断固拒否!

□岸辺露伴は観察する
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車がまた店の前の駐車場に停止する。うとうとしているのだろう。たまにかくんと頭が揺れていた杏子に声をかける。辛うじて起きているらしく、のそりと重たそうに垂れていた頭を上げ、キョロキョロと外を見まわしている。


「昼食にするぞ」
「あー…はい」


まだぼんやりとしているらしい、間延びした返事が返ってきて、車から降りる動きも緩慢である。露伴はさっさと車から降り、その後姿を目で追った。
車から降りた杏子はうんっと伸びをして、あくびをしたのであろう、片手が口元へ向かい、肩がゆっくり上下する。そのあと、長い髪の間に手を差し込んだかと思えば、軽く頭を掻いて、そのまますーっと髪を梳いた。散らばった髪が元の位置へ戻っていくのを見届ける前に杏子が振り向き、露伴の方へやってくる様子を見せたので、露伴は店に向けて歩き出した。

決して隣に並ばず、数歩あとをついてくるのはしとやかな印象を抱かせる。文句を言いたげに、ほんのわずかに表情を顰める様子を見せながらもうるさく騒ぎ立てないのも、言いたいことがあるならはっきり言えと言いたくはなるが、それはそれで口論になって面倒なので、この際ばかりは好感が持てる。
もともとはっきりものを主張するタイプでも、頼まれればノーと言えるタイプでもないのだろう。半ば強引に話を進めれば、渋々と言った様子をみせつつも露伴宅に住まうことに同意したし、こうして連れまわし、服屋では着せ替え人形のように扱われても、やはり文句は言わなかった。あぁ、そういえばあの時名前を呼んでやったら面白い反応を見せていたな。ぐいぐい来る店員に対してしどろもどろな様子もなかなかに面白かったが、あの時の顔が一番笑えた。もちろん内心で、だが。

露伴は杏子を観察していた。普段ならこんな面倒なことはしない。能力を得る前は別だったろうが。
ファンであるらしい彼女は、何故か本化できてもその内容を読むことが出来ない。だったら仕方がない。観察するしかなかった。なんとしてでもこの女の経験を我がものにしたいのだ。露伴はわがままだった。杏子の気持ちなど顧みないだろう。
人間関係が面倒くさくて漫画家をやっている節もあるが、誰かの経験を読み、自分のものにすること、それは何物にもかえられない。ほんの少し、杏子のその人生を読むまで、我慢すればいいだけなのだ。いや、違う。我慢するのは相手の方だ。杏子を自分の生活に合わせてしまえばいい。



ファミレスに入って人数を伝える。後ろをついてくる杏子のそわそとして落ち着かない様子が、その姿を認識していなくてもわかる。きっと辺りを見回していることだろう。こいつにはそういう癖がある、それは実証済みだ。
通された席に着くと、露伴が座ったその後に恐る恐るといった様子で向かいの席に杏子が腰を下ろす。店員から渡されたメニュー表を礼を言いながら受け取り、これもやはり露伴が開いた後で開き、メニューに目を通し始め、少しすれば迷っているのか、ページを前後に行ったり来たりさせている。露伴は早々に自分が頼むものを決めてぱたんとメニューを閉じた。
ちらり、杏子を盗み見ようとして、ばっちりと目があった。しかし視線がかち合ったのはその一瞬で、すぐにメニューへと戻された目はやはり右往左往していた。また少しすればとある一点で止まり、そろそろと視線がこちらへ向かってくる。


「あの、決まりました」
「僕はもう決まっている。ボタン押して」
「あっ、はい」


すみません、なんて謝ってきそうな声色で返事をしながら店員を呼ぶためにボタンへ手を伸ばす。やや間があってからピンポーンと音が鳴り、番号のついた掲示板を確認した店員がにこやかに歩み寄ってくる。お待たせいたしました、ご注文は、と定型文で話す店員に露伴が先に注文し、その後に杏子が注文した。注文を繰り返し確認して去っていった店員を見送ってから、杏子はテーブルに広がった2人分のメニューをラックへと立て掛ける。そうすればやることのなくなった彼女は手を膝へ置き、何をするでもなく何もなくなったテーブルをただ眺めていた。
時たま上がってくる視線が、露伴のそれと合わさるとまた下がっていく。そして落ちてくる髪を邪魔そうに耳へと掛ける。髪留めも買っておいてやるべきなのだろうか。
緊張しているのか、喉が乾くのか、顔を上げて水に手をかけたところで声をかける。


