Vampire

□まるで雪の解ける刹那のような
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 窓の向こうは、真っ白い雪がしんしんと降っていた。外は寒い。特にこの地域は北の方だから、雪がよく積もるのだ。目の前の婚約者は、椅子に腰かけて、窓を眺めながら言った。

「もうすぐで更の誕生日ですね。」

 いつも12月になると、私の婚約者――黄梨様が訪ねてこられる。
 彼に会うのは嫌ではなかったけれど、いつも会ったところで「お加減いかがですか」「元気で過ごしております」「それはよかった」だの、世間話ばかりだった。年齢が離れすぎて、何を話していいかわからないことばかり。そして婚約者だというのに、口づけも抱擁もなく、どこか余所余所しくて、傍から見れば祖父と孫みたいに見られていたことだろう。そんな私達の中で、唯一の2人同士の会話といえば、誕生日プレゼントだった。

「ええ、もうすぐ16歳になりますの」
「16歳……人間でいうと結婚できる年齢になるのですね」

 結婚、という言葉を聞いて思わず固まってしまった。すると、黄梨様が微かに笑った。そんなのじゃありませんよ、と。嫌な訳ではないけれど、嫌だと勘違いされてしまった――。確かに今結婚するのは嫌。だって恋が何かも知らない内に結婚するのは嫌。でも、勘違いされるのも――。

「別に、結婚が嫌な訳でありませんわ」
「いいんですよ。貴女はまだ若いのだから、恋も知らない内に――」
「黄梨様」

 私の何倍も生きてきた彼。私の心などお見通しなのかもしれない。
 その上で、私の本心に気付いているのか、気付いていないのかもすら、分からないぐらいに悠々と振る舞う。私に見せてくれる気持ちも、本当に本心からかわからないぐらい。
 だったら――。

「欲しいものがありますわ」

 黄梨様は、琥珀色の瞳を少しだけ見開けて、「どんな物です?」と関心を持って尋ねて下さった。

「洋服でも、装飾品でも、なんでも構いませんよ」

と、黄梨様は優しく微笑みながら、色んな例を出して下さる。けれど、どれも違う。私は首を振った。「違うのですか?」と、黄梨様が少しだけ驚いたようにおっしゃった。だって、今までのプレゼントは、本当は私、そんなに欲しいものじゃないもの。両親におねだりすれば買える物ばかり頂いていたもの。すると、黄梨様が「それでは私は帰れませんね」と、じっと私の顔を覗き込むようにしながらおっしゃったのだ。

「……黄梨様?」
「婚約者たるもの、貴女の欲しいものを知るまでは帰れません」
「困りますわ」
「おや、私がここに居ては困りますか?」
「いえ、そういう訳ではございませんけれど……」
「ふふふ……からかっただけです」

 珍しく、黄梨様が声をあげてお笑いになった。よく見ると美しい琥珀色の瞳に小じわがある。ああ、やっぱり長い年月を経て生きておられる方なのだと思いながらも、少しびっくりして、その笑顔から見放せないでいると――黄梨様が人差し指を立てて、茶目っ気を含んだ瞳でウィンクしてみせた。そんな面もあったなんて、知らなかった――。

「それでは、私が当ててみせましょう」
「……ええ、良いですわ」
「それでは……欲しいものは、お金では買えるものですか?」
その問いに小さく首を振った。
「いいえ、違いますわ」
すると、なるほど、と黄梨様。
「貴女の欲しいものは、お金では買えないものですね。それでは……”食事”ですか?」
「し、"食事"だなんて!それを求める程、はしたない女ではありませんわ!」

ぶんぶんと首を振って抗議する。黄梨様は少し意外そうに、「おや、違うのですか?」とおっしゃる。私から見れば、”食事”は特別なもの。恋人同士なら、人間でいう"キス"の行為――それ以上の意味をもつもの。それを平然と言えるのは、年を重ねた黄梨様だからかもしれない。冗談で言っているのか、真面目に言っているのか分からない、年上の余裕を目の当たりにして、少しだけ悔しくなる。それに、思わず黄梨様との”食事”のシーンを想像してしまって、顔が紅くなってしまう自分の幼さが恥ずかしかった。

「うーん……それなら、”思い出”ですか?」

 私は首を傾げた。ああ、と黄梨様が補足で「外に出かけたり、遊びに出かけたりして思い出を作るという意味ですよ」という。うーんと考えた挙句、「いいえ」と首を振った。

「おや、これも違う……でも考えていたということはそれに近いということですね」

 黄梨様は、長い脚をゆったりと組みなおし、少し考えた。
本当は、分かっているんでしょう? 本当は気付いているんでしょう?
けけど、当てられてもどうしよう。仕掛けたのは自分の方なのに、心の準備ができていなくて、心臓の音がばくばくとうるさく鳴る。今更怖気づくなんて――。

「それは――」

 と、不意打ちにノックの音がした。ビクッと心臓が跳ねあがる。黄梨様の家来が、ドア越しに慌てた口調で、黄梨様を呼んだ。仕事の話だ。緊急の事態らしく、黄梨様も少しだけは早口で「今行く」と短く返事をすると、私の方に向き直って、

「タイミング悪いですね。貴女の欲しい物を当てるまでは帰れないと申したところなのに――」

 私はほっとしたような、反面、残念な気持ちで「ええ」とだけ相槌を打った。黄梨様は椅子から立ち上がって、帰りの支度を始めた。黒いコートや帽子を手渡して、彼が羽織ったりかぶったりするのを眺めながら、正直少しだけがっかりしていた。期待で胸を膨らませていた私の胸は、完全にしぼんでしまったのだから。全ての支度を終えた黄梨様は、私の名を呼んだ。

「更」

呼ばれて俯いていた顔を上げると、黄梨様は、琥珀色の瞳を細めながら、私の頬にそっと触れた。


「これが貴女の欲しいものですか?」




 ――。




 それは、彼が帰る前のほんの瞬間。
 まるで雪の解ける刹那のような、口づけだった――。






-fin-

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