ぐっどらっく!

□死に揺蕩う少女達よ
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「貴女はどうして、死にたいのですか。」


 誰にも使われなくなって久しいであろう、錆びた無数の遊具達。服の寄りかかって下敷きになっていた部分に着いた錆の欠片がぱらぱらと雑草の伸び切った地面へ落ちて行くのを見詰めていると、不意に前方の遊具に同じように寄りかかっていたルキナちゃんがそう言った。

 それは、今まで私という人間が生きてきて、幾度となく身内に聞かれ、他人に詮索され、そして自分で答えを探してきた疑問だった。生きてきた10数年間を費やしても尚、答えは見つからないけれど。

「さあ……どうして、だろう。」
「分からないんですか」
「ええっと、ね。分かる分からないとかの話じゃなくて…いや、分からないんだけど。ただ、それ以前に、なんだろう」

 そう思ってないと、多分私はとっくに壊れちゃってると思うんだ。


 思ったままを言えば、ルキナちゃんは素敵な蒼い目を大きく見開いて、それから悲しそうに伏せた。そう、私が答えた後には皆決まってこうなるのだ。それ以外に答えようなんて無いから、私は困ってしまうのに。

 袖が手首を超えない服なんて久しぶりに着たから、腕を這う生温い空気に何だかそわそわしてしまう。両腕の肘より下、手首まで丁寧に巻かれた真っ白な包帯は、彼女がやってくれたものだ。美人で強くて器用だなんて、本当に凄い人だ、彼女は。

 マスターさんから、こういうの─傷とか怪我のことだ─に敏感な人の事は事前に聞いて、うっかり見せてしまわないようにしていたのに。バレてしまった瞬間のルキナちゃんの顔は、それはそれはもう可哀想なくらいに真っ青で、見ている私の方が辛くなる程だったから思わず謝ったら、取り敢えず果物ナイフを取り上げられて、それから何故かきつく抱き締められた。なぜ。

 それから何やかんや…本当に色々とあって、ルキナちゃんは何も無い時はほとんどずーっと私の傍に居る。別に私は誰かがそばに居ることが煩わしいって訳じゃないし、ルキナちゃんの事は嫌いじゃない…寧ろ好きな方だから良いけれど…ただ、物好きだなあとは思う。


 ──私は、彼女みたいな立派な人に心配されるほど、大層な人間じゃないのに。真っ赤な醜い線だらけの腕を見て顔を顰めるのも、拭い忘れた、部屋にこびりついた赤い跡に息を呑むのも、勝手にふらふらとどこかで死んでしまわないようにこうしてついて回るのも、ぜんぶ。彼女みたいな人が、こんなクズみたいな私のためにやるべきでは、ないのに。

「、は……っ」

 ──あ、なんか、久しぶりにやばい、かもしれない。

 ぐるりと、心臓が反転するような奇妙な感覚。息の吸えない水中に放り込まれた様に、苦しくなって。

「……蒼さん?」

 嗚呼、ねえ、ルキナちゃん。すてきなすてきな、あおいあなた。どうか、どうかおしえて。

 ──いま。わたしはほんとうに、いきてるの?


「ぅ、ゔ…っ…は、ぁ、」

 ちかちか。視界が変わりかけの信号機みたいに点滅する。苦しい。気持ち悪い。白と黒が、明るいのと暗いのが、生と死が、ちかちか、ちかちか。いや、にげたい、もういやだ、こんなのやだ、

 しに、た──


「──ッ蒼さん!!」

「っぁ、」


 ざぱん、水が引いていく。白黒の怖いものが消えて、意識が錆び付いた遊園地に帰ってくる。けど、息がうまく吸えない。

 いや、苦しいよ、やだ。私は、なんでこんな。へんだ、変、なんだ、私は、ふつうじゃ、

「……落ち着いて、ゆっくりで良いですから。」
「っひ、は、ぁっ、」

 とんとんと、一定のリズムに揺られる。背中があたたかい。あれ? まさか、撫でてくれたりしてるのかな。そうなら、やっぱりルキナちゃんって、へんなの。

「っふ、ぅ…は、」
「大丈夫、大丈夫ですから」

 呼吸の乱れが、戻っていく。人が人として生きる為の、正常な状態に。─その感覚に、目眩がする。普通に戻ることに、身体が、嫌悪感を示してしまう。

「ゃ…っも、くる、し…」
「蒼さん…?」
「っ、」

 思わず漏れた独り言も、彼女に掬い取られてしまう。どこにも逃げ場なんて無くて、だから、奥歯を噛み締めることで閉じこもった。声を殺して、彼女に届かないように。

 さっきまであんなに苦しくて、それが、嫌だった筈なのに。今が正常な筈なのに、規則正しいその呼吸は、私の中にごとごとと鉛の塊を落としていくみたいだった。

 ……苦しいのも普通なのも嫌なんて、本当に、何なのだろう。我儘にしては、これはちょっと面倒すぎじゃないですか、神様。

 喘ぐように呼吸を繰り返す最中、居るかも分からない神様とやらに恨み言をひとつ。現実逃避みたいな悪足掻きをする私の傍で、ルキナちゃんはただずっと、その綺麗な手で私の丸められた背中を撫でてくれていた。


