smbr男主長編

□にねんまえ。
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「マルスさん。あの─」

 ──少し、訊いてもいいですか。

 そんな風に彼が切り出してきたのは、時計の短針が今日という日の二度目の12を指した頃。つまり、正午過ぎのことだった。
 遠慮がちな声と、迷子の幼子のようにゆらゆら不安げに揺れる、煮詰めた砂糖にも似た色の瞳。嘗ては琥珀のような煌めきを携えていた筈のその目から透き通る輝きが喪われてしまったのは、一体いつからだったろうと。自分は彼に一等親愛の情を向けているにしては、あまりにも知らない事が多過ぎた。

 答える代わりに、読んでいた本に栞を挟んで机の隅へ寄せる。それだけで彼は意図を察し、自分の向かいの空席に座るのだから、随分と懐かれたと思うし……自分も、確実に絆されているのだろう。

 出会った頃は、とても静かで、それこそ、そういう性根の子なのだと思っていた。けれど深く関わっていくうちに、それはただ、彼というヒトの外側だけを見つめていただけなんだということに気づいていった。

 彼は、決して大人しい性根の、控えめな性格の子なのではない。一見そうとしか思えないその裏には、確かに隠されていたものがあった。
 いつかの日。カービィ君と食事をしていた際、普段は光を映さない、どこか底の無い宇宙にも似た何かを思わせるその瞳には──僅かに煌めきが灯っていたのだ。ほんの僅か目を離した隙に、もうその輝きは消え去ってしまっていたけれど。

 それを見て、確信した。─彼は、その幼さに見合わないものを背負っているのだと。
 それが本来の彼を…街で見掛ける、声を上げて笑う少年少女達と同じであろう年相応の心を、奥底深くに押し込めてしまっている。彼に対して感じるちぐはぐさ─見た目と中身の奇妙な乖離は、恐らくそこから来ているんだろう。

 …彼は、とても聡明だ。だから、心配を、迷惑をかけまいと、一言だって抱えているものを吐き出すことは無い。故に、僕達は彼の抱えるものを知り得ない。
 それでも…何も知らない僕にも、確実に言えるのは──彼はどうしようもなく純粋で、優しいのだということ。それは、過ぎるくらいに。

 純粋さは、決して罪ではない。同様に優しさも。尊ばれるものであり、忘れずにいるべきものだ。

 ……けれどそれらも、過ぎれば毒になる。このまま彼が健やかに、その綺麗すぎるくらいの心のままに育ってゆけば、その毒は何れ、彼自身を苦しめてしまうだろう。

 …だからこそ。僕やカービィ君や皆──どんな形であれ、世界の理不尽や不条理を経験してきた僕達が、彼に世界の厳しさ、理不尽さを教えなければならないのだ。例え、誰も望まない事だったとしても。