「あと何か必要なものは?」
「えっ、ん、んー…いや、歯ブラシとか、あれば、いいのではないかな、と…」
「髪留めは」
「あぁ…あると、助かります……」
「他には?化粧品とかいるだろう」
「……化粧水と洗顔だけ、買っていただければそれで…大丈夫だと思います」
「………」


なんとも曖昧な答えばかりが返ってくる。考えるような間があってそれか。後々にあれがあればよかっただのと言われる方が面倒だというのに。だいたい、化粧品はいいだとか、女としてどうなんだ。
露伴の眉間にシワがよる。それに気付いたらしい杏子の眉は目に見えて下がり、瞳は不安に揺れた。


「杏子、君、何か勘違いしていないか?」
「えっ?」
「僕は親切心で君を家に置いてやろうってんじゃあない。だから遠慮してるんならそれはお門違いってヤツだ」
「つ、つまり?」


不安げな表情から、訳がわからないと言いたげな表情へと変わる。なかなか考えていることの読みやすい奴だ。いや、単に頭がそんなに良くないのかも。やはりこいつはバカなのかもしれない。


「僕が君にやっているのは報酬だ。言っただろう、前払いだって。君は僕に情報を提供してくれればいい。言わばビジネスパートナーだよ。親切にしてくれてるだとか、そういうことを思う必要なんかこれっぽっちもない」
「でも、私、先生のお気に召すような情報、持ってない…と思うんですけど……」


自信が無さそうにぽつりと呟かれるかのような声量。何をそんなに気にする必要があるのか。すでにこんなに杏子のその人生を読んでみたいと、興味を惹かれているのだからそれでいいではないか。


「それは君が判断することじゃあない。…まぁ、そうだな…不満があるなら家事をするか?」
「家事…ですか。なるほど…いいかも…」
「してくれたっていいんだぜ?飯でも作ってくれよ」
「はっ…!あ、ご飯は…作れないんです……」
「…ハァ?」


提案すればそれなら、と顔を上げた杏子が、飯と聞けばハッとして縮こまってしまった。おい待て、そんな訳がないだろう。今度は自分が訳がわからない、という顔をしている自覚が露伴にはあった。


「S大ってのは東京の大学だろう。君がこっちから通うのは無理だ。つまり君は一人暮らししていたんじゃあないのか?」
「えっ、私の実家、東京都内ですけど…だから通えてましたし、ご飯はお母さんが……」
「………」
「あっ、あーっ…で、でもご飯作る以外の、洗濯物とか洗い物とか、あと掃除とかなら、あの、できるので…」
「…………ハァ、いいよ、それで。君が満足するならやれよ」
「…すみません……」


東京での暮らしが嫌になってとんぼ返りしてきた女だとばかり思っていたが、こいつはとんだ親のすねかじり女だ。提案したのは自分だが頭を抱えたくなった。化粧はいい。料理は作れない。女として本当にどうなんだこいつは。やっぱりバカなんじゃなあないか。
申し訳なさそうに謝って、ようやく手にした水を口に含む杏子を一瞥して、盛大にため息を零してやった。そうするとまたさらに縮こまるものだから虐めているような気分になって嫌になる。そうやって自分が困らされていることに腹が立つ。だからあえて言ってやろう。


「あぁそうだ。杏子、この後の予定だが、昼食が終わったら君の下着を買いに行くからな」
「ごふっ…!」


水を飲んでいた杏子が盛大に噎せかえった。顔がみるみる赤くなるのは初心ゆえなのか、それとも咳き込みすぎたせいなのか。どちらにせよ露伴の大人気ない一方的な仕返しは効果てきめんだったようである。非常に気分がいい。特に杏子のような素直な奴は予想した通りの反応を返してくれる。
能力を使えなくとも自分の観察力には自信があるのだ。げほげほと咳き込んでいる杏子の向かいの席で、得意げな露伴はそれからまた彼女の観察を再開するのだった。



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