PEACE MAKER

□女の約束
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あの日歩と別れてからずっと雨が降っている。

出かけることも出来ず店番をするしかない。天気と同様に気持ちもなんだか晴れない。

その日の朝、起きると父が手拭いで濡れた顔を拭きながら家に戻ってきた。
こんな早朝から出かけていたなんて珍しい。

「何してたの?」
「あぁ、向こうの方で人斬りがあったそうなんや。」

父はそういった事件の類が大好きでよく野次馬に出かけたがる。まあ、この父にして、私あり、なんだけれども。

「それで見にいってたの?」
「近寄れんかったけどな。それがやな、ただの人斬りと違うてな、若い娘さんが殺されたんやそうや。」
「そうなの?」
「お前より少し年上らしいわ。こわいなぁ。」
「気をつけまーす。」
「あほ、お前の心配はしてへんわ。どえらいべっぴんさんやったそうや。」
「失礼なんだけど!?」
「せやけどな、どうもあそこが噛んでるらしいわ……壬生狼。」

父がキョロキョロと周りを見渡しながら伝える。
家の中なのだから憚る必要はないのだけれど。

「え…新撰組?」
「せや。どうもそのべっぴんさん、新撰組と縁のある人らしい。」

頭の中に烝の顔が浮かぶ。最後に見たのは怪我を庇っていた姿だ。まさか。

「お父さん、ちょっと出かけてくる!」
「あ、おい!」

父の制止も聞かず外へ飛び出して壬生の屯所まで走った。
中を覗こうとすると、門前に立っていた男性2人に止められる。

「何の用だ。」
「あの、烝、烝は無事ですか?」

夢中で訴える。
2人は黙って顔を合わせる。
一人の男が口を開いた。

「山崎烝「なら」無事だ。」
「なら、というのは…」

男達はどうしたものかとこちらを見ている。
烝は無事ということは…突然もう一つの可能性に思い当たる。全身から血の気が引くのが分かった。

「歩さん…?」
「おい!お前、大丈夫か!」

男達が叫んでいるが耳まで届かない。
ペタリと地面に座り込んだ私は目の前が真っ暗になるのが分かった。

どうやって家まで帰ってきたのか分からない。
気づいたら玄関に立っていた。
いつのまにか頬をボロボロと涙がこぼれ落ちていた。
父がオロオロと私の周りをうろつく。




「ほら、そろそろ店の方手伝わへんか?気も晴れるかもしれへんし。」

数日部屋に篭りきりだった私に父がそっと声をかける。
いつまでも心配かけてはいけないな、と思い着替えて店の方に出る。
今でも夜寝ていると突然飛び起きてしまうことがある。
最後に見た歩の姿が何度も思い出される。
早く壬生に行って確かめたいという思いと、まだ現実を知りたくないという気持ちが拮抗して、何も動けずにいる。
家族から聞いた話では四条の方で新撰組と長州藩士の斬り合いがあったそうで。
物騒なことやなぁ、とぼやく父にそれ以上何も聞けなかった。

ぼんやりと店で座っていると、いつもこのくらいの時間に野菜を買いに来ていた優しい笑顔、明るい声がまた降ってきそうで路地をキョロキョロと見渡してはハァ、とため息をつく。
今店先にいるのは兄弟だろうか、ツンツンとした髪の男性と、赤毛の少年だ。

「なぁ辰にぃもう良いだろ帰ろうぜ〜。」
「いーや、1人2人の分を買うんじゃないんだ。適当に買えないだろ。」
「俺あっち見てていいー?」

退屈、という様子で少年が駆けていく。

「あ、こら鉄之助!!」

兄の方が顔だけそちらに向けて困ったように眉を下げた。

「鉄之助…?」
「はい?」

ボソッと呟いた私の声に兄が反応する。

「あ、いや…えっと…。」
「店先で騒がしくてすみません。あいつには勝手で困ってるんですよ。」
「いえ、ゆっくり見ていってください。」
「ありがとうございます。そうだなぁ…黒菜にしようかな、うん、味噌汁に入れたら美味しそうだ。」

