平凡な喫茶店

□赤いお客様
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ここは何てことはない、普通の喫茶店。カウンター席が4つに窓側に2人掛けのテーブルが2つ、奥まったスペースには4人掛けのが2つとこじんまりとしているが、ここはマスター1人で切り盛りしているため仕方ない。雰囲気はレトロ寄り、しかし置かれている小物は可愛らしい動物のものが多く、若者でもお年寄りでも気軽に入れそうなものだ。
変わってる所と言えば白地で背中に黒のハートがワンポイント入った看板猫(オス)が居ることくらいか。しかし、今では猫カフェが普及してきて、徐々に珍しいものから普通のものへとなっている。

カランカラッ……

さて。今日のお客さんはどんな人だろうか。


「……こんな所に喫茶店なんてあったのか」
「いらっしゃいませ」
「!。お姉さん、カウンターいい?」
「ええ、どうぞ」

やって来たのは新顔の青年。赤いパーカーに緑の松が入った服を着ている。入ってきた時は浮かない顔をしていた彼だが、何やら機嫌がよくなったように笑顔でカウンター席に座る。そんな彼にこの店のマスターである女性はおしぼりとメニューを差し出した。

「ねぇ、お姉さん。オススメは?」
「ではブレンドコーヒーを。コーヒーが苦手でしたら今日はアッサムの良いものが入ったのでそちらを」
「じゃあブレンドっての!」
「かしこまりました」

頬杖を付きながら注文する赤いパーカーのお客様。少し生意気そうな態度だが、彼女は柔らかく返答してこの店に合った雰囲気を保つ。

自家焙煎してブレンドした豆を手動式ミルで挽き、サーバーの上にドリッパーを乗せて、フィルターをセットしたら挽いた豆を適量入れる。コーヒーの粉を平らに慣らし、少量のお湯をそっと乗せるように注ぎ、粉全体に均一にお湯を含ませてから、20秒ほどそのままにして蒸らす。そして数回に分けて中心で小さく「の」の字を描くように注いでいき、彼女のベストなタイミングで温めておいたカップに移す。

「どうぞ」
「……あ。ありがとう」

彼女が淹れている間、彼は何も言わずに見いっていたらしい。
ソーサーに置かれたブレンドコーヒーは良い香りを放っている。彼は少し息を吹いて冷ましてから一口飲んだ。

「……俺、コーヒーの味とかよく分からないけど、これは美味しいと思う」
「ありがとうございます。あと、こちらもどうぞ」
「ケーキ?」
「リンゴのシフォンケーキです。此方はサービスで」
「マジ!?サンキューお姉さん!」

一口が大きいことで。その様はまるで子供のようにも思える。
ケーキを頬張り、コーヒーを啜る一時は彼の心を癒していった。癒したということは少なからず荒れていたということ。出されたもの全てをお腹に納めた彼はようやく、器具を片付けている彼女に「ご馳走様」と言ってから初めて会話らしい事を言う。

「お姉さん。名前は?」
「店の名前はmediocre……言いにくいので皆さんは『平凡さん』と呼んでいます」
「平凡さん……て、違う違う!お姉さんの名前だって」
「失礼しました。姉崎真澄と言います」
「真澄ちゃんね。俺は松野おそ松!」
「松野さんですね」
「おそ松って呼んで」
「では、おそ松さんと呼ばせて頂きますね」
「んんー……ま、それでいいか」

松野おそ松と名乗った男は快活に笑って、ねえねえと話しかける。

「真澄ちゃんは年いくつ?」

名前を聞いたと思えば、何ともデリケートな質問をするものだ。しかし彼女はにっこりと笑って素直に答えた。

「来月30歳になります」
「え!?俺より年上……(だから妙に落ち着いてたのか)」
「おそ松さんはいくつで?」
「俺?俺は24だよ。でもって他にも弟たちが居るんだけど、そいつらも俺と同じ年なんだ」
「おや。三つ子ですか?」
「なんと六つ子!凄いだろー!」

自慢気ににこにこ笑って驚愕な事実を話す。彼女は『ああ、そういえば』と噂の六つ子の一人が目の前の彼だという事を知った。赤塚では有名な噂だったが、彼らとの活動場所が違うのか、それとも見かけてはいても六つ子が揃ってなかったから見逃していたのか、今の今まで出会う事がなかった。

「なるほど。おそ松さん達が噂の六つ子だったのですね」
「そうそ。真澄ちゃんは兄弟いるの?」
「ええ。三つ下に双子の弟がいます」
「双子!だからそんなに驚いてなかったんだ」
「いえいえ。内心はすごく驚きましたよ。元より私はリアクションが薄いので」
「へぇー……その双子は仲良かったり?」
「喧嘩するほど仲が良い、という言葉が合ってる弟たちです。今は落ち着いてますが、昔は何かと張り合って口喧嘩から殴り合いまで、とてもやんちゃでしたよ。おそ松さん達もそんな感じですか?」
「まあねー。殴り合いはしょっちゅうだよ。……でも、今日はなぜか朝から全員に総シカト食らわされてさ。理由わかんないし、もうお兄ちゃん死ぬほど心臓がキュッてなって怒って家出てきちゃったんだ」

彼はどうやら他の兄弟と一緒に暮らしているらしい。となれば、実家暮らしの可能性が高く、全員まだ結婚をしていないのだろうと彼女は思った。

「心当たりはあるのですか」
「う〜ん……あ、昨日財布から金抜き取ったのバレたかも。今日のパチンコの資金にちょっとね」
「……原因それですよね」
「でも今回はバレないように財布から1割ずつ拝借したのに……あ、それともあれかな?弟のエロ本出しっぱにして母さんに見られた事とか。いやでも──」

