小説

□Episode0
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思い出すのは、いつだって最後の絶望だ

誰もいない部屋と
机の上の一通の手紙

たったそれだけで
僕の世界の全てを奪うのには
充分すぎたんだ

太陽は光を放つことをやめ
世界は色をなくした

音さえも耳に届かないこの場所は
深い海の底に沈められているのと同じだ

暗く冷たい海底の底から
水面よりもっと上にある光を
想像しては消える

始めからそんなものは
存在しなかったのだと諭すように



Wーー大丈夫W


ふいに音が、耳に触れた


Wーー大丈夫
あなたは間違っていないW


声の名前は、光だ


W可哀想に…誰だってそうさW


掬い上げてくれた声だ


Wごく普通のことだW


灰色の世界に
色が加わり始める


W悲しみの弔いをしようW


冷たい体に
懐かしく温かい血が通い始める


W大丈夫だよW


あの人は、希望だ








「ーーさん、九条さん!」
肩を揺すられ、ハッと目を覚ます。
目前には、心配そうに顔を覗き込む青年の姿が。
「大丈夫ですか?随分うなされていたようなので…」
「…あぁ、大丈夫だ」
夢から引き戻され、どうしようもない虚無感に襲われる。
膝には読み古された赤い冊子。
読書中にうたた寝をしてしまったんだと気づいた。
「部屋に勝手に入ってすみません。荷物が届いたのでノックをしたんですけど、返事がなかったので…。今、お水を持ってきますね」
青年が手際よく動いてくれるので、安心して任せもう一度目を閉じる。
夢の余韻に浸るまどろんだ時間は、いつも心地がいいものだ。
「荷物はどこに置いておきますか?大量のワインボトルのようですけど」
「適当に置いておいてくれればいいよ」
欠伸を噛み殺しながら、視線を膝に戻す。
愛しい愛猫を撫でるように、本の表紙にそっと触れた。
「…たどりついたネヴァジスタで、いつまでも幸せにくらしましたとさ」
物語の一文を、そっと呪文を唱えるように声に出してみる。
「ネヴァジスタですか?」
コップを差し出した青年の視線が、赤い本に移る。
「そうだ。君も読んだことがあるね」
赤い表紙には、WNEVERSISTAWの文字。
「どう思った?」
「…僕の物語だと思いました」
それは憂いを帯びた、懺悔をするような悲痛の叫びだ。
「そうだ。そして、僕の物語でもある」
これは喜劇ではない。
絶望と失望で全てを失った、悲しいおとぎ話だ。
「ネヴァジスタは誰の心の中にもあって、それに気づかずに生きていくか、鍵を手に入れて扉を開けるかのどちらかなんだ。ネヴァジスタの本はその鍵さ。そして僕らは鍵を手にし、その扉を開けてしまった」


ーーさあ、始めよう

もう一度
光を掴む為に



ーーキィン!!!

「…くっ!!」

突如、頭を突き刺すような衝撃。
激しい頭痛と眩暈に襲われ、頭を抱えて苦痛に耐える。
「九条さん!」

ーーまただ

ーーいつものことだ

ーー鎮まれ

ーー大丈夫

ーーもうすぐ終わる

「薬です!飲んでください!」

ーーあともう少しだ

ーーあともう少しで

ーー全てが終わる

ーー全てが還ってくる


「…ゼロを…ネヴァジスタには…渡さない…」
「喋らないで。落ち着いてください」
「…早く…僕が…助けてあげなければ…」
「大丈夫です、すぐに薬が効きますよ」
「…ゼロは…生きて伝説になるんだ!…その為に…!」
「息を吐いて。…そう、ゆっくり」
背中を摩られ、脳に穏やかな感覚が流れ込んでくるのが分かる。
眠気に脳を支配されて、意識がぐわりと遠退いていった。
「…これが…どういうことか……。…分かるかい?……天…」
その感覚に抵抗することなく受け入れ、すっと眠りの奥底へ落ちていった。


「…いえ、九条さん。僕にはまだ分かりません」
そう、この時の僕はまだ知らない。
ネヴァジスタの存在も、あの言葉の意味も。

「ネヴァジスタに行くこと。それは、君が死ぬのと同じこと」





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