短編

□泡沫に溺れて
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『この恋は叶うことはない』

それは最初から決められていた。

冬の砂浜に人影は一人だけ。海辺の近くだけあって風も強く、寒さに悴んだ手と手を擦って無駄な抵抗をする。冷えた手同士では温まる筈もなく、ならばと息を吹き掛けても効果はない。

そんな彼女は何故、寒い想いをしてまで冬の海に来たのか。

「おそ松ーーッ!いるのー!?」

大海原に彼女はそう叫んだ。誰かが居たなら頭の心配をされるだろうが、彼女の周りに人はいない。
居るとしたら……

「おー。いるいる。相変わらずデケェ声だな真澄」
「仕方ないでしょ。だってあんたは【人魚】なんだから。海の底まで届くように声を張らないと気付いてくれないでしょ」
「まあな」

海から身体を半分だけ出した男。一見人間と同じようだが、彼の耳には魚のようなヒレがついており、海の中に隠れている下半身は魚の尾である。
彼は人魚。よく伝説に出てくる半魚人だ。

そんな彼と、彼女が出会ったのは一昨年の夏である。


「おそ松兄さん!人間の所に行くって馬鹿なの!?」
「たくっ、これだからうちの長男は……父さんに近づくなって言われてるだろ」
「だって暇なんだよー!貝取り合戦も追いかけっこも飽きたー!」
「フッ……ブラザー?人間は恐ろしい生き物だと教えられたのを忘れたのか。奴らは俺達を食べようとする生き物だと」
「不老不死とか噂されてるけど、事実そんな事ないし……僕らが人間に比べて長生きだから、そうやって間違った認識されるんだよね。すげー迷惑」
「すっげぇー迷惑!」

人魚しか入れない秘境の海底。そこでおそ松は暇を持て余していた。
長生きと言っても、この時の彼は人間でいう25歳。まだまだ人魚の中では若い方だった。
そして彼にも弟というか……六つ子だったわけで。同じ年の瀬の男兄弟が五人いた。その彼らは長男の彼に人間の所に行くなと口酸っぱく注意をする。

「それよりさぁ。女の子達が北の方でパーティー企画してるって聞いたんだけど行かない?十四松兄さん」
「女の子!?パーティー!?行くー!」
「え、ちょ僕らは!?」
「勝手についてくれば?」
「可愛くないなオイ」
「フッ。待ってろよカラ松ガール!」
「ケッ……パリピどもが」
「あ、一松兄さん行かないんだ」
「えっ、いや行かないとは言ってないし!」
「はいはい。ほらおそ松兄さんも行くで……あれ?おそ松兄さん?」
「おそ松?」
「…………もしかして、あの馬鹿っ!」
「「人間の所に行きやがった!?」」

おそ松から目を離していた兄弟達。その隙に、彼はずっと興味があった人間の世界へ見に海岸へと泳ぎだしていた。

海岸に近づくほど浅瀬になっていき、一度海面から顔を出してどこに行こうかと目星をつける。

(さすがに姿を見られたらヤバいしな……)

となると、隠れやすい岩場の影から人間を観察しようと移動する。砂浜に面した岩場に乗り上げ、こっそりと砂浜にいる人間の様子を観察し始めた。
夏で賑わう海岸は、彼の興味を擽る。

(足だったか?それで俺達とは違って陸を移動出来るんだよな。それに服が似ているものももあれば、着込んでる奴もいる。あ、あれは何だろう?何を食べてんだろう?美味しそうな匂いだなぁ……)

ヒレが乾き始めたのを感じて一旦海に浸かる。すると、何やら話し声が近づいていて、そこから離れる。
どうやら女の子がスマホで誰かと電話しているようだが、その人間が持っている不思議な板におそ松は首を傾げた。

(独り言……?)

