断固拒否!

□長い一日は終わる
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長い1日だった。
買い物を終えて帰宅し、割り当ててもらった部屋に今日買ったものを全て運び込んだ杏子は、まだ1日が終わったわけでもないのにそう感じていた。
疲れたのだ。単純に。
荷物を整理しておくように言ってから露伴が杏子に割り当てた部屋を出て行ったのはほんの数分前。袋を開けて、中身を出す。洋服は渡されたハサミでタグを切ってクローゼットにしまう。客が泊まるときにでも使うのだろう。ベッドとクローゼット、テーブルと椅子といった最低限のものしかないが、彼の家は元がおしゃれなだけあってそれだけでも様になる。

ふと、一人きりになった空間で考える。これは本当に現実なのかと。就活の厳しさにぶち当たって、ちょっとした息抜きに夢小説とか、二次創作を見過ぎたせいでものすごくリアルな夢を見ているのではないか。確かに階段から落ちかけて腕を掴まれたあの時、痛みを感じたのだが、試しに自分の頬をつねってみる。


「……(痛いわ)」


やはり痛かった。現実、なのだろうか。
そう思うと急に虚しくなってくる。いくらクズでも積み上げてきたものは向こうの世界にあったのだ。例えば、そう、友情だとか。友達も家族も、たぶん、この世界にはいないのだ。


「…帰りたい……」


蚊の鳴くような声だった。この部屋に誰かがいてもきっと何と言ったかわからない、そのくらいの小さくか細い声。口にしてしまえばその思いはじわじわと心を侵食していく。


「(あー、やばい、涙出てきそう)」


考えるんじゃあなかった、と後悔しても遅い。どうせそのうち1人になったらこういうことうだうだと考え始めるんだ、遅かれ早かれ、きっと。
荷物整理する手を止めて、ずるずるとベッドに近付く。ベッド脇にへたり込んでふかふかしたマットレスに思いっきり顔を押し付けた。考えても仕方ないんだから、さっさと気持ち落ち着けて整理しないと、また露伴に何か言われるぞ自分、と無理やり溢れてきそうな涙を引っ込めようとする。目が赤くなるのもからかわれそうだから絶対ダメ。
大丈夫、落ち着いて、深呼吸。


「おい、そういえばこんなものが……何しているんだ」


ガチャ、とドアを開けたかと思えばベッドに顔を埋めている杏子がいる光景に、露伴は訝しげな表情をした。すると杏子は突如ガバッと頭を上げてなんでも!と首をブンブンと振る。
杏子は内心ノックくらいしろよ、と毒づくが、もちろん言ってやるだけの度胸はない。驚いた拍子に出かかった涙が引っ込んだことにだけは感謝するが。取り敢えず視線で訴えようとジト目をして、そこではたと気付いた。露伴が何やら白い塊を持っている。


「なんですか?それ」


首を傾げ、立ち上がりながら問う。あぁこれか、と露伴がその白い塊を持ち上げたが、その形状にいささか見覚えがあった。なぜだろうか。自分がこの世界に持って来たものは最初に着ていたパジャマがわりのジャージくらいなものであったはずだが。


「このシロクマ、君のか?僕の寝室の床に落ちていたんだが」
「……!!!えっ、ちょっ…!?なんて持ち方してるんですか…!」


目が悪いがために近付きながら露伴の声を聞いていれば、彼の言葉でその塊が何であるか、はっきりとわかった。自分が寝る前に抱き締めていたシロクマのぬいぐるみだ。友達がいつぞやの誕生日にくれた、それなりの大きさの大切なものである。
正体がわかったその直後、シロクマの後ろ足を掴んでぶら下げている露伴に、駆け寄りシロクマを奪う。


「わ、私のです…!友達にもらったものなんですから大事に扱ってくださいよ!」
「はぁ?そんなの僕の知り及ぶことじゃあない。だいたい、聞きに来ただけ親切だと思って欲しいね」
「それはどうも!」


あー、もう、あぁ言えばこう言う人だな。口喧嘩では勝てる気がしないので早々に切り上げて、シロクマに汚れがないかを確認する。床に落ちていたと言っていたが、幸い汚れは見つからなかった。そのことにホッと息をついてシロクマをベッドの端に置いた。
その様子をドアの近くで見ていた露伴は呆れたようにため息をつく。失礼な、彼にはこのシロクマがどれほど大事なものかわからないのだ。杏子にとっては何もかもを置いて来たと思っていた、そんな中での唯一と言っていいほどの向こうの世界との繋がりなのだ。


