Vampire

□思い上がり
1ページ/1ページ





「拓麻」


 澄んだソプラノで呼ぶあの人を、僕は天邪鬼だと思う。
 それにあの人に引けを取らないぐらい、とても気まぐれだとも。


”髪の毛を梳いて頂戴――”


 彼女がそう言った時、僕は自分の耳を疑った。
 
「……今何と?」

 そう言うと、彼女はやや機嫌を損ねたようになりながら、もう一度言った。

「髪の毛を梳いて頂戴と言ったのよ。聞こえなかったのかしら?」
「いえ……僕が貴女の髪の毛を梳くんですよね?」

 そうよ、とばかりに無言の彼女。彼女の白く細い手から、銀細工の美しいヘアブラシを受け取ると、ちらと彼女の方を見る。
「もし引っかかっても、殺さないで下さいね?」
 そんな事で死にたくありませんから、と冗談交じりに言うと、彼女は無表情のまま振り向いて、カウチソファーに横たわる。

「……更さん?」
「……」
「更さん」
「早くなさい。」

 短い命令。僕は彼女の下部。逆らうことなど――。
「はい」と返事をすると、彼女の髪の毛にそっと触れた。綿毛のように柔らかくて、絹のように滑らかなプラチナブロンドの髪だ。まさに華やかで、気位の高い彼女にぴったりな髪だと思う。髪を褒めても彼女からの反応はない。嫌と言うほど褒められ慣れているのだろう。そのまま僕は彼女の髪にブラシを通して、丁寧に一回ずつ梳いていった。しばらくその動作を繰り返した後……僕は疑問に思っていたことを口に出すべきか迷って――好奇心が勝って尋ねてしまった。

「――どうして、こんなことを僕にさせるんです?」

 こんなことなら、メイドや、それこそ、彼女の”小鳥達”にさせればいいことだ。なのに、よりによって、僕なのか。彼女は僕の方を振り向きもせず、

「さあ?」

 と流す。今まで、紅茶を淹れろだの、本を持ってきてだの、お菓子を作れだの、色んなことをさせられてきたが――全部、彼女の気まぐれだ。
そして全部、彼女の退屈しのぎでもある。

「だって、貴方は私の駒でしょう?」

 だから、私の好きに動かしてもいいじゃない――そんな風に聞こえた。純血種というものは、どうも自分中心なのか――常に、自分を中心に世界が回っているような感覚を持っているらしい。怒っても太刀打ちできる相手ではないのを、僕はちゃあんと知っている。逆らえない相手だと思いながらも、愚かな僕は愚かな質問をする――。

「そうですか……では、その駒が、好いてもない男だったとしても?」

 だって、彼女が僕のことをどう思っているのか知りたいから。答えを知るためなら、傷の一つや二つ、できたって構わない。

 すると、「馬鹿ね」と鼻であしらって、くすくすと笑い出した。カウチに横たわる彼女の肩が、笑いで揺れている。こんなに笑う彼女は珍しいかもしれない。その笑みを正面から見てみたいと思いながら見ていると、彼女がゆっくりとカウチから起き上がって、振り向いた。

 ――途端、急に顎を掴まれる。強い力でぐいと引っ張られ、彼女の瑠璃色の瞳に射止められ、身じろぎできなくなった僕。
 彼女の瑠璃色の瞳は、そんな僕を見て、愉快そうに細められている。白い陶器のような肌に、宝石のような蒼い瞳、薔薇色の唇は弧を描いて――魅惑的な微笑みに、目が眩みそうになる。

「拓麻?」

と、澄んだソプラノの声。
可愛らしく首を傾げられて、逆らう訳もなく、「はい」と返事する。

「……思いあがってなさい。所詮、貴方は私の駒。私の手の平で、思う存分、踊っていればいいわ」

 そう言って手を離したかと思うと、彼女はくるっとカウチの方に横たわった。かなり強い力で掴まれたので、顎が解放されて、内心ほっとしながら、僕は彼女の言ったことを、頭の中で反芻した。そして、その意味を掴んだ僕は、確かめるように尋ねた。

「....思い上がっていてもいいんですね?」

 今度こそ返事はない。彼女は僕の方を見向きせず、ただ肘をついて梳き終わるのを待っていた。
 それが答えなのだと理解すると、止まっていた手を再び動かして、プラチナブロンドの髪を優しく梳き始めた。









-fin-

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]