しかし誰かと会話しているような感じで、ますます興味が出てきて耳をそばだてる。

「分かってるわよ!ちょっとだけ海を眺めるくらい……うん。あと5分したら戻るから。…………迎えの車は要らないし、ちゃんと帰るから。それじゃあね!」

スマホの画面をタッチして通話を切ると、彼女は鬼の形相で手近にあった石を海へと投げつけた。

「うおっ!?」

投げ込まれたのが危うく当たりそうだったので、ついおそ松は声を上げてしまった。
その声は彼女にも聞こえており「だれ!?」と焦燥の混じった大きな声が響く。

そして、これまたうっかりと、おそ松は海から顔を出してしまっていた。

「ご、ごめんなさい!潜ってる人が居るなんて……怪我してない?」
「……う、ん。大丈夫」

これが彼らの初めての出会いである。

この時、幸いにも少し距離があり、肩から上しか出ていなかったので人魚だとは気づかれなかった。

「本当にごめんね。ちょっとイライラしてて」
「あー……なんかチョー怒ってたもんな」
「聞かれてたし!誰も居ないと思って油断してたよ……っとぉっ!?」
「あ!」

彼女が持っていたスマホが、手の力が抜けたのか滑り落ちて海の中に沈む。
それを見た彼は急いで潜り、それを掴むと、勢いよく浮上して彼女に届くようにと手を掲げる。

岩肌に膝を付けて覗き込んでいた彼女と、スマホを両手で差し出す彼の距離は近かった。

「……これ」
「…………ありがとう」
「うん」

恐る恐る彼女は彼からスマホを受け取る。そして視線はまず、彼の耳についてる魚のヒレのようなものをみ、徐々に下にいって、海の中でもはっきりと主張する鮮やかな赤い鱗と尾びれにいく。

「……コスプレ?」

伝説上にしか存在しない生き物を目の当たりにした彼女はそう言うしかなかった。

「こすぷれって何?」
「……」

目の前の彼はからかっている訳でもなく、純粋に首を傾げて彼女を見詰めていた。
これには彼女も認めるしかなく、嘘でしょと深くため息を吐いた。

「あんた、人魚なの?」
「えっ……ああ!?やっべ、バレて……いやぁー!食べないで〜!」
「いや食べないけど!?」
「は、食べねーの?なんだデマかよ。あー良かった!」

逃げようとした彼に慌てて否定すると、心底安心したように息を吐いたのだった。

「人間だよな?」
「そうだね。人間だよ」
「俺達が聞いてた話じゃ、不老不死目当てで食う種族だと思ってた」
「昔はねぇ……でも、今は食べないから安全ってわけでもないのよ。あんた達の存在が知られたら、きっと見世物にされて、実験されて、もっと酷いことをする人達が現れるよ」
「お前は?」
「今は酷いことをする気はないよ。だから気が変わらない内に、あんたは身を隠すのが正解」

ほら帰った帰ったと言って彼女は手を払う。でも彼は帰る素振りを見せず、じっと彼女を見詰めたままでそこを動かなかった。

「……帰んないなら酷いことするけど」
「お前、きっと良い奴なんだな。俺の為に言ってくれてんだろ?」
「そんなわけないでしょ。て、やば!時間が……あーもう、じゃあね!あんたはもう人間に近づかない方が良いよ」
「あ、待てよ!俺の名前、おそ松って言うんだ!」
「バカ!大声だすな!……〜〜〜、真澄だよ。でも、さよならだからね、人魚さん」
「あ……、」

一度目はそんな感じで終わった。おそ松は去っていった彼女の後ろ姿に、何故か切なさで一杯になって自分の胸の辺りを撫でた。

「このバカ松!戻るぞオラァア!」
「え、チョロ松!?」

弟に見つかって、おそ松は秘境に連れ戻された。それからは人間界にますます興味を持った彼であるが、監視の目が強くなって上手く抜け出せなくなり、あれから半年が過ぎていた。

人間に会った事は彼だけの秘密である。自分でも何故言わなかったのか、怒られるというのもあるが、それとは別の感情によって躊躇われた。

2度目。
監視の目が薄くなった頃、かくれんぼする事になってチャンスが舞い込んだ。
彼はもう一度人間を見に、あの海岸へと泳いでいった。

「ありゃ?誰もいねぇし」

おかしな事に海岸には人が誰も居ない。何でだろう?何でだろう?とウロウロと泳いで居たら1人歩いて来る人間を発見して、咄嗟に岩場に隠れて様子を伺った。


「あと一年……か」

その人物には見覚えがあった。最初に出会った真澄という名前の人間だ。寒そうに手を擦り合わせているが、彼には全くわからなかった。
彼は沸き立つ感情に押されて、彼女に届くようにと声を張り上げた。

「おーい!真澄ーー!!」
「……誰、って!?」

おそ松を見つけた彼女は、あまりの驚きに口を開けたまま立ち尽くした。

「髪切ったから一瞬分かんなかったよー。元気してた?」
「……ハッ!ば、バカ!こんな所人に見られたら……ちょっと此方に移動して!」
「バカ!?え、出会い頭にバカ!?」

去年の夏に出会った岩場に移動して、彼女は周りに誰も居ないか確認してからしゃがんで彼と目を合わせた。

「あんたねぇ……私言ったでしょ。安全な訳じゃないんだから、もう近づくなって。今までよく捕まらなかったわね」
「今回で2回目だからな。お前に会えて良かったわー。なあなあ、俺に人間の事を教えてよ」
「ゴーイングマイウェイかあんたは」
「ごーいんぐ?」
「我が道を進むという意味」
「おー!俺に超似合ってんじゃん。さすがカリスマレジェンドな俺だわ」
「なんでカリスマレジェンドの意味は知ってんのよ」

