PEACE MAKER
□服の話(その7)
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恐る恐る見上げると、烝が右手を中途半端に宙に漂わせている。
きっと私の肩を叩いたのはこの手なんだろう。
少し迷いながらその手はそのまま私の方に差し出された。
「立てるか?」
その姿が中学生の烝と重なって、掴むのを戸惑う。
あの時の苦しそうな顔が、傷ついた声がチラつく。
「あー、うん、大丈夫。おっきな声出してごめんね!」
膝に力を込めて立ち上がる。
烝の右手はまだ中途半端にこちらに伸ばされたままだ。
ごめんねと顔の前でひらひらと降った手が震えている。それを一度意識するとせっかく立った膝まで震えてしまいそうだったので悟られないように歩き出す。
「花。」
「次の店見に行こう。よく分からなかったから…。」
背を向けた私の右手を烝が掴んだ。
先程私の肩に触れた時のように恐る恐るではなく、昼間藤堂先輩から引き離した時のように荒々しくもない。
優しいけれどしっかりと握りしめて、半歩距離が近づいた。
「すすむ…」
「今日は帰るで。」
それだけ言うと私の手を握ったまま歩きはじめた。
烝は一言も喋らない。
私も何も言わない。
店を出て通りを歩き出しても半歩だけ先を歩く烝の表情はよく見えない。
怒ってるのかな?
どうしたのかな急に。
やっぱり変に思われたかな。
昔は烝がどんなに無口でもなんとなく考えてることはわかったのに、最近は少しも分からない。
改札を抜け電車に乗っても手はつないだままだった。
座った2人の膝の間。
チラッと横顔を見上げる。
烝の形の良い鼻先に沿って視線を上げる。
少し伏した烝の目は真っ直ぐ前を見たままだ。
じわりと握った手が汗ばんでくる。
いつまでこのままなのかなと少し右手を動かすと少しだけ力が込められる。
会話のないままに松本邸に辿り着く。
玄関先で私達を出迎えてくれた松本先生は私達を見て目をまん丸にした。
「ただいま戻りました。すみませんが自室に引かせていただきます。」
「あぁ、それは構わないよ…。」
珍しいものを見るように私達を見送る松本先生に一礼だけして烝は屋敷の奥まで進んでいく。
少しひんやりした室内は外の突き刺さるような日差しとは違う。
部屋のふすまを開けた烝は私をベッドの上に座らせる。
「ちょっと待っとき。」
それだけ言ってまた部屋を出ていった。
それまで繋がれていた右手から途端に力が抜ける。
ポトン、と布団の上に寝転がって右手を額にあてた。
少しだけ熱い。
熱を移すように、目蓋の上にズラす。
今日一日、いろいろなことがあった。
少しだけ浮ついた気持ちでこの家を出発した。
怒った烝を見た。
最近怒らせてばかりだけれど。
照れてる烝も見た。
知らなかった烝の秘密の場所にも連れていってもらった。
そして怖い気持ちも苦い気持ちも…
「っー。…ハァ…。」
ヒュッと息が乱れたので、深呼吸をひとつする。
落ち着け落ち着けと言えば言うほど目の端が熱くなる。
カタッとふすまが開いた。
手の隙間から見れば烝が立っている。
今顔見られたくない、そう思って右手を乗せたままそっぽを向いた。
ごめんね、一緒に来てくれたのに
そう言おうとするのに言葉を発しようとすれば息が詰まるので何も言えないで寝たフリをする。
3年経っても最低だな、私。
コトリ、と机に何かを置く音がした。
ベッドが少しだけ揺れた。