Vampire

□繋いだ手が離れないのならば
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 久々の休日。

 最近、仕事で忙しかったから、久しぶりに娘と買い物にでも出かけようと思っていたのに。愛ったら、「友達とお茶会するから、お母さん一人でのんびりしてて」って言って、私を置いてさっさと出かけて行っちゃった。でも、当然のことだろう。愛も中学生。親離れする年頃だ。
 私も、もう……中学生の子を持つ母親になってしまった。あれから、何十年経ったんだろう……。

「暇だなあ……」

 いざ、時間が出来たらできたで、何をしたらいいか分からない。
 ソファーに横たわってぼうっとしていると、忍び寄るように物寂しさが襲ってきて、ふいに、思い出す。枢のことを。

 いつも、1人になると、枢のことばかり考えてしまう。枢との記憶が蘇るたびに、胸が締め付けられて、喉が渇き出す。思い出せば思い出すほど、考えれば考えるほど、喉が渇く。渇きが激しくなる前に、私は、ソファ―の前にあるテーブルに手を伸ばした。血液錠剤をいくつか取り出して、一気に飲み干した。広がる人工的な味。まずい。はぁ、と深いため息をひとつついて、それからまた、ソファーに横たわった。何も考えないようにして、目を閉じるけれど、数々の思い出が蘇ってくる。

 ――歳を重ねていくにつれて、分かったことがある。それは、あの時は分からなかった、枢の気持ちが理解できるようになったということ。だから、今もう一度、枢に向き合って、語り合いたいと思う。昔のように、ただ無力で、子どもだった私ではなくなったから――。

 その時、ドアノックが鳴った。
 突然で、びくっと身体が驚く。彼の気配だと分かると、すぐに返事をして、玄関に駆けつけた。ドアを開けると、馴染んだ姿がそこにあった。私は思わず、安堵したように、名を呼ぶ。

「零、」

 夜空に照らされて輝く銀髪に、馴染んだ愛想のない顔。
 まだ肌寒い時期。黒いコートを羽織った零は、私の顔を見るとすぐに、こう言った。



「デートしよう」




 それから、私は零の自家用車に乗せられた。
 どこへ行くの、と聞いても、それは着いてからのお楽しみだ、という。ふうん、と軽く相槌を打ち、運転する零の横顔をちらりと見た。仕事で会うことも多いけれど、プライベートでも、何かと支えてくれる彼。いつ見ても、枢とは違った美しさや強さを持ち合わせているひとだと思う。清廉で、鋼のように剛直で――それでいて、温かいひとだ。私は零の、冷たいようで温かいところが好きだった。じっと見ていると、そんなに見られると集中できないといわれ、慌てて目を反らす。

「ねぇ、零」
「何だ?」
「どうして、今日お休みだって知ってたの?」
「愛から聞いた」
「……あの子」

 やってくれた。わざと仕組んで、零にデートに誘うように仕向けたのだろう。

「愛も、愛なりに色々考えているんだろ」
「それはわかってるんだけど――」
「けど?」
「……何でもない」

 すると、零がぷっと笑った。しょうがない奴だなぁというような笑顔を浮かべる零に、少しだけ胸が跳ねる。

「たまには、気晴らしもいいだろ」
「そうだけど……」
「何だ、デート相手が俺じゃ嫌か?」
「そ、そうじゃないよ!」
「なら、いいだろ」

 零も、なかなか手強い。何度断っても、何度拒んでも、待ち続けるんだから。さらに、昔とは違って自分の想いをストレートにぶつけてくるから、こちらとしては返事に困り果ててしまう。きっぱりと断れない私も優柔不断で、最低な女だとは思うけれど――とぐるぐる考えていると、「それに、」と、零が続けて言った。顔を上げて、零を見ると、少しだけ悪戯っぽく笑っていた。

「今に始まったことじゃないだろ。優姫のお守りは」
「お守りって! デートしようって誘ったのはそっちでしょ」
「デートしたかったのは事実」
「……でも、誘ってくれてありがとう。確かに、今日誘ってくれなかったら、気分は晴れなかったかも……。お守りは余計だけど……」
「ああ、余計だったな」
「自分で言ったのに?」
「照れ隠しだ。察しろ」
「あ……そっか。零って昔から不器用だよね」
「そういう優姫も、昔から鈍いのは変わらないな」

 一度口を開けば、ああだこうだと、くだらないことで言い合いし始めるのも、昔から変わらない。こういう痴話喧嘩ができるのも、零だけだ。とめどなく、たわいもない話を続けていると、周りの景色が、街から町へ、町から村へと、だんだんと自然の景色が増えていくのに気付いた。だいぶ遠い所に来てしまったんじゃないだろうか。

