□おこごと上司(趙雲)1
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1.

憧れだった
優しくて、強くて、まるで絵物語から出てきたような風貌、鍛錬を常日頃から怠らない努力家
忠義に厚く何者にも礼節を弁え、上の者だからと奢らない態度

きっとこの王子様のような人の恋人は幸せなのだろうと思っていたし
信じて疑わなかった

だからこそこの完璧な人にそういう浮いた噂が一つも流れてこないのは
とても疑問だったし
むしろ龍陽の疑いがあったくらいだ

だが憧れと現実というのは残酷な程に違う
憧れという色眼鏡が虚像を作り上げているからこそ現実の
色味のない実像にゲッソリとするのだ

蜀の城内の文官の1人名無しさんはつい数週間前のこの部屋の主に憧れの念を抱き
信じて疑わなかった自分を後悔し、叱責しながらため息をついた

トントンと形式上のノックが施されこの部屋の主、もとい
憧れのはずだった本人ーーー蜀の五虎大将軍の1人の趙雲が部屋に入ってきた

「名無しさん、仕事を増やしてすまないがこれも頼む」
いつもの涼し気な表情で何やらえげつない量の竹簡を両手に抱えて
卓上に広げた

名無しさんは一瞬ゲッソリとしたがこんな事はあの諸葛亮が
入ってきてからは日常茶飯事なので「かしこまりました」とだけ
答えて椅子から立ち上がり竹簡の方に迎う
すると趙雲の眉が顰められた

(またか……)

「名無しさん、あれ程身だしなみはきちんとするように言ったではないか!
またこんな軽装で!ここは城内の執務室だぞ」

はぁ、とため息をつきたくなるのを必死で飲み込む
この間誤ってため息をついてしまった時は
いつも半時で終わるお小言が1時間に伸びて記録を更新してしまったからだ

「ですが趙雲様、ここは趙雲様か、気心知れた下々の者しか入ってきません、
それに筆を執るということは墨で汚れるのは承知の沙汰、そんなに上等な服装では
職務を全うできません、それに暑いんです!」

とうとう言い返してやった……


今日こそは、と勢いに任せて抗議した名無しさんの動機は激しく息を切らしている
いつもは黙って相槌をうち堪えて聞いていたが
以前からこう言おうと心に決めていた

趙雲は服装に限らずこう言ったお小言が多い
そこら辺の親よりも五月蝿いのではないかと思うくらいだ
立場上、幼子の世話をしたり後輩の面倒を多く見てきた彼は
いい意味で言えば世話好きなのかもしれない

私からしたら迷惑極まりないお節介だが
大体軽装と言えど作業する上で楽なため
上の羽織1枚を脱いでいるだけなのだ

ずっと何も言葉を発さない趙雲に疑念を抱き
恐る恐る下を向いていた顔をあげると
そこにはやはり眉を顰めて子供をしかる親のような顔があり
思わず「ひっ」と声を上げてしまう

「ここの出入りは緊急時に上の方がいらっしゃる可能性も充分ありうるし
暑いというがこの暑い中分厚い鎧を着て将達は槍や剣を振り回している、
文官の正装などそれに比べれば過ごしやすいはず、それに筆を執る時は袖を捲り
正しい姿勢で挑めばそのように汚れることもあるまい、大体お前の筆の
執り方は……」

長い長いお小言大会

服装から始まったといえば筆の執り方、普段の姿勢、
日頃の態度まで多岐にわたるダメ出しをされる

趙雲付きの文官に任命されたばかりの彼への憧れの気持ちがあった最初の頃こそ
小言を言われたら落ち込んでもきちんとやろうと言われたこと全て
治すことに専念した
だが治していってもどこか抜けている所のある名無しさんはまた次の段階のお小言や
あら捜しを毎日のようにされて
趙雲がまるで姑の様に見えてきた頃には憧れの念をどこかに置いてきてしまった
治すことを諦めてしまった最近の名無しさんは落ち込むこともなく
このお小言の時間に適当に相槌をうちながら
余所事を考えるようになっていた
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