ため息を吐くものの、彼女は彼が質問した事に応えてあげていった。
そのうち彼女は彼という人魚の存在を受け入れ、二人は秘密の逢瀬を楽しむようになる。

それからの一年間で彼はいろんな事を知り、そして、ずっと分からなかった感情に気付いた。


「──そんでチョロ松がさ、貝殻に閉じ込められちまって大変だったんだよ」
「そんな大きな貝殻が存在するのが驚きなんだけど」
「まー珍しいかもね。俺達の住む場所しか大きいの無いし、何百年ってものだから」
「見てみたいなぁ」
「悪いけど1人じゃ重くて持ってこれないわ」
「じゃなくて……おそ松が住んでる場所が見てみたいなって。きっと綺麗なんだろうな」

彼女の目は何処か遠くを見ていて、彼はまた切なさに似た痛みを胸に抱える。

「俺も、真澄が育った場所が見てみたい。お前が言った学校とか、近くのお惣菜屋さんとか、近所のポチって犬とか……きっと楽しいんだろうな」

自分が人間であれば、彼女と同じ目線で居られたのだろうか。同じ種族であれば、同じ考えを持つことが出来たのだろうか。

「……おそ松。私、あんたに言わなきゃならないことがある」

彼女は少し目を閉じて、何かを耐えた後にゆっくりと開いた。その目は何故か揺らいで見えた。

「私……今度、結婚するの」

「…………え」

結婚の意味は人魚の世界でも同じように存在していた。だから分かってしまった。

彼は自分の気持ちを知った。

「……だれ、と?」
「今どき古いんだけど、許嫁ってやつでね。親が決めた相手と結婚する予定だったの。それで何回か会ってるうちに相手の方に何故か気に入られて……とうとう結婚にまで至っちゃった」
「至っちゃったって……お前、それで」
「おそ松。これはもう仕方ないんだよ」

彼女は微笑んだ。だけど、いつも見せる快活な笑い方ではない、とても弱々しくて泣きたそうにしていた。

「……いやだ」
「……」
「イヤだ!ぜってぇーにヤダ!」
「……、」
「何で?何で結婚する必要があるんだよ!そんなさぁ!そんな泣きそうになるほど嫌なら止めちまえ!」
「おそま、」
「結婚する必要があんなら俺がしてやるよ!だって……、お前のこと、好きだからッ……」

波に二人分の涙が泡のように消えていく。この想いを消したくないと願うのに、それは出来ないと伝えるように。

「ありがとう、おそ松。私ね、あんたに会えて良かった。でも、私は陸でしか生きられない。そしておそ松も……海でしか生きられない」
「……で、も」
「おそ松」

手を伸ばした真澄はおそ松のしっとりと濡れた頬を包むと、その冷たい唇の一瞬だけを奪った。

「私も好きだったよ。だけど、さよなら」

最後に見せた彼女の泣き笑いはとっても可愛いくて、とても愛しいものだった。

「……まっ……て」

立ち去る彼女の背中を追いかけたかった。

「待てよ。ねえ、可笑しくない?好きなのにさ、好き同士なのになんで。なぁ待ってくれよ。……なんで」

この感情を教えたのは彼女だった。一年を掛けて、彼に人間の世界について話し、そして彼も彼女に自分の世界を話して……そうしてお互いを知ってきた。


「……うぁ、ぁあああああ゛!!」


人魚の悲痛な叫び声は、泡沫のようには消え去ってはくれなかった。


────
───
──



「おそ松兄さん。いつの頃からかパッタリ人間界について言わなくなったよね」
「飽きたんじゃない?」
「フッ。奴も少しは大人になったって事だろう」
「もしくは……人間界で酷い目にあったとか?」
「それなら何かあったか話すでしょ」
「……失恋、とか?」
「まっさかぁー!人間に恋するとか狂気の沙汰だよ」

あの人魚は人間界に遊びに行くことを止めた。あの海岸に行くと、胸が苦しくなって、沢山の考え事をしてしまう。

どうして同じ世界で生まれなかったのか。
どうして好きなのに結ばれなかったのか。
どうして彼女を幸せに出来なかったのか。


どうして、どうして……

最後に、キスなんかしたのか。


「あんな事されたら……忘れられないだろ」


泡沫の恋に溺れた



((今度会うときは、同じ世界で一緒に笑ってられたらいいな))




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