短編

□ひるまはくさばの
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「姉崎!A定食1つ!」
「こっち親子丼な」
「田中さん。食券は?」
「あ、悪い悪い。ほらよ」
「ありがとうございます」
「姉崎、日替わり定食頼む」
「はーい」

あの後すぐに意識を取り戻した私に待っていたのは借金が無くなり、自由のようでそうではない現状。工場の裏事情を知ってしまっているから出られない訳でして、そこで私に残された選択はマフィアさんの恋人か班長の嫁という究極の選択。解雇された身で生活費を稼ぐ事が出来る状態じゃない私は途方に暮れようとした……が、新たな就職口を見つけた。
それが社員食堂の調理担当だった。
食堂で働く人は外部の……つまり工場やマフィアとかの事情を知らないクリーンな団体だった。
外で働けないなら工場内で働けばいい。外に出ちゃいけないとは言われてないので普通に面接し、普通に採用され、私は朝と昼担当で6時から8時と12時から16時のシフトで働かせてもらっている。そして不味かった食堂の食事改善のため上司に直談判してメニューを私に作らせてもらい、お蔭で最近では仕事に意欲的になって効率が良くなり、夜逃げする奴もいなくなったと班長が言った。

「いつものとハニーをくれ」
「唐揚げB定食と蜂蜜ですね。了解でーす」
「……訂正だ。君を頂こうか」
「はいはい。B定食と卵の黄身ですね」

マフィアさんは頻繁に食堂にやって来ては毎度唐揚げ定食を注文していく。私が食堂で働くなんて思わなかったから、採用通知を見せたら凄い落胆ぶりだった。でもそこはマフィアさん。すぐに持ち前のポジティブさでアプローチを変えるとか何とか言って立ち直っていた。

そんな訳で2ヶ月が経った今、案外平和な生活を送っている。解雇されたから社員寮を出ていけと言われると思っけど、そこはマフィアさんの温情で住まわせて頂いてる。追い出したりしたらそれこそ私に嫌われてしまうと渋々許可してくれた。

……うーむ。やっぱりマフィアさんは私の事が好きなんだろうか。どうして恋の歯車とやらが回ったのか今更知ってもどうしようもないが、此処まで優遇されている事実。でも依存みたいだよなぁ……こんな貧相な女じゃなくて、わがままボディの女の一人や二人、マフィアさんなら見つけられると常々思っている。

「B定食とゆで卵お待ちです」
「……ん?顔色が良くなってるな」
「え?まあ、きちんと眠れてますから」

サングラスを下げて私の顔をまじまじ見たあと、頬を触られて反射的に彼の手の甲をつねる。短い悲鳴を上げて手が離れ「冷めない内に食べて下さい」と言い捨てて厨房に戻った。
急に甘い雰囲気を出さないで欲しい。只でさえ私はこの社員達に男だと思われているのだ。貴方はホモに見られたいのですかと内心毒づく。

「今日の日替わり定食なに?」
「あ、班長お疲れ様です。今日はホッケの開きですよ」
「へぇ……今日も美味しそうだね。あ、前に食べた西京焼きも旨かったな」
「近々仕入れておきますね」
「あ、ありがとう……(俺の嫁まじ嫁)」

班長は大抵日替わり定食だ。プレゼントを開けるようなわくわくしたものが好きで、毎日何のメニューか楽しみにしてくれている。たまにもう一度食べたいものとかリクエストがあれば今のように、出来ればして欲しいという感じで要望を言うので(しかも美味しいと褒めてくれる)そんな可愛い班長から癒しを得たお返しに聞いている。

「班長さんもランチか」
「アンタ、そろそろ諦めたらどうです?」
「2ヶ月経っても返事を貰えない班長さんには言われたくないな」
「べ、別に……姉崎はちゃんと俺の事を考えている最中なんです。マフィアさんは考えてもくれてないじゃないですか」
「……いずれ俺がハニーの愛を手に入れて見せるさ。という事でハニー。今夜は一緒に食事でも」
「そうだ班長。今日は何時終業ですか」
「今日は10時には終われる予定」
「早いですね!じゃあ一緒に鍋しません?班長と時間サイクル変わってからゆっくり話せていませんでしたし」
「い、行く!」
「……」

わざとマフィアさんのは聞こえなかったふりしたけど、ちょっと後悔。班長の幸せオーラとは反対の負のオーラを放ってサングラスの隙間から私を恨めしそうに見てくる。

「……時間遅いですけど、マフィアさんも食べに来たかったらどうぞ」
「!。フッ……フフフ!最初から俺を誘うつもりならもっと早く言ってくれよハニー!オーケー。最高級の肉を持って馳せ参じよう」
「鍋に合うものにして下さいよ」