「ねえ、どこへ行くの?」
「着いてからのお楽しみだ」
「ふうん」

 窓から覗く夜空が綺麗だった。私が住んでいる家からは見えない、数々の星がたくさん瞬いていて、何かお話をしているみたいだった。田舎の方へと近づいていくにつれて、星の輝きは強さを増した。星を眺めているうちに、だんだんと睡魔に襲われて、私はうとうととうたた寝してしまった。

 あれからいつぐらい経ったのだろう。分からないけれど、随分と心地よかった。車に揺れられたからだろうか。それとも、零と一緒にいたからだろうか。おい、起きろ、と零に肩をゆすられて、ううん、と目をこすって、あくびをした。

「着いたぞ」
「ふぇ……? ……あ!」

 海!
 目の前に広がっていたのは、夜空に照らされた静かな海だった。透き通った藍色の空に、星が銀砂のように細かく、きらきらと瞬いて、その下に、星と同じぐらいに反射して輝き、揺らめいているさざ波。時々吹く、冷たい風が、潮の香りを運んでいる。私は、胸一杯に潮の香りを吸っては、はいた。

「きれい……海なんていつぶりだろうねぇ」

 ねぇ、零、とため息交じりに言うと、車にもたれかかった零が「ああ、そうだな」と微笑った。海を眺めていると、優姫、と呼ばれて、なあに、と零の方を振り向くと、行こう、と手を差し出してくれた。大きな手。その手に枢の手と重なって見えて、その手を取るかどうか、一瞬だけ躊躇ってしまって――零が、躊躇うな、と言いたげに手を掴んだ。それからぐい、と隣に引き寄せられ、そのまま浜辺まで手をつないで歩いて行った。

「……ごめん」
「何がだ」
「ううん、何でもない」

 いつも躊躇っている。何を躊躇う必要がある、と周りは口を揃えるけれど、まだ踏ん切りがつかなくて、いつも零を困らせたり、傷つけたりしている。何度も拒んだのに、どうして、私を選んでくれるの。私は、どうしても、心の真ん中に、枢がずっといて、時間が経てば経つほど、思いは強くなるばかりで――それなのに、零はずっと、私が一歩踏み出すのを待っていてくれる。待っていてくれることに、嬉しいと思う反面、申し訳なくて、早く他のところへ行ったらいいのに、って思う気持ちもある。そうすれば、私も、割り切れるのに、って。

「おい、優姫」

 呼ばれて、「ごめん」と慌てて顔を上げる。夜空に浮かぶ月明かりに照らされて、銀色の髪の毛が、さざ波と同じようにきらきらと輝いている。零のアメジストの瞳が、真っ直ぐに私を捉えて言う。

「俺はお前とデートがしたかった。それだけだ。だから、謝るな」
「……零」
「それに今、俺はお前と一緒に居れて楽しいから、それでいいんだ」
「………………ありがとう」
「礼をいうのはこっちだ」


 歩くぞ、とぶっきらぼうに、だけど優しく、歩調に合わせて、手を引いてくれる。私たちは、しばらく浜辺を歩いた。無言で、手をつないで。海のさざ波の音だけが響いていて。
 後ろをふり向くと、続く2人分の足跡があって、前を向くと、零の大きな背中があって、何だかこそばゆくて、胸が締め付けられるような気持ちになった。この気持ちをなんて言うんだろう。切ないけれど幸せで、幸せだけど、苦しい……苦しいけど、満たされて……分からないよ。だけど、どうか、この時間が少しだけでも長く続きますように、と願ってしまう私は、どれだけ罪深く、欲深いんだろうか。


「――零」
「何だ」
「ありがとう。連れてきてくれて」
「……改まって、何だ」
「ううん。お礼が言いたくなったの」
「そうか」
「……うん」
「……お前さえ良ければ、いつでも連れてきてやる。だから――」


 何でだろう。零。何て残酷な優しさだろう。涙でぼやけてしまうよ。


「だから、泣くな」


 零、私はねぇ。貴方と一緒になれるような女なんかじゃないと思うんだ。それでも、貴方は私がいいという。何て、残酷なんだろう。残酷なほどに、貴方は優しくて、世界も、こんなに――。


「おい……優姫」



 ぽろぽろと溢れ落ちる涙。それをしょうがないやつだと微笑いながら、指で拭ってくれる。考えすぎるんだよ、お前は――そう言って、優しく抱きしめてくれる。その大きくて優しい腕を拒めるわけもなく、零の胸の中で、私は泣いた。







-fin-

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