記念リクエスト

□沈んだ月を掬う
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お酒の匂いに酔いしれて、今日という終わりを待つ。
落ち着いたジャズを聞きながら想い更ければ、頭を悩ませるものばかり浮かんでしまうから困ったものだ。


「姉崎。お前この会社に入って何年目だ?」
「三年目、です」
「そうだな。で、なんでこんなミスをするんだ。いつまでも新人気分で居られたら困る」
「……すみませんでした」


「ねぇ姉崎さん。この間の奴どうなった?」
「あ……えっと、先方に渡して置き…」
「はあ!?普通私に持ってくるでしょ。あんたそんなに手柄欲しいの?」
「そんな……!ち、違います!ただ先方が早めに資料が欲しいとの事で」
「もういいわ。たく、本当に困った後輩ね。次は勝手な事しないでよ」


「あーん先輩!ここ分かんないですぅ」
「これはこのキーを押して、此処をダブルクリックすると良いよ」
「わー!先輩すごーい。じゃあ、これはー?」
「えっと此れはこっちをドラッグして」
「んー……難しいですぅ。ねえ先輩。これ今日中までなんですけど私、間に合いそうにないですよ。どうしましよう?」
「……分かった。じゃあこの資料は私がやるから」
「本当ですか!?さすが先輩ですぅ!ありがとうございます♡」


今日の事を思い出したく無いのに、どうしても頭の中では嫌なシーンばかり再生される。

上司に怒られたのも一緒に仕事してた同僚の奴が連絡し忘れて起きたミスなのに、私だけが怒られて、全部擦り付けられた。

私より2年先輩のあの人はいつも仕事を押しつけて来るし……手柄が欲しい?それは貴女のほうじゃないか。さも自分がやりました風に装って、私が作成した資料を送っていたに違いない。

そして後輩。あの子も仕事を覚えようとする姿勢が見られないし、出来ないなりの努力をしてほしい。何でギリギリまで頑張ろうとしないの?しかも私に押しつけたあと、爪を磨く暇があるなら本当は出来たんじゃないの?せめて他に仕事ないか聞くでしょうが。


「……も……なんで、嫌なことばっかり私に降りかかるの」


強めのカクテルであるブラー・ミストをまた一口含んで、カルヴァドスの風味を味わえば少しだけ気分が晴れる。だけど、また繰り返し嫌悪感に襲われて上手く酔えない。
このままじゃ悪酔いしてしまいそうだ。でもそれも良いのかもしれない。……全部がどうでもいい。


「Heyガール。1人かい?」

横目で誰に話かけられたか見れば、薄暗い店内でサングラスを掛けて、あまり似合っていない革ジャンを着た面倒そうな男。

「……悪いけど、1人で飲みたいから遠慮してくれる?」
「1人で飲みたい……フッ。そのわりには上手く酔えてないようだ。ちなみに何を飲んでいるんだ?」

ストレートに1人で飲みたいと答えたのに、隣の席に無遠慮に座って来た男にまた疲労が溜まる。何で私の周りは勝手な人ばかり寄ってくるのだろうか。

「…………ブラー・ミスト」
「ブラー・ミスト?」
「クラッシュアイスにカルヴァドスを注いだもの」
「ほぅ……マスター。俺もブラー・ミストを」
「かしこまりました」

度数強めだけど、この人お酒強いのかな?

マスターから受け取ったカクテルを、彼は一度カウンターにあるランプに翳してから口を付ける。サングラス越しだから色なんて見えないのに、格好付けてるんだろうが意味不明な動作だとしか思わなかった。

「……っ、脳がしびれるように刺激的だな」
「…………貴方、そんなにお酒強くないでしょ」
「そんな事はない!これくらいいつも飲んで」
「ストップ。これブランデーなんだから一気に飲まない。氷を溶かしながらゆっくり飲むものよ」
「あ、えっと……」
「マスター。チーズ三種お願い」
「かしこまりました」

マスターに頼んでチーズを彼と私の間に置く。ブラー・ミストは食後のデザートやチーズによく合う酒で、本来はそうやってゆっくり楽しむものだった。

「そのお酒とチーズはよく合うよ。食べてみて」
「え、いいのか?」
「いいから」
「……じゃあ」

チーズを食べて、少量の酒を嗜む彼。ほわっとした笑顔や雰囲気が、何故か私には眩しく思えた。

「美味しい!」
「それは良かった」
「ガールはこの店によく来るのか?」
「(ガールって……)まあ、そこそこ」
「そうか。……1人でか?」
「うん、まあ……寂しい奴とか思った?」
「い、いや!誰しも1人で飲みたい時もあるだろう」
「それを今日は貴方に壊されたわけだけど」
「……あー……それは……」