あ、今度は班長が嫌そうな顔してる。相変わらず目の下の隈が取れていないその顔は眉をひそめると迫力があった。
心の中で謝り、逃げるように班長の日替わり定食を用意しに厨房に引っ込む。
ご免なさい班長。でもマフィアさんはどっちにしろ乗り込んでくると思うんですよ。今までに散々学びましたから、これが一番平和なんです。
ついでに良い肉もゲット出来て、班長の胃袋に納まるなら宜しいかと。win-winの関係だと思われます。

というのが昼間の食堂での出来事だ。

16時を過ぎてすぐに鍋の材料を買いに行き、帰ってくる頃には19時だ。都心から離れた工場だからスーパーまで歩いて40分。その間にバスもないし、車の免許を持ってないから仕方ないが、今の給料で免許を取るのも大変だし通うのも一苦労だ。
まだ夏だから明るいけど、工場とスーパーの間で灯りが少ない箇所が多々ある。秋になったら午前中に買い物しないとだ。

帰宅して夜10時までの間、私は今まで働き詰めで趣味という趣味を持っていなかったので暇だったりする。
掃除はもうやり尽くした、洗濯物は昨日の内に干して午前中には畳んでしまった。
そんな私に残されたのは新しいメニューを考えたり、来週の日替わり定食の内容決めたり、社員から聞いた改善点を洗い出したり、食材発注といった仕事である。もうこれが趣味だと言っても過言ではない。調理担当の枠組みからはみ出たのも案外早かったなと、しみじみ思う。

「アイムホ〜ム!」
「……いや、マフィアさんの家じゃないんですけど」

9時半過ぎた辺りでマフィアさんが初めてインターフォンを押し、訪ねてきたのを知らせる。何回かドアを壊され、挙げ句に合鍵を用意した所で「インターフォンを鳴らせばいいだけでしょう」と言ったら、初めてその事に気づいたようで「ミステイク!」なんて叫んだ。私も早く言えば良かったと思った。そうすれば何回もドアを修繕しなくても済んだのに。

「最高級比内地鶏『まつばら』だぜ〜。フッ、惚れたか?」
「へぇ……ありがとうございます」
「……う、嬉しくないのか?」
「嬉しいですけど」
「そのわりには表情死んでるんだが」
「気のせいです」

この人を手放しに褒めてはいけない。適当に座ってて下さいと、テレビのないこの部屋で彼の退屈を紛らわしてくれるものは特にないようで、鍋を用意し始めた私の様子を見てくる。穴が空きそうなほどに。
いつもはマフィアさんの方から話し掛けてくるが、今日は妙に黙っている時間が長い。私から話し掛けてもいいが、班長とは違ってマフィアさんとは共通の話題がない。何を話せばいいか分からないので私も黙ってしまった。

「……なあ」
「はい」

漸く話し掛けてきた彼。

「鍋するの、初めてなんだ」
「あ、そうなんですか?」
「鍋奉行というのがいるらしいのだが、そいつも呼んだのか?」
「っ!」

鍋奉行の意味を知らないだと!?
不意打ちをくらい、思わず吹き出し笑った。何で笑ったのか知らない彼は困惑の声を出し、私の気持ちが落ち着いていたところで言ってあげる。

「鍋奉行は食材の入れ方などを指図したり、あれこれ言う煩い人を言うんですよ」
「そうなのか!鍋をするときに現れるゴーストとも思ったぞ」
(こやつやりおる……笑いのツボ押さないで下さいよ!)

子供っぽい発想にいっそ微笑ましくなってきた。最近は少しだけマフィアさんも可愛い所があると思えるようになったなと自分の心境の変化に気づき、ついでにそれが『母性』とも気づく。
どうも私は班長とマフィアさんに抱いているのは結局母性だった。男として見ると思っても中々上手くいかない……私はその部分をどっかに落っことしてきてしまったのかもしれない。

「…………邪魔しないから抱き締めていていいか」
「何故それが邪魔じゃないと言えたんです?」
「野菜切ってる間だけでいいから……」
「危ないですよ。うっかり手を滑らせるかもしれないです」
「怪我には慣れてるから……ちょっとだけ」

…………うーん。この人は家族に恵まれなかったみたいだし、人が恋しいんだろうな。
癒されてちょっと機嫌の良かった私は「少しだけですよ」と許可を出していた。
するとマフィアさんは私の背後からお腹に手を回し、右肩に軽く頭を乗せる。力はそんなに込められていない。本当に軽く、私の稼働領域もあまり制限されない程度に抱き着いている。
また黙ったな……と最初に煮ておく野菜を切って鍋に入れ、火に掛けてると、耳元で低い声が通った。

