グラブル

□それが祈りだと知りながら
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久遠の指輪というものがある。特定の島でしか手に入らない貴重な合金鋼、クロム鋼を用いて鍛造するその指輪の製作過程は門外不出だ。

職人が少なく、入手経路における星晶獣絡みを理由に素材の方もほとんど流通しないゆえに、現段階では限られた数しか手に入れることができないらしい。

さらにその指輪には、身につけた者の能力を底上げするという不思議な力が宿っていた。大変に希少価値のある代物である。

そしてその美しく、特別で、全空を回ってもおそらく幾つとない装身具は今、上品な紺色のケースに大切に抱かれて、ユーステスの手の中にあった。


「何故」というのが、ユーステスの胸中を占める感情のほぼ八割であった。困惑の滲むそれは彼の頭上に見えない疑問符を浮かばせる。

しかしユーステスは戸惑いながらも、艇内の一室に向ける足を止めなかった。無論、その面差しからは誰が見ても常の平静さしか見てとれなかっただろう。

ユーステスが搭乗する騎空艇グランサイファーは、任務を終えて『四象の島』と呼ばれる辺境の浮島を離れ、直近の島へと移動している最中である。

その島で不定期に目覚める星晶獣たちを鎮めるのはもう何度目のことか。年若い団長に問うても彼(か)の少年は何でもないことのように笑ってみせる。

星晶獣も鎮めて武器の強化に必要な素材も手に入るのだから一石二鳥、とピースサインまで作るあたり頼もしいを通り越してもはや末恐ろしい。


この指輪は、そんな団長から託された預かりものだった。

「どうかユーステスから渡してほしい」照れた様子もなく、かと言って真面目な表情でもない澄んだ瞳に映っていたのはいったい何だったか。

言うなれば、およそ十代の少年が浮かべるものとは思えぬ、慈しみにも似た色だ。

柔らかな金糸と優しい藍の瞳を思い出す。彼とて団長から直接手渡された方がきっと嬉しいのだろうに。





閉じられた扉を二度、一呼吸置いてからもう一度ノックすると、時を置かずに室内から「どうぞ」とユーステスを招く声が返った。


「やあ、お疲れさま」


剣の手入れをしていたらしい。顔をあげたロミオは穏やかな笑みを浮かべてユーステスに椅子を勧め、伏せられていたカップに紅茶を注いだ。

ロミオに宛がわれた部屋を訪れると、いつもカップが二つ用意されている。彼のもとを訪れる人間は団長やルリアを含め片手で足りる程度というのだから、それを思うと何か胸の奥がむず痒くなる心地を覚えた。


「ユーステス、ちゃんと回復してもらったのか? なんだか傷が残っているように見えるんだが……」

「掠った程度だ、これくらいは傷に入らない。奴の相手をしすぎて行動パターンを覚えたからな」

「違いない。星晶獣相手だというのにルーティンに思えてしまうなんて、慣れとは恐ろしいな」


互いに目立った外傷はないが、それでも蓄積した疲労まではどうしようもない。困ったように力なく笑むロミオにユーステスは口の端を持ち上げて紅茶を口に含んだ。

こればかりはしっかりと食事を摂るとか、十分な休息を過ごすとか、ゆっくりと就寝するとかしなければ、体力回復は望めない。幸い伝声機が音を鳴らす様子はなく、もうしばらくは自由な時間を過ごせそうではあった。


「少しいいだろうか?」


気づけば、ロミオは向かいの椅子ではなくユーステスの隣に歩み寄っていた。右手のハンカチと左手の小瓶を認め、ロミオを見上げる。透けた赤の小瓶は騎空士を中心に普及する回復薬だ。

ユーステスの沈黙を肯定ととったのか、ロミオはハンカチに薬を染みこませて褐色の肌に残る汚れと掠り傷を拭い始めた。丁寧なその所作に思わず息を呑むが、すぐに気を取り直し献身的に動く右腕に指をかける。


「気にするな。放っておいても治る」

「僕が放っておけないんだ。何が減るわけでもないだろう、やらせてくれ」


青い双眸に間近で見つめられ、次に続けるはずの言葉は霧散してしまう。口を噤み好きなようにしろと目を伏せると、クスと小さな笑声が耳元に落ちた。

布越しに柔らかな感触がある。常の籠手は外され、その指は裸だ。彼の白い手は、ただ静かにユーステスの傷をなぞる。

ぼんやりと小瓶を持つ左手を眺めていたユーステスは、環を嵌めた彼の指をふと想像し、咳払いをした。妙な様子が気になったのか不思議そうに首を傾けるロミオから視線を外す。


「痛むのか? それとも、気に障っただろうか……」

「そうじゃない。……俺自身の問題だ」


ボソリと呟いた言葉が聞こえたか否か、きょとんと目を丸くしていたロミオはやがて傷の全てに染みこんだ薬をあてがい終えると、ようやくユーステスの向かいへ腰を下ろした。

ユーステスが何とはなしに頬をさする目の前で、彼は満足そうに目を細めカップに口をつける。胸元に入れておいたケースを確認のために撫ぜてから、ユーステスはひっそりと深く息を吸って、吐いた。


