Vampire

□なぜいつも残酷を孕むの
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 遠い過去の夢を見た。
 もう気が遠くなりそうなほどの、遠い遠い昔。今となっては、私しか知らない思い出。
 かつて、純血種であることに嫌気がさして姿を消した、あの時のこと。そこで出逢った人間の男性と恋に落ち、結婚し、子どもをもうけたこと。夫が亡くなり、子どもも亡くなってから、人気のない、深い森の奥でひっそり暮らしていたこと。森に捨てられた捨て子に出逢って、育てたこと。
 ――様々な人達の顔ぶれが夢の中に現れては消えていく――


 わたしひとりだけを遺して。


 ああ、随分と遠くまで来てしまったのね……


 気が付けば、誰かのために生きていた。
 誰かのために必要とされていないと、生きる価値を見いだせなかった、私の人生。
 長過ぎる生命に時には絶望し、死に憧れたこともあったけれど、その度に輝くような笑顔で、私のことを「お母さん」と呼んでくれた子どもたちが、私の途切れそうな理性を繋ぎ留めてくれた。精一杯に生きて、短き命を輝かせた子どもたち。

 もうみんなの元へ行きたい。
 ……でも、あともう少し生きなきゃいけないみたい。だって誰かが呼び留めているから。私のことを泣きそうな声で……誰かが私を必要としている限り、こうして生きていたいのかもしれない――。




 そっと瞼を開けた。うす暗い照明の光が飛び込んできた。
 ぼやける視野。それは時間が経つとともに輪郭をなし、ゆっくりと形になっていった。
 鈴夏はぼんやりと天井を眺めた。白い部屋。吸血鬼には不似合いなほどに清潔で、病院のような。薬品と血の匂いが鈴夏の鼻をかすめた。右を見やると、赤い血がパックされた点滴が鈴夏の右腕に差し込まれていた。ぽたりぽたりと狂うことなく単調なリズムで落ちていく。ああ、ここは病院なのか、と鈴夏は納得した。

 誰かが手を繋いでいる――。
 左を見やると、そこにははちみつ色をした金髪の男が鈴夏の手を握りながら、眠っていた。
 鈴夏はおぼろげな思考の中で、彼が一条拓麻だと認識した。彼はずっと鈴夏が起きるまで傍に居てくれていたのだ。

 ……鈴夏、さん……

 小さな声で、夢を見ているのか一条は呟いていた。
 鈴夏は長い夢の中で、どこかで私を呼んでいる声がしたのは、この人だったのだと知る。泣きそうな声で、切なげに私を呼ぶ声。貴方だったのね、と鈴夏は握られているその手をそっと離して、その手で柔らかな金髪の髪を撫でた。

 ……ん……

 小さく身じろぎをする彼。優しく撫でられてゆっくり目を醒ました一条は、ハッと夢から覚めたように勢いよく起き上って、鈴夏を見た。若葉色の瞳を見開き、微笑む鈴夏を捉える。途端に端正な顔がゆがむ。

「鈴夏さん……!!」
「ごめんね、ありがとう……」
「もうダメかと思いました」
「……遠い夢を見たわ。随分と遠い過去を遡って……でも私を呼び止める声がしたの」

 鈴夏はゆっくりと一条の方を見つめて、微笑んだ。

「貴方だったのね、拓麻」

 初めて逢った時は年老いた姿だった。微笑む瞳には皺が数本刻まれ、燃え盛る赤毛には色素がちらほらと抜け、所々痛んでいるようだった。拓麻の頬を撫でるその手も瑞々しさが失われた年相応の手だったが――今の彼女は医療によって人間の多くの血を補給され、その容貌は50代の女性ではなく、20代の若々しい彼女に戻っていた。優しく撫でるその手も20代の若々しい手。一条は返ってそれが痛々しくて、胸がちくりと痛んだ。

 きっと彼女は望んでいない。このまま死にたかったはずだ。それでも一条は、彼女を死なせたくなかった。まだ死んで欲しくなかった。
 彼女は、一条の初恋のひとだった。昔、幼い時に一度だけ写真で見たことがあった。祖父の隣で優しく微笑む彼女を。初恋だった。知らず知らずのうちに、恋焦がれていた。一度見た、彼女を手放したくないと思ったのだ。手放したくないと――。


「鈴夏さん」


 一条は、衝動のままに、撫でるその手を捕まえるように握って、真摯な眼差しで、彼女の緑色の瞳を見つめた。決断したかのように、唇を開いた。その時にぶつかった鈴夏の瞳が、丸く見張る。



『僕と――緒に生きてくれませんか』


 台詞は虚しくも空を舞うように消える。云えなかったのだ。今までに何度も傷ついてきた彼女を、また傷つけてしまうだろうから。仮にその言葉を放ってしまったら、彼女の緑色の瞳にはたちまち涙がたまり、噴水のように溢れてしまっていることだろう。一条は、ぐっと堪えて、下を向いた。

「拓麻?」

と、呼ぶ声がしてから、顔を上げ、努めて優しい微笑みを浮かべると、その手にキスを落とした。


「鈴夏さん、覚えていますか?……秋になったら、ベリーを摘むって約束していたでしょう? ああ、それから、コケモモもナツハゼも、ヤマブドウも――」


 一条は、飲み込んだ言葉の代わりに、彼女の家の周りに生えている植物や、飼っている鶏、鵞鳥、それから彼女にしか懐かない気難しい猫の話をした。それを、ただ静かに聞いていた。それから小さく微笑って、「ええ、覚えているわよ」と返事をすると、



「ベリーはジャムにして、コケモモはソースにしましょう。ナツハゼはリキュール漬けにすると美味しいわ。ヤマブドウは動物たちのご馳走だから、ちょっとだけね。今年も暑かったから、きっとたくさん実るでしょうね――」




 そうですね、今年も鈴なりに実ることでしょう。今年も、摘み取って、様々な料理にして、テーブルに並べて、一緒に食べましょう。ずっと云えない言葉の代わりに、そうして来年も、再来年も、貴方が同じ時間を過ごすことを許す限り、こうしていたい――。









-fin-

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