「……カラ松だ」
「ん?」
「俺の名前……カラ松って呼んで」

そういえば名前知らなかったな。マフィアさんもだけど、班長も班長で呼んでる。もう班長と呼ぶ位置に私は居ないし、班長もこの際名前で呼んでみようかな。

「カラ松さん」
「……うん」
「じゃあカラ松さんも私の事をハニーと呼ばないでくれませんか」
「え。じゃあなんて呼べば?」
「苗字とか名前で」
「……真澄?」

名前知ってたのか。名乗ってないから班長達がよく呼ぶ苗字だと思ってたんだけど。

「それでいいですよ」
「真澄……もっと俺の名前呼んで」
「嫌ですよ。どこのバカップルですか」
「じゃあ早く俺の恋人になってくれ」
「嫌です。ほらそろそろ離れて下さい。鍋をカセットコンロに持っていかないといけないので」

甘えんぼうタイムは終了だ。追加用の野菜や肉達は切り終わり、コンロである程度火に掛けていた鍋をちゃぶ台に置いてあるカセットコンロに移す。
不満そうだったのも一瞬で、鍋の方に意識がいった彼は初めてのものに興味津々だった。そこがどうも子供としか思えなくて、残念ながら男として見れない。

丁度良い所で2度目のインターフォンが鳴り、班長を迎えに玄関に行く。

「班長。お疲れ様です」
「…………うん」
「本当にお疲れのようですね……何かありました?」
「終わったは終わったんだけど、ちょっとトラブルがあって……最近入ってきた新人が変に機械いじって直すのに手間取った」
「うわぁ……それは大変でしたね。でも10時には終わらせた班長は凄いです。さ、鍋の準備出来てますからどうぞ」
(褒めてくれる上に大変だったねと労うとか最高かよ。ああ結婚したい。毎日帰って来たらそうやってお出迎えしてほしい)

ちょっと窶(やつ)れ気味の班長が登場。その表情から大変だったのが窺え、それでも約束の為に一所懸命にやれる人だと知ってるから時間に間に合うように頑張ったんだろう。そんな班長が好きです(ただし敬愛)。

「……どうも。来てたんですね」
「ハニー……じゃなかったな。真澄の可愛い誘いを断る訳にはいかないからな」
「は。え何で名前で呼んでんの!?」
「ふふん。それは真澄が名前で呼んでと強請ったからだな」
「違います。今更ですけどハニーと呼ばれるのが嫌で苗字か名前で呼んで下さいと選択肢を出したところ、この人が名前を選択したので許可しただけです」
「へ、へぇ……(俺も早く呼べば良かった)」
「シャイな所も最高にキュートだぜ」
「どうしてマフィアさんはそんなにポジティブなのか不思議です」
「あ、ダメじゃないか。マフィアさんじゃなくて名前で呼べと言っただろ」
「……カラ松さんの方が呼べと強請ってるじゃないですか」

やれやれとカセットコンロの火を付け器を配膳する。立ちっぱの班長を呼ぶとブリキの人形のように首を私の方に回し、一回頷き腰を下ろすとマフィ……カラ松さんの方に凄い視線を送る。

(はぁあ゛あああああん!?何でそんな甘々展開迎えてんの!?死ねよクソマフィア!一片の塵も残さず消し飛べぇええええ!)
「そうだ班長。あの、班長のことも名前で呼んでも良いですか?」
「…………エ?」
「この際に班長のことも名前で呼びたいです。ちゃんと考えると言ったのに班長とお呼びしてばっかりで……」
「是非とも宜しくお願いします」
「(おお……食い気味にきた)はい。じゃあ一松さんて呼ばせてもらいますね」
(俺の嫁がまじ良く出来た嫁だった件について。生きてて良かった)

班長の、一松さんの表情が通常通りに戻り機嫌が良くなったのを感知。変わりにカラ松さんが不満そうになったのも感知。
でもこの二人の扱いは分かっている方だ。

「鍋オープンです」

タオルで蓋を取ると鍋特有の香りに釣られた二人は目を輝かせる子供になった。いまだに母性が勝っている状態なのは、一松さんとカラ松さんが純粋に、こうして無邪気に喜んだり、子供っぽい事をするからなんだと思う。

(……このまま三人で仲良くしていくのも悪くないな)

でも、そうはさせてくれない。いつか答えを出さなきゃいけないという未来は確かに存在していて、それが私の人生に大きく関わってくる。
……あ、でもこの工場に勤務した時点で大して私の人生はこれ以上悪くならないや。それに今は食堂勤務になって睡眠が取れて、生活が前より良くなった。

「あ!班長さんそれは俺の肉だ!」
「テメェは食い過ぎなんだっつーの!野菜も食え!」

『そこにちゃんとした愛があるなら、私は十分幸せになれるんだろな』と二人の肉の取り合いを見て締めくくった。

つゆのかげ


(班長さんも鶏肉が一番好きなのか!?)
(まぁ……手羽先とか好きなんで、肉だったら断然鶏)
((仲良いいな……やっぱり一松さんとカラ松さんが付き合うのが一番幸せルートまっしぐらな気がする))


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