異譚・藤梅催花

□3. 兄の溜め息
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「......兄弟、」

何もない、何処にもない、何処でもない、真っ白な空間。

「兄弟、俺だ。」

薄汚れた襤褸布を纏った青年が一人、誰もいない場所に向かって「兄弟」を呼んだ。

『俺だ、と言われましても......オレオレ詐欺ですか? え? ちょっと古くないですかね?』

誰もいないはずの場所からクスクスと無邪気な声が返ってきて、青年は不機嫌そうに「......おい、藤、」と声を低くした。

『......ふふ、冗談ですよ、兄様。』


――反転。


真っ白な空間が反転し、真っ黒な空間が広がり......やがて何もなかったそこに、仄かに花房が光る藤棚が現れた。

「あなたから此方にいらっしゃるとは、珍しいですね、兄弟。」
「......ああ。」

藤棚の下に居たのは、黒絹の髪と藤色の瞳をもつ、美少女のような姿をした付喪神......
打刀『加藤国広』の本霊である。

「相変わらずの無愛想ですね、綺麗なのに勿体無い......」
「綺麗とか、言うな。」

そして、『加藤国広』を訪ねてきた青年もまた、薄汚れた襤褸布の下に金糸の髪と碧色の瞳を隠した、美青年の姿をした付喪神......
刀匠・堀川国広の最高傑作と名高い打刀『山姥切国広』の本霊である。
紺地に白線という同じ柄の制服のようなジャケットを着ていることが、二振りが同じ刀派の兄弟刀であることを示していた。

「俺の事はいい。 ......それより、分霊を降ろしたそうだな、兄弟?」
「ええ、勝手ながら一振りだけ。」

山姥切国広が問い掛けると、加藤国広は口許に人差し指を立てて、悪戯が成功した子どものように無邪気に笑って答えた。

「一振りだけ? ......なんだ、実装ではないのか?」
「刀帳を見れば分かるでしょう? 僕は永久に実装不可なのです。」

審神者用の刀帳に番号を振って記載される刀剣の中で、堀川派の刀剣は『山姥切国広』『山伏国広』『堀川国広』の三振りだけである。
その三振りのすぐ前後の番号には、他の刀派の刀剣の名。
......つまり、三振り以外の堀川派の席は、端から用意されていない。
座る席もない所に、『加藤国広』は図々しくも顔を出した......という状況なのだ。

「それなら何故、分霊を降ろした? 何かあったのか?」

まさか、歴史修正主義者と接触したのでは? ......などと気を揉んだ山姥切国広が経緯を訊ねると、

「......ふっふっふっふっ、よくぞ訊いてくださいました兄弟。 僕の八十姫様の生まれ変わりを、ついに見付けたのです。」
「......は?」
「しかも、なんとその娘、審神者になるというではないですか!!!! だったら彼女の初期刀は、この僕がなるべきでしょう!!!! こればかりは兄弟にも譲れませんねっ!!!! 彼女は兄弟を御所望だったみたいですけどっ!!!!」
「はぁ......」

さも自分は正しいと言わんばかりに答えて熱弁する加藤国広に、山姥切国広は呆れて溜め息をついた。
......何気に“僕の八十姫様”と言ったことには、あえて触れない。

「まさか兄弟......まさかとは思うが、たったそれだけのために、分霊を?」
「え? たったそれだけ? だって僕は、八十姫様の“嫁入り道具”の刀なのですよ? お傍に在ろうとするのは、当然でしょう?」

兄の反応に、弟はコテンと首を傾げて聞き返した。

「兄弟だって、かつての主......たとえば、長尾顕長様が生まれ変わっていたなら、せめてお逢いしたいとは思いませんか? 父様に兄弟を作らせた御方でしょう?」
「......生まれ変わりだとしても、人格が異なればそいつは違う別人だろう?」

諦めの悪い弟に、もう懲りろ、諦めろ、という意味を込めて兄は諭す。

「いいか、兄弟? 向こうは人間、俺たち刀は所詮、“物”だ。 写しの俺なんかが言える立場ではないが......いい加減、ある程度の見切りをつけろ。」
「......それは、まぁ......」
「それに、かつての持ち主に逢いたくても逢えないという名剣名刀は数多いる。 そいつらにこの事が知られたら、妬みを買う事案だぞ?」
「そう、ですけど......」
「......兄弟、」
「それくらい、僕だって......藤だって、わかってますけど......っ、」
「......。」

......こいつは昔から、感情の浮き沈みが激しい奴だったな。

兄の言葉に、弟はみるみる沈んでついには座り込み、膝を抱えた。
その弟の黒髪を撫でてやると、藤色の潤んだ瞳が上目遣いで甘えてきた。

「......兄様、」
「......なんだ、藤、」
「姫様だけじゃなくて、あの......肥後郷の気配もしたんです......『姫様を守れ』って、告げられたんです......だから......」
「......。」

言ったそばから、この弟はこれである。

 『肥後郷』

『加藤国広』が加藤清正の娘・八十姫の嫁入り道具として持たされたのと同時に、嫁ぎ相手の徳川頼宣への婿引出物として、肥後熊本から紀州に贈られたという、郷義弘作の刀。
加藤清正の所用となった縁で共にあった頃から、加藤国広はその郷に惹かれ、慕っていたという。
将軍家に献上という形で離ればなれにされて、大火で焼失したと知ってなおも、彼を想い続けているのだ。

......だって、実物が焼失したり行方不明だったり投棄されたらしい刀剣でも幾振りか実装されて、顕現しているではありませんか!!!!
......彼も、可能性はあるでしょう?

などと理屈を付けては、同じ大火で焼失したという『包丁藤四郎』が実装されたことで、ますます諦めが悪くなった。
もしかしたら、別の現存しているほうの『包丁藤四郎』かも知れないし、習合体かも知れないというのに。
それを指摘すると、「いいえ、あれは焼失したほうの包丁君に間違いありません! 彼も一時期、僕と同じ紀州に居ましたから!!!! ......尾張? 知りませんよ、彼方の事はあなたの本科様にでも訊けば?」とムキになって断言し返された事もあった。
そしてその日、最後の余計な一言で兄弟喧嘩までしたのは......もはや、兄弟間の茶飯事である。


――閑話休題。
『肥後郷』について、話題を戻そう。

問題なのは、彼が“焼失刀”という事ではなく、“郷義弘作”だという事だ。
“郷義弘作とされる刀”......つまり郷派といえば無銘が多く、「郷と化物は見たことがない」と囁かれることで有名な、あまりにも存在が稀少な刀派でもある。
おまけに、それらを打ったとされる義弘は、正宗、藤四郎と並んで豊臣秀吉から「天下三作」と称賛された名匠だ。
故に、大名や武家の者は「天下三作」の刀を挙って欲しがり、大変珍重した。
その三作の中でも、郷派の刀の中には、「何故、そんな所にこんな業物が?」という所から見出だされたものが多い。
たとえば、名も無き農家の神棚だったり、戦死者の屍の下だったり。

何処に潜んでいるのか、何処から出てくるのか、分からない......。


......まさに、“化物”。


そんな化物刀が一降りでも実装されれば、忽ち審神者の間でも難民量産機となるに違いない。


「......煌......ぅぅ......っ、」

か弱い乙女のような、圧し殺した嗚咽。


この弟は、失われた“化物”に、心を奪われたままでいる。
約五百年以上の、長い、永い初恋に、酔い続けている。


「はぁ......」

兄は「どいつもこいつも......」といつもの常套句を言わんばかりに襤褸布を掴んで、また深い溜め息を吐いた。


《続》


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