「…落ち着きましたか?」
「……うん、もうだいじょぶ、だと思う。」
「それは、何よりです。」

 ああ、彼女はやっぱり、私なんかには勿体ないひとだ。英雄と呼ばれるに相応しくて、立派なひと。ただ毎日を普通に生きることすら出来ない私が本来ならば、目にすることだって許されないような、そんな人。

「…ごめんね、ルキナちゃん。」
「貴女が謝ることではありませんよ。…いつも、言っていますが。」
「うん─」

 そうだね、と。彼女が傍にいるようになってからの日々を思い返す。時折こうして錯乱する度、私は自分が情けなくて、彼女に迷惑をかけてしまったことが申し訳なくて、呪いのように謝罪の言葉を繰り返すのだ。そして決まって、彼女は今のように言葉をかける。もう、何十回と繰り返したやり取り。

「……あの、蒼さん。」
「ん…なあに、ルキナちゃん。」
「…これは、真剣に伺いたいのですが。」

 突然、ルキナちゃんが改まって私の方を見る。何だろう。私みたいな人間が答えられることなんて限られているから、彼女の望むような答えは返せないかもしれないけれど。

「先程の……そう思わないと壊れている、というのは…」
「…ああ、それかぁ」

 彼女の問いかけに、目を閉じる。瞼の裏の暗闇の心地良さにひとつ息を吐いて、目を開けた。

 別に、確信があるわけじゃない。そして、特に理由に心当たりもない。幼少期に親に虐げられたような事も、学生生活の中で誰かに虐めを受けたということも、無い。本当に凡庸に、私はきっと生きてきたのだと思う。…でも。

「…ふふ、何でだろうね。だって私、別に痛いことも苦しいことも、貴女や他の皆さんみたいに大変な人生を生きてきた訳でも、ないのに。」
「蒼さ、」
「どうしても、だめなの。だめなんだよ。私は、普通に生きれない。普通の人生を歩んできた筈なのに、私は、私の中の『普通』だけを、きっと何処かに置いてきちゃったんだ。」

 同じような悩みを持つ人を探しているという、電子の海の中に揺蕩っていた言葉。
 それに、手を伸ばして。そうして出会った、見えないところに沢山の傷を作っていたあの子にかけられた言葉が、どうしたって忘れられない。

『……なあんだ。貴女、充分幸せじゃん』

 私は、あの子を傷つけてしまった。そして同時に、あの子も、私を傷つけた。似ているようで遠い痛みを抱えていた私とあの子は、きっと出会うべきじゃなかった。出会わなければ、互いに自分の痛みだけを抱えていられたのに。余計な傷を、負わずに済んだのに。

 ──私のこの痛みは、きっと。私よりもずっとずっと大きな痛みを抱えている人達を、傷つけてしまう。

 …そう、だから。私はきっと死を迎えることで、自分という存在を殺したいのだ。
 不出来極まりなくて、普通の環境を与えられて尚、正常な生命活動を送ることが出来ない、蒼という人間のことを。


「…私はね、ルキナちゃん。私の事が嫌いなんだよ。理由も分からないのに、普通の環境を普通の人達みたいに生きられない。正しい人生を歩めない。それに、」

 ──私よりももっとずっと痛みを抱えているあの子のような人と自分を、あろう事か重ねた。

「そんな自分が嫌いで、嫌で堪らなくて……そんな私を、私自身が一番殺したくて堪らないの。」

 …でも。死んでしまえば、それ以上は殺せない。死を迎えられるのは生きてるものだけであって、死んでるものはそれ以上死にようがないから。

「そ、れは─」
「…うん。つまりね、私は今、私を殺したいから生きてるんだよ。与えられたものを消費することも出来ない、あの子みたいな誰かをきっと傷つけ続ける私を、殺して、殺して、永遠に殺し続けて…罪なんて大層なものじゃないけど、それを贖うために。…そうする事で、何とか生きられてるんだ。」


 自分でも、滅茶苦茶な生き方(死に方)だと思う。今でこそぎりぎり、綱渡りみたいに生きているけれど。こんなのは、いつ破綻するか分かったものじゃない。

「……」

 ルキナちゃんは、言葉を失っていた。絶句、と言ったところかもしれない。
 やっぱり、引いただろうか。言っておいてなんだけど、申し訳ないことをしたな。

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