Vampire

□物語の続き
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迷子になった。自分の屋敷の中で。

「あれぇ?」

おかしいなぁ。確かここの右を曲がればたどりつくはずなんだけど……とぶつぶつ呟く、一条拓麻。一条家の屋敷は、幾つもの部屋が数えきれないほどあり、一度道を間違えると、元の道が分からなくなる程に、広いのだ。何でこんなに広いんだろう。使わないのに、権力のために必要ないものを作るなんて勿体ない、と内心愚痴を垂れつつ、拓麻はあちこち廊下を行ったり来たりして、自分のいた部屋に何とかして戻ろうとしていた。召使でも呼ぼうかと思ったが、どこに召使がいるのか分からない。しまった。完全に迷い込んでしまった。色々と模索している内に、大きな扉のある部屋へとたどり着いた。

「あれ?」

木製の重厚そうな扉。微かにドアが開いている。
もしかしたら、誰かがいるかもしれない。そう思って、拓麻はそうっと中に入った。足を踏み入れた途端、むわっと埃臭い匂いが鼻を劈いた。うう、埃臭いなぁ……と思いつつ、周りを見渡して、小さく声を上げる。

「誰かいませんかぁ?」

帰ってくるのは、静寂のみ。
うす暗い部屋の中を見渡すと、貫禄のあるデスクが窓際に一台置かれて、取り囲むように周りに数々の本棚が置いてある。壁には、先祖らしき写真が世代ごとに飾られ、無断侵入してきた拓麻を、じっと睨んでいるかのようだった。拓麻は、写真に飾られた先祖たちに怖気付きつつも、好奇心の方が勝って、更に中へと踏み出す。本の虫である拓麻は、デスクのそばまで行き、本棚に飾っている本を目でなぞった。並んでいるのは、吸血鬼の歴史だったり、一条家の家系関係の話だったり、まだ幼い拓麻には難しそうな本ばかりだった。読めそうな本は無いかな、と思っていると、分厚い本の中に、一冊だけ、小さな本が挟まれたように並んでいるのを見つけた。題名はない。何だろうと思って、手にとってみた。
深緑色のカバーで覆われた文庫本のような本だった。
ページを開くと、そこは美しい字で書かれた手書きの物語だった。手書きなんて滅多にない。珍しくて、拓麻はついつい、美しい字体を目で追った。そこには、いくつものショートストーリーで成り立っていて、ジャンルは冒険から推理、ホラー、ファンタジーと多岐にわたった。次々とページを巡ると、ぱらりと何か一枚の写真が落ちた。
何だろうと思って拾ってみると、そこには、生真面目そうな少年と美しい赤毛の女性が映っていた。椅子に座っている女性の隣で、少年が立っている。何かの記念写真だろうか。ぎこちなく笑う少年の隣で、天真爛漫に微笑む女性は、拓麻が今まで見てきた女性や、お母様よりも、はるかに美しかった。

「きれい……」

――いわゆる、一目ぼれだろう。
聡明そうな緑色の瞳、夕陽よりも鮮やかな赤毛。
嫋やかで優しいのに、真っすぐな芯を秘めた微笑み。
――会ってみたい。
拓麻は、じっと食い入るように見つめていた。

「そこで何している」

突然、声がする。ビクッと拓麻の肩が飛び上がる。
バッ、と声のする方を向くと、拓麻の祖父である麻遠が、しかめっ面を更にしかめて、立っていた。幼い時から苦手だった祖父。拓麻は震えあがり、咄嗟に「ごめんなさい」と謝った。麻遠は拓麻の方に足を進める。距離が近くなり、拓麻は、増々身を強張らせた。

「何を持っている?」
「これは――あっ」

返事をしようとしたら、手に持っていた写真と本を取り上げられた。麻遠はちらと写真の方を目にやってから、拓麻の方をじろりと睨んだ。

「お祖父さま、ごめんなさい」

弁解の余地なんてない。拓麻は自らの意思でここに立ち入り、好奇心が向くままに本を開いたのだから。ビンタやゲンコツを食らうのは確かだろうと、ぎゅっと目を固く瞑っていた。
――たが、いくら待っても、それは来なくて。代わりに意外な質問を浴びせられた。

「この女、綺麗だろう?」

拓麻は恐る恐る目を開いて、祖父を見た。

「お祖父さま?」
「この女の隣にいるのは私だ」

小さく微笑んでいる生真面目そうな少年は、拓麻の祖父だったのだ。
えっ、うそ! ……あ、ごめんなさい。と慌てて、自分の口を防ぐ拓麻。

「この女は“鈴姫”と言われている純血種の姫だった。今はもういないがな」
「鈴姫……純血種って枢と同じ……亡くなられたのですか?」
純血種が死ぬときは、自決するか殺されるかの二択しかない。それぐらい、拓麻は知っていた。彼女がこの世にはいないというのなら、自決したか殺されたか、なのだ。
「さあな。もう遠い昔に、自ら姿を消した女だ――今生きていたら一目逢いたいがな」
麻遠の声には、哀愁が滲んでいた。拓麻は、若葉色の瑞々しい目をまん丸くさせて、麻遠の横顔をじっと見つめていた。

「その本も、鈴姫さまが書かれたものなのですか?」

「読んだのか……そうだ。まだ私がお前の時と同じ頃、鈴姫は時々、この屋敷に訪れては、私に自作の物語を語ってくれた。その物語をまとめたものだろう」

麻遠は、手にしていた本を拓麻に渡した。読みたかったら読んだらいい、と。
たが、拓麻は、麻遠の片方の手に収まっている写真を、じっと見ていた。

「何だ、写真欲しいのか」

意図を付かれ、ハッとして、いいえ、と頬を赤く染めながら拒否した。麻遠はそんな拓麻に軽く笑う。お祖父さまが笑うのを、初めて見た――と拓麻は思いながら、祖父を見上げる。

「私もお前も――どこか似ているのかもしれぬな」
「え?」
「たが、この写真はやらん。その本だけはお前にくれてやろう」

拓麻は恐縮しながら「ありがとうございます」と頭を下げた。

「迷ったんだろう? 全く世話のかかる孫だ。元の部屋へ送ってやる」

そういうと、祖父はスタスタと歩いて行った。ぼんやりしていると、どうした、ついてこい、と祖父に催促され、慌てて祖父のあとについて行った。何度も屋敷の廊下を右左折したあと、無事、自分の部屋に戻ることができた。

「お祖父さま、ありがとうございます」
「うむ。気をつけなさい」

はい、と元気よく返事をし、自らの部屋に戻ろうとする――。

「ああ、拓麻」
麻遠は孫を呼び止めた。何でしょうか、と振り返る孫に、言った。


「もう二度と、あの部屋には入るな」と。






  
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