 ──ヒトは、決して理想や夢ばかりに浸っては居られないのだと。いつかは必ず目を開けて、世界の醜さを直視しなければならない時がくると。


「あの。マルスさんは─」

 何か、大きな失敗をしてしまったことはありますか。
 …後悔していることは、ありますか。

 たっぷりの間を置いて彼の口から零れたのは、そんな疑問。

 ──風が吹き抜ける。太陽を雲が隠し、僕らの上に影を落とす。いつの間にかさほど変わらなくなった目線にある彼の瞳が、何処か輝きを失ったように見えたのは、果たして。

「……あるよ。それはもう、沢山あるさ。」

 少しの間を置いて、僕は答えた。雲は既に過ぎ去って、彼の瞳にはまた、静かなヒカリが差している。木漏れ日のようだと思った。

「仲間を、守れなかった。敵とはいえ、同じ人間を殺した。何人も、何人も。」

 この手で肉を断つあの感覚も、怨嗟を呪いを叫ぶあの声も、全身に浴びた温い体液の感覚も──全て、全て。まるで昨日の事のように思い出せる。

「戦時だったからこそ、それを為した僕は、いつの間にか英雄王だなんて大層な名で呼ばれたけれど……」

 それは、振り返ればただ徒に屍を積み上げただけだ。僕らが勝鬨を上げたその裏で、どれだけの人が伴侶を、家族を、友を、師を喪ったのか。

「1を殺せば殺人者。なのに、千を、万を殺せば英雄だなんて。…戦争は、生命の価値を狂わせる。今、こうして考える時間を得て、改めてそう思うよ。」

 その果てにどんな成果があろうとも、僕は、この手で人を殺めたのだという事実を一生背負っていく。
 それが、勝利し、生き残った自分に出来る、唯一の償いだと思うから。

「…そう、ですか。」

 有難うございます。そう言って、彼は少し頭を下げた。ここ最近の彼がよく見せる、石のように固い無表情だった。

「…ねえ、キリ─」
「ああ、そうでした。マルスさん」
「…なんだい?」

 その顔を見ていると、不意に。彼が、とても遠い所へ行ってしまうような不安に駆られた。思わず名を呼ぶ僕の声を遮るように、彼が話を切り出した為に閉口する。態とらしいくらいの明るさはどこか、マスターに似ていた。ヒトでない何かが、ヒトに良く似た表情を形作っているような。
 アレと同じ、得体の知れない不気味さを彼から感じとってしまったこと。何よりもその事実に、僕は愕然とした。だってそれじゃあ、まるで彼をヒトとして見ていない(・・・・・・・・・・)と、言っているようなものじゃないかと。


「また、水族館に行きたいです。…今度は、皆で一緒に。」
「ああ─そう、だね。」
「あ、それとあのお店……えっと、カービィと一緒に何年か前に行ったんですけど、そこのパフェが─」
 
 そうして、他愛もない話へと、話題は移っていく。話す彼の表情は、影を帯びつつも、心の底から楽しそうだという矛盾。それがどうにも、やはり僕を不安にさせるのだ。

「それから…」
「─ねえ、キリア。」
「…マルス、さん?」

 ──大きな失敗。後悔。

 彼が、それを既にしてしまったのか、或いはこれから為すということなのか──僕には分からない。

「僕は、キミの味方だからね。」
「……ふ、ふふっ…どうしたんですか、急に…」
「キミが、たとえ何者だろうと、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまったとしても。僕は、キミの味方だ。キミが手を伸ばす限り、僕はその手を掴むと誓うよ。」
「──、」

 本当は、キミがどこに居たとしてもその手を掴むと、そう言うべきなのだろうけれど。でも僕は、万能じゃあない。出来ることと出来ないことの区別くらいはつく。…だから。キミが助けを求めるのなら。その声が途切れない限り、僕はキミの元へ奔ろう。そうしてその手を、確りと握ろう。

「……無理ですよ、そんなの…」
「やってみなきゃ、分からないだろう。」
「…国を預る王子様とは思えない発言ですね。」
「今此処に居るW僕Wは王子じゃないさ。…キリア。キミの、1人の友人として言っているんだよ。」

 決して視線を合わせようとしない彼は、一体何に怯えているのだろうか。彷徨う視線を捕まえるように、卓上に控えめに乗せられていた彼の手を取り、両手で握る。常にひんやりとした彼の手に、じわりと自分の体温が滲んで。ぴくりと手を、肩を跳ねさせた彼は、そこで漸く、再び僕と視線を合わせた。黄昏の色の中に、僕の姿が映り込んでいる。

 彼の口が、徐に開かれる。言うべき言葉を見失ったように、少しの間を置いた後、

「………ありがとう、ございます。」

 そう、小さく呟いて微笑んだ。道端に咲いた小さな花のような、穏やかな笑みだった。

 ─けれど。僕に問う彼の、あの昏いヒカリを湛えた瞳。それがどうしても、僕の脳裏に焼き付いていた。



昏い。
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