目を泳がせて、そのあと済まなそうに俯いた彼に意地悪をし過ぎたと反省。いくら疲れているからと、八つ当たりは良くない。

ごめんなさいと謝ろうとした時、彼からの言葉に息を飲む。

「…………君がなんだか疲れていて、それがつい気になって……声を掛けてしまった」

ドキリと心臓が脈打つ。端から見て、私はとても疲れていたらしい。お酒が入って少しは自分の弱いところが出ていたようだ。

「ガール。良ければ話を聞くぜ。そして美しい君の笑った顔が見てみたいな」

今時、こんなクサイ台詞を言う奴がいるんだ。だけどその言葉を待っていたというように、じんわりと染みた。


「……今日は特に嫌な事が続いて、気が滅入ってた」
「そうか。どんな事があったんだ?」
「まず同僚の連絡し忘れで、何故か私だけが上司に怒られた。連帯責任ならまだしも、忘れた本人が怒られないってどういう事なの。でも、こんな事で一々文句言っても意味が無いし、原因のその人は私が怒られているのを見ても素知らぬフリするし……あの人とは今後とも一緒に組みたくないな」
「おお……なかなかに最初からヘビーだな」
「これはまあ、もう済んだ事だから良いよ。問題は2年の先輩と新しく入ってきた後輩。どちらも共通するのは仕事を押しつけるということ」
「それは結構な頻度で?」
「そう。その先輩は資料を集めて企画書を作成するような面倒そうなものは好きじゃなくてね。新人の時に面倒見てやった恩を返せみたいに押し付けてくる。正直、私が新人の時もろくに説明してくれなかったから、別の先輩に教えてもらいながらやってたし……断れば良いんだろうけど、その資料が期日が近いものばかりで中々断れなかった」
「どうして?その先輩が困るだけだろう」
「その先輩の上手いのが責任転嫁。誰々が適任だと思って任せてましたって感じでね。……言われて無いことを証明するのは大変なんだよ。知ってる人で、それをされたある人は地方の支社に自ら志願して異動したわ」
「……」
「で、後輩。こっちは仕事が出来ないというか……仕事する気があるのか分かんない子で、よく出来ないからと私に体よく押し付けてくる。実際に任せても業務が滞って、のちのち大変になるのは面倒を見ている私に来る。引き受けるしかないなと思い、引き受けるんです。でも目を離した隙に爪を磨いたり携帯弄ったりで…………なんか、ね……」
「それは……お疲れ様」

まだ他にも小さい嫌な事はあったが、捲し立てるように口からはその三点のみ語りだした。これだけでも、初めて出会った人には申し訳ないほどの愚痴を溢している。少しだけ残っていた理性が『そこで止めておきなさい』と言った。


「…………ごめんね。初対面でこんなに愚痴って」

そう言って隣の彼を見ると、とんでもない!と言う風に笑った。

「俺が聞きたいと言ったんだ。それに君がどんな人かも知れて、俺としてはプラス要素しかないな」
「嘘言わないでよ。どこにプラス要素があるの」
「君は、すごく頑張り屋だ。引き受けなければならい状況だったとしても、しっかりと終わらせている真面目さ。素知らぬフリをした奴を責めない優しさ。それに、今みたいに悪いことをしたなと思ったら素直に謝るし、それでいて強気な所も良いな」
「……強気だったら断ってるし、優しかったんじゃなくて、言っても仕方ないことだったからよ」
「なるほど。強気じゃなくて、強がっているんだな」

強がっている。確かにそうだった。でもそうしないと心が壊れそうで、心が壊れたら身体も全部悲鳴を上げてしまいそうなほど苦しい。

「マスター。カミカゼを」
「承りました」

いつの間にか俯いていて、耳に入った『カミカゼ』というワードに首を傾げる。ここの店に通って結構経つけど、カミカゼなんてカクテルあったっけ?

「どうぞ」
「サンキュー」

興味がそちらに行き、カクテルグラスにライムが飾ってあるから柑橘系のものだとは分かる。その透明なカクテルを、彼は私にと捧げる。

「俺が今、勧めたいカクテルだ。受け取ってくれないだろうか?」


ふと頭を過ったのはカクテル言葉というやつ。これを受け取ったら、何か良くない事でも起きるのかなと、身構えてしまった私に気づき、また憂鬱な想いに駆られる。
人間不信になりかけている気がして、信じたいのに、変な人だとは思うけど愚痴を聞いてくれる優しい人なのに、疑ってしまった私が嫌になる。


「…………あ、えっと……ありがとう」


悩んだものの、勧めたいだけと言っていたのを信じて受け取った。そして、ゆっくりと味わった。
ライムの香りと酸味、ウォッカベースのキレのある爽やかなそれは、憂鬱なものを払拭してくれそうなほどの爽快さを感じさせてくれた。


「美味しい……!」


気分が少し軽くなった気がして、その感動を隣の彼に伝えた。


「俺は君を救う事は出来ただろうか?」
「え?」
「そのカクテルには『あなたを救う』という意味がある。今日初めて、隠れていた君のキュートなスマイルが見れた……うん。やっぱり笑っていた方が可愛いな」


救うだなんて……凄い口説き文句だと思った。

「弱ってる女に付けこむのが趣味なの?」
「また強がりか。それとも照れ隠し?だが、さっきより良い顔をしている。俺が惚れたのも、その笑顔だからな」
「あはは!本当に冗談が上手いっていうか、人を持ち上げるの上手いわね!」


なんか頭がふわふわする。やっと楽しい気分になって、良い感じに酔ってきた。今夜は最高かも!隣の彼には元気づけてもらったし、明日も頑張れる。


「ありがとう。貴方のおかげで、明日も仕事頑張れるよ」


それを伝えると、彼は無口になってブラー・ミストを嗜んだ。


愚痴聞き料として、こっそりマスターに彼の分も合わせて払うと、明日も仕事があるからと席を立った。すると無口だった彼は私の手を掴み、初めてサングラスを取って見詰めてきた。


「あ、の……松野カラ松です!ガールの名前を教えていただきましぇんか!?」


お酒が入って呂律が回らなくなったのか、はたまた緊張で噛んだのか……。

「姉崎真澄です。松野さん、今日はありがとう」


救い上げられた月

(あ。折角だから連絡先交換すれば良かったな。イタい所はあるけど、結構気が合いそうだったのに)
(ミッションクリア〜な、俺!雑誌の通りに実行してみたが、上手く行ったな。さて、またあの雑誌を見て、愛しのエンジェルを落とすプランを考えようか)

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