ツギハギはぁと

□うそつき
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『うそつき』

流れるヘッドライトが夜の街に溶けていくのをいくつ眺めただろう。
カップの底にはとうに乾いた三日月。

こんな時間も前は幸せだった。
ポーチからミラーを取り出して、少し人目を気にしながらお気に入りのリップを塗り直して。
手持ち無沙汰に読みかけの文庫本を開いてみても落ち着かなくて何度も閉じたり開いたりを繰り返してた。
片方だけつけたイヤホンから、夜を泳ぐようなLo-Fi。
待ち人が来るまでのこの時間がとてつもなく素敵な事のように感じていた。

得体の知れない人。そんな印象は今も変わらず。
知っている事を数えても、二杯目のコーヒーを飲み終わるまでには終わってしまいそう。
知らない事が多いなんて、ミステリアスでなんだか大人の恋愛っぽいだなんて。
そんな事に夢見る歳でもないくせに。

恋しちゃいけない人に恋してしまったとか、後ろめたさを感じる暇もないくらい惹かれてた。
それももう、ほんの少し過去の話になりつつある。

コールのないまま1時間半。
あなたを待った時間はどれくらい?
また今夜もスコアを更新しそう。
でももう限界。
だって今夜は特別だったから。
そう思ってたのは自分だけだったんだって、気付かされて惨めになる。
無言のスマートフォンをポケットに入れて、コーヒーの香りが漂う店内から夜風の吹く街へとドアを開いた。

わがままは言わない。
ほんとはもっと強請りたい。
言葉なんてなくてもいいだなんて言って、ピノキオみたいに鼻がのびちゃうかも。
ほんとは寂しいの。
本音隠して強がってる。
ほんとはあなたの全てを独り占めしたい。
夜が寒くて暗くなくても側にいてよ。

安定剤をちょうだい。
その声で、指先で、綺麗な瞳で、私を安心させてよ。

ひとたび外に出れば冷えた空気にたちまち包まれて。
肩を寄せ合う恋人たちを尻目に、一人駅までの道を引き返す。
改札に着く寸前、捨てきれずにいた期待がコートのポケットの中で震える。

着信画面を確認してからすぐに出るなんてなんだか癪に障ったけど、私には出来て5秒。
やっぱり期待してしまってるのは隠せない。
通話ボタンを押してから相手の声を待った。

「ごめん。」
予想はついてた。
今夜はもう会えない、それならもっと早く言って欲しかった。
なんて、それも強がり。
会いたい、会いたい、ただそれだけでいいのに。
「遅くまでお疲れ様。」
労ってる風を装ってるなんて健気でしょ。
自分を褒めてあげたくなる。
「悪かった…連絡もしないで。」
疲れているのか、私を待たせた事への申し訳なさからか少し沈んだ彼の声。
「気にしないで。」
気落ちしてるのはこっちの方なのにって、それでもうそをつく。
気にしてくれなきゃ嫌なのって。
見栄張って言えないの。
誕生日だけは時間厳守で、ってそれどころかデート自体が反故されてるって状況。
私、可哀想すぎる。

「ゆっくり休んでよ。…今夜も寒いから暖かくしてね。」
「…どうしても渡したくて…。」
「え?何…?」
駅の改札口で柱に背を預けて彼の声に耳を澄ませた。
「手ぶらで祝えないだろ。」
革靴の音を背後に感じて振り返る。
サラウンドみたいになった彼の声が目の前から聞こえて、通話になったままのスマートフォンを持った手が落ちた。
「時間を守れなかったペナルティは後で返上するよ。」
苦笑いした彼の手にはリボンのついた小さなギフトバッグ。
「もう、今夜は会えないと思ってた。」
「もっと早くに来れる予定だったんだ。色々ごたついてて遅くなった…悪かった。」
2度目の謝罪の言葉を聞いて頬を膨らませてみたけど多分緩んでるのが自分でも分かる。
隠しきれない嬉しさにとっくに怒りや悲しみや落胆を忘れてる。
笑ってしまうくらいに単純。

「前に行った店で、気になって見てた指輪があったろ。」
暖かい車内でぽつりと彼が言った。
「あれ、予約しておいたんだ。」
「えっ…そうなの?」
指輪なんて何かを確約するつもりも無いまま贈れない、そんな事を言ったのはどこの誰だっけ。
「今日会う前に取りに行くつもりだったんだけど、店が閉店時間になって。」
「百貨店とっくに閉まってる時間だよね…って…どういう事?」
「ああ…。だから、どうしても必要だってわがまま言った。」
「ええ?…ええーっ?!まさか…」
「まぁ…わがままも言ってみるもんだな。」
そう言ってなんだか楽しそうに笑ってる彼を見てやっぱりミステリアスで得体の知れない人と思う。
どんな無茶を言ったのかは知らない。
でもきっとあの中には私の指にぴったりのリングが入ってる。


end


 

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