「……渡すものがある」


僅かに変わった声色を感じ取ったのか、ロミオがカップをソーサーに戻す。耳の奥に響く鼓動が早まった気がして、もう一度深呼吸をした。

これは団長からロミオへの贈り物であって、ユーステスからロミオへの贈り物では決してない。


「団長から預かったものだ」


間隔の狭くなる脈拍を落ち着けようとして、半ば己に言い聞かせるように断言する。顔色が表に出にくい自身の身体的特徴にこの時ほど感謝したことは今までなかっただろう。

ユーステスが己自身の心臓に四苦八苦する正面で、ロミオは一瞬きの間身を固め、次いですぐ傍にある備え付けの戸棚の引き出しを開けていた。

再びユーステスと向き合ったロミオの手の中には真白の小さなケースが収まっている。ユーステスが取り出した紺のそれと、よく似たデザインだ。


「ユーステス。実は僕も団長から、君に渡してほしいと頼まれていたものがあるんだ」


そこからは、ロミオの方が早かった。らしくもない躊躇いにケースを差し出せずにいたユーステスより先に、ロミオが白いケースを開けてしまう。

リングケースの中身を見つめ、ユーステスは一つゆっくりと瞬きをした。純白の上質な生地に抱かれる黄金の指環は、まさに今ユーステスがロミオへ渡そうとしているそれと同じ品だった。

透き通る空の青を包んだ美しい指環。特別な力を宿す、希少な指環。

ようやく紺のケースを開き同じようにロミオへ見せたユーステスは、小さな嘆息を吐き出しながら卓上に片肘をついて伏せた額を手のひらで支えた。


「いったい、団長は何を考えている……」

「驚いたな……。ただでさえ入手しにくいクロム鋼が大量に必要だというのに、そんな代物を二つとは」


まじまじと互いの指輪を見比べて、その遜色のない出来にロミオは感心しきっている。

のんびりとした彼の様子にユーステスは脱力した。同時に、預かった装身具を渡すだけだというのに、言いようの無い羞恥に襲われていた自身に呆れ返る。


「つけてみたらどうだ?」

「君が先につけてみてくれ」


有無を言わせぬとまではいかないが、柔らかい目に真っ直ぐに射られて否とは口にできなかった。断る理由もないので、グローブを外し右手を白いケースに伸ばす。

しかし指輪はユーステスの手には渡らなかった。


「手を」


ロミオが右の手のひらを上向ける。自然、ユーステスは左手を差し出す運びとなり、静寂というよりも沈黙が室内を支配した。

体温が薄く重なり合う。肌と肌が触れ合うことなど滅多になく、ちらと窺ったロミオの瞳はこちらを見ずに、ただ預けられた手の甲ばかりを注視していた。

不意に、偶の酒の席で酔った同僚が夢見がちに零す憧れ話を思い出した。

曰く、身にまとうのは純白の衣装。手には可愛らしいブーケを携え、鮮やかな花を飾った真白の式場で誓いの言葉を述べる。二人は互いの左薬指に約定の装身具を嵌めた後、誓約を封じる口づけを交わし、永遠を約束する。


「……」


彼に対して抱いていいものではない。それは重々承知である。だが、しかし、これではまるで――。


「ユーステス」


名を呼ばれ、ユーステスはハッと瞠目した。


「どうだろう? サイズは合っているだろうか?」


人差し指に、指環は輝いていた。きつくもなく、ゆるくもなく、ぴったりと指に寄り添う環の感触に、ユーステスは静かに頷く。

指のサイズなど測った覚えはないのだが、よくこうもぴたりと嵌まるものだ。もしかすると、魔法の類いなのかもしれない。


「ユーステス、これは君には不要かもしれないけれど」


一度、ロミオの言葉が切れる。こちらの反応を待っているのだ、と気づいたユーステスが指輪からロミオへ視線を移すと、彼の青い瞳にどこか照れくさそうなはにかみが浮かんだ。


「その、左の人差し指というのは、迷いを払い進むべき道を切り開く、という意味があるらしいんだ」

「そうなのか……。覚えておこう」


口の端に笑みを乗せるユーステスに、ロミオはふっと安堵したような吐息をつく。特別な指輪にロミオは願いを閉じ込めてくれたらしい。

ユーステスの知らない多くのことを、彼は知識として記憶し活用しているのだ。指輪の祈りに返答することができれば良かったのだが、ユーステスは同じ知識を持ちあわせてはいなかった。

ならば、彼の祈りに倣うしかあるまい。彼が迷いに涙することがないように、彼の行く道を照らす光があるように。

引き寄せた左手の人差し指に、紺のケースから取り出した指環を嵌める。驚くほど馴染むサイズのそれに、ロミオはくすぐったそうに笑った。


「ありがとう」

「礼なら、団長に」

「そうだな…。後で共に言いに行こう」


陽光を美しく反射する指環は、その名に久遠を冠する。早朝に出立した空は、まだ青い。





◇◆◇◆◇◆


お互い手の先まで防具で覆ってるので、結局チェーンに通して首から下げようということになったユスロミが、物資補給に立ち寄った直近の島でお買い物する蛇足オマケ会話文(長…)

「シェロカルテ殿に頼んだと言っていたが、こうも早くできるものなんだろうか? 僕は島を離れる直前に団長から渡されたのだけれど、君は?」
「俺もお前と同じだ」
「魔力も宿っているようだし、数ヶ月はかかりそうな代物だが……」
「お呼びになりましたか〜?」
「うわっ!? シェ、シェロカルテ殿……どうしてここに…?」
「ふっふっふ〜、大切なお客さまのためならシェロちゃんはいつどこにだって駆けつけますよ〜」

「お二人がご一緒に街に出ているなんて珍しいですね〜。何か御入用のものでも〜?」
「この指輪を首に下げて身につけようかと思って、見て回っていたんだ」
「そういうことでしたら、うちに良いものが揃っていますよ〜。ご覧になりますか〜?」
「ぜひ!」
「助かる」
「特別な指輪ですから、失くさないようとびきり丈夫なものをご用意しますね〜、うふふふ〜」




どこかしらに入れたかったシーン、本文に入りきらなかったので会話文だけぶち込んだ。

久遠の指輪をあげたので。


お題は「まばたき」様より



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