Vampire

□愛の代わりに心臓を
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「更、あの御方が貴女の婚約者ですよ」

 初めて黄梨様に出逢ったのは、十歳の誕生日を迎えた日。会いたくないと嫌々泣いていた私を、両親は懸命に宥めたわ。泣いた跡は知られないようにと、少しばかり化粧をして行ったのを、今でも覚えている。

 純血種同士の婚姻は義務行為。
 それは家庭教師にみっちり教わったし、両親も物心がついた時から話題にしていたのを知っていた。だから、抵抗しても無駄なのは百も承知だったわ。けれど、幼心に抵抗したかったの。私の人生を狂わせる社会に向けて。私を置いてけぼりにして何でも決めてしまう大人に向けて。

 むすっとした私の前に現れた、長身を覆う夜空よりも黒いマントに、帽子を深く被ったジェントルマン。長い脚に、上品で落ち着いた仕草。そんな彼を見て、私はまるで、物語に出てくる“あじながおじさん”のようだと思ったわ。彼はゆっくりとした動作で帽子を外すと、彫刻像のように美しい顔で微笑みかけたの。

「貴女が白蕗更さん……なんと可愛らしいお嬢様でしょう」

 低く、品のある声が響いて、あんなに嫌だった気持ちがすうと消えていったの。両親に促されて、はっと我に返った私は、練習した通りにドレスの裾を持って、礼儀正しくお辞儀をした。

「白蕗更と申します。私のことはどうか、”更”とお呼びください。お会いできて大変嬉しゅうございます。」

 婚約者、とは名ばかりの契り。元老院が定めた形だけの相手。

 ――けれど、思っていた以上に、彼のことを嫌いにならなかったわ。
むしろ好かれたいと思っていた時期もあったのよ?

 お辞儀の後、ちらと見上げると、彼の視線が合って咄嗟に目を反らしたわ。すると、大きな手が私の頭をぽんぽんと優しく撫でたの。そのぬくもりにつられるように、もう一度顔を見上げると……黄梨様は、慈悲深い眼差しで私を見つめておられたの。黄金の輝きを秘めた、琥珀色の瞳を細めて――。



「では、”更”……仲良くして下さいね」




 お父様と同じぐらい生きてきた黄梨様を、私は私の“あしながおじさん”だと思ったわ。
 その通り、優しくて、穏やかで、気品に満ちた方だったけれど――……そうね、彼の琥珀色の瞳に私が映っていないような気がして――幼心に、手の届かないぐらい、遠い、遠い御方のように思えてならなかったのよ。







 
 
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