はマフィアの抗争によるもの。
この国はマフィアがゴロゴロ居るマフィア大国で、普通に表世界で生きる人達は、夜を容易に出歩く事が命取りになる、そんな所で私達は生きている。
マフィアたちは表世界の住人に手出しをすることを、暗黙の了解で禁じている。
しかし、それは暗黙の了解であって、規則なのではない。悪い組織は余裕でその境界線を土足で踏み込み、見下し、仮初めの平和を潰していく。そんな奴らはたくさんいる。
さて、私達の事を話そうか。
姉である私、真澄と、
私の可愛い妹、杏里のことを。
私は15歳まで普通の暮らしをしていた。優しい両親と私の3人。
しかし、父は長年病を患っていて、とうとう私が15歳の時に亡くなった。
そうして残された母は悲しみのあまり、酒や若い男に走った。いくら私がいるよと呼び掛けても、目もくれなくなった美人で自慢の優しい母は、私の記憶をねじ曲げ、変わり果ててしまった。美人なのは変わらなかったから、男に困ることはなく、取っかえ引っかえ。そして、想像出来なかった訳ではないが、母が子を身ごもった事に驚いた。しかも、その子を産むというのだ。
『なに…考えてんの?』
母は私の問いにこう答えた。
「だって、あの人が子供が欲しいって」
あの人とは誰だ?母の交遊関係が広すぎて誰かわからない。でも、"あの人"っていうその人は、誰の子かも分からない子供が本当に欲しいのか?
当時、16歳の頃である。
そして、あの人の正体が分からず、知る気も無かった私は、1年間バイトで生活費を稼ぐ忙しい日々を送っていた。母への関心が薄れていた事もあり、まさかこの時にはもう、大変な事に巻き込まれていたとは知る由もなかった。
「はい。これアンタの妹」
暫く家に帰ってこなかった母は、小さな赤ん坊を抱えていた。久しぶりに会った母は濃い化粧と派手な服、そして……濁った目をしていた。
本当に変わってしまった。
どこか、まだ期待していた自分がいた。でも、その濁った目に私が綺麗に映る事はないと悟り、母の腕に抱かれた生まれて間もない赤ん坊を見詰めた。
『そう…』
妹と言っても、感動も何も無い。一言吐き出すだけで精一杯だ。赤ん坊を徐に食卓のテーブルに置くと、母は頓珍漢な事を言い放った。
「それじゃあ、ソレよろしくね。私、育てる気ないから」
『……はぁ?!"あの人"が子供欲しいから産んだんでしょ!私が育てろってどういう事?!』
「えぇー?その"あの人"が男じゃないなら要らないっていうんだもの。あ、あと産まれて一ヶ月くらいだから」
これ、ソレ…
先程から引っ掛かる言い方に加えて、生まれて間もない無償の愛が必要な赤ん坊を要らないと言う。
この子の存在を無いものにしようとする扱いに、私は怒りを覚えた。昔の思い出が浮かんで、優しい母が微笑む姿は綺麗で憧れた。私に無償の愛を注いでくれていたはずなのに。
……悔しい。母を止めることも癒すことも出来ず、ここまで地に落としてしまった。
何も出来ず、諦めてしまった私に憤りを感じたのだった。
でもね?
最低限のラインはあると思うんですよ。
ギッと母だった人を睨み、宣言した。
『わかった。私が育てる』
キョトンとした顔は昔の面影があって、ふいに涙が出そうになった。でも、うっそうと微笑むこの人の口から発せられる言葉に身体が凍りついた。
「あら。流石わたしの娘ね〜。あの人から少しはお金貰ったから暫くはコレで何とかしてね?それじゃあ、私。もうこの家に戻って来ないから。サヨナラ」
母は死んだのだ。
女性は手をひらひらと振って、玄関の扉を開けて出ていった。こちらを振り返ることは無かった。
あの人から貰ったというお金は100万円ほど入っていて、初めて見た大金に手が震えて床に落としてしまった。あの人はお金持ちなのかもしれない。少しと言った母の言葉が本当ならそうなる。
ちらりと見た赤ん坊は、スヤスヤとあどけない顔で寝ている。
『どうしよう…子育てなんてしたことないよ』
いや、それが当たり前か。兄弟も一応この子が初めてだし。
そして、これからどう生活していくかも、煮えきった頭で考えても煮詰まっていくばかりだった。
「んぅ……ふっ?」
『あ…』
パチリと目を開けた赤ん坊と目が合う。起きてしまったことに落胆しながらも、携帯を起動させて子育てサイトで知識をつける事にした。
えー…必要なものは、粉ミルク、紙オムツ、服が数枚、よだれ掛けと…
「ふ、ふぇ…ふぇええええんん!」
『げっ……』
母が恋しくて泣いているのだろうか?