『今回は』という発言には頭が痛い思いをする。しかも財布からお金を抜き取った以外にも次男のギターにイタズラしたり、末っ子のスマホを初期化しちゃったりなど、彼の口から出てくる心当たりの多さに真澄はストップをかけた。

「つまり、日頃の鬱憤が溜まって、たまたま今日になって無視に至ったのだと思いますよ」
「えー?でも、いつもの事だったし」
「いつもの事でも嫌な事は溜まり、幸せな気分は持続しづらいものです。今日、おそ松さんは無視をされて嫌だとか寂しい気持ちになったでしょう?」
「……少しくらいは」
「だったら家に帰って、弟さん達に一言謝ってみてはどうでしょうか。あくまで提案ですけど」

罰の悪そうな顔をして空になったカップの底を見つめたあと、彼は「帰る」と席を立った。しかし、財布の中身を見て小さく「あ…」と言う。

「……ツケにしてくれない?」

どうやらパチンコに負けていたらしく、中身は空っぽ。普段馴染みのおでん屋で無銭飲食していたから、ついやってしまったのだろう。

「後払いはしたくないのですが……仕方ないですよね。では、弟さん達にしっかり謝ることを約束なさったら今日の代金は結構ですよ」
「え、いいの?謝らないかもよ」
「無視され続けるのは辛い事です。貴方はきっと謝りますから、ちゃんと誠心誠意謝って下さいね」
「…………うん。そうだな。謝ってくる」
「はい。頑張って下さい」

決心がついてスッキリとしたような顔。鼻の下を人差し指で擦り「ご馳走様」と店のドアを開くと外は夕焼けによって町並みは赤く染まっている。
出る前におそ松は振り返り「また来るから!」と言い、真澄は「お待ちしてます」と笑って返した。

カランと音がして、彼は閉まったドア何となく見る。すると、ドアに掛けられていたボードに
『営業時間─7:00〜9:00,11:00〜17:00。
定休日は火曜日』
とあって、今度来るときは火曜日以外だなと胸に刻む。

「『平凡さん』の真澄ちゃん……か」

彼は軽くなった足取りで自宅へと早足で歩いていく。そして帰宅したあと、居間で寛いでいた5人の弟達に謝った。その謝り方があまりにも必死すぎて、余程無視が堪えたのだろうと5人は呆気にとられてすんなり許したとか。
因みに何で怒ってたのか聞いたところ、やはりお金の件であった。「あー良かった」と安心したところで、今までにやっていた悪事についてボロボロとおそ松からの口から出てしまい、乱闘騒ぎになったとか……。

まあ、自業自得である。

そんな彼は悪事についてはポロッと話したが、一つだけ弟達には内緒にした事がある。

低音な鈴音が響いてドアが開かれた事で、中にいたマスターが磨いていたコップからお客様へと顔を上げる。彼は彼女に軽く手を上げるとカウンター席に座った。

「また来たよ真澄ちゃん」
「いらっしゃいませ、おそ松さん」
「ちゃーんと約束通り謝って来た。んでもって結局喧嘩になっちゃったよぉ」
「ふふ。仲直り出来たようで良かったです」
「この青い痣見えてる?」
「前よりは元気そうで、スッキリした顔をしてますよ」
「……あー……ブレンドコーヒーで」
「かしこまりました」

左目の辺りに大きな青アザが出来ていたが、何でもないように彼女は手慣れた手付きでコーヒーを淹れ始めた。それを彼は黙って見てしまう。

(若くて可愛くて年下の子がタイプだったんだけどなぁ。でも、そこそこおっぱい大きいし、性格良いし、嫁にしたいタイプって感じ?しかも店を経営してて、自立してるから養ってくれそう。……それに)

若干クズな思考が見受けられるが、彼なりに彼女に好意を抱いたらしい。最初は見た目だったのが、先日の数十分で居心地の良さに心を奪われたようだ。

(なんと言っても俺が言った下ネタにも引かなかったし、もしかしたら童貞卒業のチャンス!?子供出来たら母さんの扶養にも入って、アイツらを蹴落とす事も可能じゃん。なにこれ俺チョー頭良いじゃん!)

……訂正。この男、真のクズなり。
ヤれそうな女だと認識して、しかも押しに弱そうなタイプと見たようだ。

「真澄ちゃん。このあと一発どう?」
「……はい?」
「俺とセックスしない?」

右手でOKの形にして、その出来た輪っかに左手の人差し指で抜き差しする。これには真澄は愛想笑いを止めて、変わりに怒った表情をする。

「しません」

その一言をハッキリ口にしただけで、手は飛んで来なかった。女から殴られ慣れているおそ松としては何だか変な感じで、逆に何を話せばいいか分からなくなる。殴られたら「出来ると思ったのに」やら「痛いんだけど」などの軽口を叩けた。でもって『帰れ』との一言もなくて本当にどうすればいいか分からなかった。

そんな感じで黙ってると、コトリッと目の前に頼んだコーヒーが置かれる。

「おそ松さん。初対面の女性にそれを言うのは駄目な事です。デリカシーが無さすぎます」
「え?」
「それから、ここはお店の中です。今は他のお客様は居ませんが不愉快になられる方もいらっしゃると思います。また、誰でも良いという風に言われてするわけがないでしょう?」
「は、はい……」
「年上からの助言です。ちゃんと好きな人として下さい。あと、場の空気を読むこともオススメします」

「ではコーヒーをどうぞ」とにっこり笑って言われれば、おそ松は白旗を振るしかない。

(……本気に好きになったら、振り向いてくれんのかな)

これが赤いお客様が常連様へとなる切欠だった。

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