Vampire

□満月の夜に
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見上げると、美しく光る満月。
その周りには、飾るように輝く星の数々。
教科書に載っていた、シリウスにペテルギウスに、プロキオンぐらいしか知らない俺だが、今夜は誰が見ても疑いようがない、雲ひとつない澄みきった夜空だった。
俺と優姫は、ベランダに出て、月に一度満ちる丸い月を眺めていた。
不器用な俺たちは、すれ違いに遠回りを経て、ようやく一から始めることになった。付き合いの長い友人達を訪ねて回り、「やっとか」と呆れながらも祝福するような、優しい眼差しと言葉をもらったばかりだ。愛は、俺達が正式に交際を始めると分かったら、盛大に祝い、それからふて寝を始めた。(優姫はそれをすごく寂しがっているが、愛なりの気遣いだろう)

白い手にはーと息を吐いて、すりすりとこすりながら、優姫が言った。
「何だか今日は心がざわざわするね」
ベージュ色のストールをしっかり身にまとって、少し寒そうにしている。戻ろうか?と尋ねても、もうちょっとこうしていたいと言うので、俺も仕方がなく付き合っている。
「ああ、満月だからな」
吸血鬼にとって、満月は吸血欲求が最も強くなる時期だ。
「そうだね」
そう言う優姫のこげ茶色の美しい髪の隙間から見える白い首筋――。
体の奥底から湧き上がってくる欲望。
気を紛らそうと、空に浮かぶ満月に視線を移す。鮮明に模様が見える。模様には、うさぎが餅をついているとか、女性が本を読んでいるとか、蟹だとか、髪の長い女性だとか、色々な説があるが、そんなこと、俺にはどうでもいい。
「零……ロマンチックだと思わない?」
「何がだ?」
そう聞くと、こげ茶色の瞳を細めてふふ、と微笑った。
「満月の美しい夜に……”大切な人”がそばにいる。それってとっても幸せだよね」
――"大切な人"。
ああ、お前にとって俺は――。
「零……?」
優姫が、首をかしげて俺の目を覗き込むように見る。はっとして、微笑み返した。
「ああ、そうだな」
優姫はずっと迷っていた。あいつがずっと心の中に居て、いつもあいつのことを想っている自分が、俺と一緒になるのは良くないと……。俺を幸せにできないと。
幸せなんて俺自身が決めることであって、優姫が決めることでないと何度言っても、優姫は申し訳無さそうな顔をするばかりだった。あいつごとお前を愛すると言っても……こうして正式に付き合えることになっても……時々、優姫の中のあいつに勝てないことに劣等感を抱いたり、僅かな嫉妬を覚えてしまう。女々しいってことは自覚してる。分かっている。それでも。
「優姫」
「うん?」
「――愛してる」
そう言うと、「ぜ、ろ?」と驚いたようにこげ茶色の目をぱちくりさせて、それから少しだけ頬を紅くした。その反応が可愛くて、少し刺さった棘が溶けていくような気がした。
「ロマンチックな夜なんだろう? だから、それに相応しい言葉を言ってみただけだ」
そうは言ったものの、いざ言ってみるとギザで恥ずかしいものだったんだな。
「……ありがとう」
嬉しそうにうつむく優姫。思った以上に照られたので、どうしていいか分からなくなった。似たような返事など期待もしていなかった。すると、手を握られた。

「――私も……愛してる」

――" I l o v e y o u " ?

今度は俺が驚く番だった。
優姫の顔が、月光に照らされて、眩しいぐらいにはっきりと見える。頬は真っ赤で、口は一文字に結ばれ、真剣な眼差しで、俺を見上げている。こげ茶色の瞳には、真っ直ぐに俺が写っていた。
「優、姫?」
「……ごめん、ずっと言えなくて……今までそばに居てくれてありがとう。これからも……そばにいてください」
嬉しくて、返す言葉を一瞬だけ見失ってしまった。
「ずっと零に甘えてて……ごめんね。ありがとう……」
もう大丈夫。私は前を向いていけるよ、そんな眼差しを向けられた。
――ああ、優姫がそう言ってくれる日を、俺は何年、何十年待ったことだろう。
何度も手を離しそうになって、それでもお互いに、手を離すまいと掴んだ。もう二度と何があっても、優姫が純血種だろうと、記憶を失おうと、手を離さないと誓った。握ってくる優姫の手をつかみ、引き寄せて、強く抱きしめた。
「……もう一度、言ってくれ」
「零、愛してる」
泣きたいぐらい嬉しくて、強く、強く抱きしめた。優姫も顔は見えないが、小さくけれども確かな声でつぶやいた「ありがとう」の声が震えていた。俺と同じ気持ちなのだなと思うと、自分の腕の中の存在が愛しくて、かけがえのないもので、自分の命よりも大切なもので……この生命が続く限りずっとずっと……。


見上げると、美しく光る満月。
その周りには、飾るように輝く星の数々。
教科書に載っていた、シリウスにペテルギウスに、プロキオンぐらいしか知らない俺だが、今夜は誰が見ても疑いようがない、雲ひとつない澄みきった夜空だった。
――ああ、確かにロマンチックだな。
愛してる、そんな言葉をもらえるなんて思ってもなかった今日。
待ち焦がれていた今日この日、不器用な俺たちは、すれ違いに遠回りを経て、ようやく手を繋いで、一歩を踏み出せた――。














-fin-

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