五月蝿いと思いながらも、赤ん坊の身を包むタオルを解くと、驚きの事実に目を瞬かせた。赤ん坊にしては、若干痩せている印象。その小さな身体には煙草を押し付けた跡や切り傷が所々あった。そして、一層目を引いたのは臍の上に掘られた蛇と何かの数字を崩したようなタトゥー。
『…酷い』
私だけじゃ手に負えないと、近くにある昔馴染みの病院に行く事にした。あそこの医者はデカイパンツ一丁に白衣と見た目は変な人だけど、腕は確かだ。
首が据わって無いから恐る恐る慣れない手付きで、サイトに書いてあった通りに赤ん坊を抱いたとき、その子は泣き止んだ。そして、指をくわえながら
私を見て、ニコッと笑ったのだ。
『…っ』
なんて、可愛い事か。
きゃっきゃっと嬉しそうに笑うこの子を見て、私は堪えきれず涙が頬伝っていく。
まだ、私にはこの子が残されている。私と同じで母を無くした、私と血の繋がりがあるこの子が。
愛しいと思う感情が溢れていった。
それからは通称デカパン博士の所で診てもらい、本当は使っちゃ駄目な魔法のような薬で傷を消してもらった。私が小さい頃からの常連で、尚且つ今回の話をしたら同情してその薬を出してくれたのだった。タトゥーは特殊なものらしく、消すのに時間が掛かるようで、手術するにも赤ん坊の体では負担が大きい。これは保留となった。
名前がなかったこの子に、私は杏里と名付けた。むかし聞いた何かのおとぎ話。そこに登場する女の子の名前が気に入っていたのをふと思い出して名付けたのだった。
デカパン博士に事のあらすじを話すと、バイトで面倒を看れないときは預けてもいいと言ってくれて、その言葉に甘えることにした。
そして、あの広い家は売り払った。
私達にはもう、必要無かった。
あの人からの100万と売り払ったお金で節約すれば数年は暮らせる纏まった金になった。新しいホームは1LDK家賃はなんと三万。築年数は古いが意外と綺麗で防音もしっかり、風呂とトイレが別の好条件な場所に移り住むことができた。
子育ては大変で、妹は夜泣きが酷いし、粉ミルクの味に慣れるまで嫌がったし、バイトが辛かった。でも、そのうち年を重ねるごとに妹は成長して動き回るようになり、1歳半ばで「ねーね」と呼ばれ、歓喜した。その威力は疲れも吹き飛ぶ。
また1年、さらに1年と時は過ぎ、杏里は可愛く、心優しい子に成長していった。母でもあり、姉の私はその成長をずっと見守っていこうと、目の前の幸せを抱き締めた。
長く続くと思われた幸せは私が22歳、杏里が5歳の時に崩れ去った。もともと、このマフィア大国で無事に五年間過ごせただけでも奇跡なのかもしれない。
私達が住んでいたアパートでマフィアの抗争が勃発。5階建ての3階302号室が私達の部屋だが、深夜に下の階から響く発砲音がして、飛び起きた。遠くの方で聞こえていた発砲音が身近にある恐怖。すぐに寝ていた杏里を抱えて非常時のリュックサックを担いだ。寝惚けた顔の可愛い妹はどうしたの?と聞いてくる。私はそれに『怖いオバケが近くにいるの。だからシーッだよ?』と微笑む。うん!と頷いた杏里は口に両手を当てて塞いだ。発砲音が出来るだけ聞こえないようにヘッドフォンをさせる。小さな声でこの音は何?と聞かれて『これはオバケが火花を出してる音だよ』と答え、ここからは本当に静かにしようねと頷きあう。
窓からソッと下を覗くと、黒スーツがちらほら見えた。ただし、それは玄関と非常口あたりに集中している。煙が部屋に充満していくのを感じ、急ごうと窓を開け放った。護身用のナイフとデカパン博士から貰った閃光弾を懐にあるのを確認し、私達の部屋の前に位置する大きな木に足を掛けた。
木の軋む音は銃声が消してくれる。
無事に生い茂る木の中に移り込んでホッと息を吐いたあと、私達の部屋だったところからバンッという扉を荒々しく開ける音が響いた。慎重な私は窓を閉めたため、此方に気付くことは無さそうだ。葉の隙間から部屋の様子を伺うと、男は何かを探すかのようにあらゆる物を引っくり返していた。
男は猫背で如何にも危ない雰囲気を纏っていた。鉢合わせしたら、女子供でも容赦なく命を奪いそうである。あ、てかマフィアって大体がそんなもんだよな。つか、普通に民間人がいるアパートで抗争とかふざけんなよ。
妹が怖く無いようにギュッと抱き込んでその日はマフィア達が立ち去るまで木の上で過ごしたのだった。
しかし、それからの生活は一変。
不思議なことに、私達が移り住む先々でマフィアの抗争が頻繁に起こり始めた。最初は激化しているだけなのかと思っていたが、ここ半年で約10回は起こり、その度に杏里を怖がらせないように逃げるのは骨が折れる。もしかしたら、私達は何かに知らずうちに巻き込まれているのでは?と考えてしまうのは、馬鹿な事だろうか。
そして、冒頭に繋がる事が起きた。
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