「…今日はさすがに僕も疲れたんでね、取材は明日からにしようと思う。僕は夕飯を作るからその間に君に1つ仕事だ。風呂の掃除をして風呂を沸かして置いてくれ。あとその布団流石に何ヶ月も使ってないんでね、今から干すのは無理だろうから乾燥機くらいかけとけよ」
「はーい」


半ばふてくされながら返事をしたが、それに対して露伴は何も言わなかった。
何がどこどこにある、と軽く説明を受けて布団に乾燥機をかけてから初仕事、お風呂掃除をせっせと行う。ものの数分でそれを終わらせればお湯を沸かす。夕飯に呼ばれるのはまだ先だろう。手持ち無沙汰になったので鏡や壁の水滴もついでに拭き取っておいた。その最中に自分が荷物を整理している途中だったことを思い出したので部屋に戻ってまたクローゼットにタグを取り外した衣類をしまって行く作業に戻る。
それらが全て終わった頃、露伴が夕食に呼びに来たが、やはりノックはなかったので折を見て一言物申そうと決意した。それがいつになるかは、正直なところわからないが。

取材は明日から、と言っていたが結局は簡単な質問があった。家族構成だとか、そう言った感じのとりとめのない話なので取材の中に含まれない、というだけなのかもしれないが。父と母に、兄と弟、祖母も一緒に住んでいておばあちゃん子だっただとか。兄は車関係の仕事をしててその話しかしないだとか、ペットがいるがそれがすごくかわいいだとか、本当につまらない内容で、露伴も聞いておきながらふーんだとか相槌を打つ程度。それでも朝食や昼食の時のような息苦しさは感じず、むしろ家族の話はこうして家族がいない時の方がよく話せるもので、そういえばこの前あぁ言うことがあっただとか、ポツポツと思い出したことを話して行くだけ。
兄弟のことはいいことばかりではないけれど、話題は尽きないもので…なんだかんだで彼らも家族で、大切な存在であったのだと、思い返してしまう。きゅっと胸が締め付けられるような感覚を覚えながらも、そんな大好きな家族の話が目の前の露伴にできたことは、正直心をすっきりとさせた。
無駄に口を出されなかったぶん、余計に。


「ずいぶん仲がいいみたいだな」
「いや、そんな…兄弟とは本当にほとんど喋らないんですけど…んー、なんだかんだ、嫌い、ではないですね」
「家族と喧嘩して帰れないと言うわけではないのか」
「…まぁ、そう、ですね」


あ、墓穴掘ったのか。これは。家族と喧嘩して家出したことにしておけばよかったのだろうか。いや、それはそれで嘘であるとバレるのだろうが。


「ま、そうだとしたら余計に僕の部屋に居た意味はさっぱりだけどな」
「……そうだとしなくてもわからなくないですか」
「僕はまず、その究明をしたいんだが…それは明日以降にしよう。さっさとそれ食べて風呂入って寝ろよ」
「えっ、食器の片付けとか、は」
「それは僕がする。食器はきちんと決めた場所に戻すって決めてるんでね」
「…(形兆さんみあった、今)」


墓穴を掘ったわけではなかったことに安堵して、そんな会話にほんの少しだけ、1人になった時に考えていたことが落ち着いて来たような気がした。もしかして気分が落ち込んでいたのがバレていたのだろうか。気を遣ってくれた、のだろうか。
食事を終えれば指示通りにお風呂に入って、乾燥機でぬくぬくになった布団に潜る。今日はもう会うこともないであろう露伴に、杏子に対する気遣いがあったのかなんて、聞くことはできず、かと言ってそうだとも言ったりしないだろうけれど、憶測ばかりで真相がわからずとも、そうなのかもしれないと思えばほんの少しこの家でもやっていけるような気がして来た。吉良とかいないだろうしそれを考えたら余計に余裕な気もする。いけるいける。そう考えていればほんの少し、元気を取り戻した。

部屋に戻る。疲れたし、と思ってベッドに入ってはみたが、いつもよりずっと早い就寝時間であったために、数十分がたっても杏子はまだ眠れずにいた。ごろりと寝返りを打つと、枕元においたシロクマのぬいぐるみが目に入る。
そこで、ふと思う。このシロクマはどうしてこの世界にやって来たのだろうか。
それと同時に、この世界における不思議な力、スタンドについてを思い出す。露伴にも備わるスタンド能力。アニメを見ただけでうろ覚えなので、詳しくは知らないが、3部には剣があったように、ぬいぐるみにもそう言った力が備わったりするものなのだろうか。さすがに考えすぎな気もするけれど。


「まさかね…」


ありえない、ありえない。そう思いつつもこの世界にやってきたらしい日と同じように、シロクマのぬいぐるみを抱きしめて、やがてやってくる睡魔に身を委ねて瞼を閉じた。



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