「あの…さっき鉄之助って。」
「ん?…あー、アレの名前です。」

向こうのほうで犬とキャッキャと戯れている先程の少年を指差す。

「えっと、違ったら申し訳ないんですが、もしかして、新撰組の方だったりしますか?」
「はい…まあ、えぇ。」

戸惑った顔をしている。

「あの、いつも歩さんが野菜買いに来てくれていて、それで、鉄之助…さんの話とかも色々聞いていて、えっと…」

なんと言ったら良いのか分からない。
一番聞きたいことが聞き出せない。

「あの、たまに烝も来てて…でも最近全然姿見ないなって…。」

いつのまにか赤毛の少年がこちらに戻ってきていた。

「なぁ、辰にぃなんの話してんの?」
「あぁ、この人、山崎の知り合いなんだってさ。」
「烝のっ?」
「あ、烝はそんなに…えっとどちらかといえば歩さんが…」

気になっているんだ。もしかしたら思い違いかもしれない…し。


2人は顔を見合わせると、鉄之助の方が私の着物の袖を引っ張った。



店の多い通りから少し離れた路地。
鉄之助は角を指差した。


「この角の向こうだから。」


「何が」とは聞かなかった。


「…また今度来る。」

そう言って踵を返した。
鉄之助も彼の兄も何も言わなかった。



あれからまた何日も経った。
角のところまで来ては引き返す。そんな日を繰り返した。
なかなかそこから先に踏み出すことができなかった。
行かなきゃ、という思いと、見てしまったら後に引けない、という思いが私の中でせめぎ合った。

夏の青空が眩しいその日、意を決して角の先へと進んだ。

少し崩れかけた塀。

その向こうには










何もなかった。






何も、なかった。



ペタン、とその場に膝をつく。
同時にポタポタっと地面に滴が落ちた。
それが私の目から流れていることに暫く気づかなかった。

「っうっ…あっ………っ。」

声を押し殺して、それでも止まらない涙はそのまま頬をボロボロと転がり落ちた。
拳を握って地面を何度も叩いた。


「歩っ…さんっ…うっ……ぁ…。」

ひっぐ、と息が詰まる。

彼女がもうこの世にいないのだと言葉で受け取る以上に寂しさが押し寄せる。

誰も通らないのを良いことに、私はいつまでもそこに座り続けていた。






あの日、目を真っ赤に腫らして帰ってきた私を見て、父はオロオロと「店に立つのはまだ早かったかい。」と心配していた。

「大丈夫だよ。」

と力なく笑って、自室に戻った。
横になって目を閉じても、なかなか寝付けなかった。


父の強い勧めでまた数日店を休んで久しぶりに店番をすることになった。

あの日みたいに綺麗な真っ青な空で、私の心もこれくらい晴れてくれたら良いのに、と思う。
夕方の忙しさにクタクタになり、そろそろ店を閉めようか、と立ち上がった時、目の前に一片の紙が差し出された。

『胡瓜、人参菜、とうもろこし』

野菜の名前がツラツラと並べられている。

ん?と思って顔を上げる。

「!!」

そこに経っていたのは烝だった。

「…烝!!」
「何で俺の名前…あぁ姉上か。」

烝は勝手知ってる、という風にひょいひょいと野菜を選ぶときっちり小銭を私の掌に載せた。

「この前姉上のとこ、来とったやろ。」
「え…うん。」
「見とった。おおきに。」

そう言ってもう歩き出そうとするので、思わず袖を掴む。

「待って、ねぇ…」
「喜んどったわ、妹が出来たてな。」
「…烝は。」
「俺は弟とちゃうからな。」
「そんなことない、歩さんいつも烝のこと心配してた…」
「……。」
「烝はいなくならないよね?」
「…また野菜買いに来るわ。」

数歩歩いて立ち止まった。

「その時また聞かせてな。」
「え?」
「…姉上の話。」


今度は立ち止まらずにスタスタと去っていった。
あっという間に姿が見えなくなる。






あれから歩さんの月命日には欠かさずに線香をあげに行くようになった。
するといつの間にか後ろに烝が立っていて、お参りが終わると一緒に散歩をする。
歩さんの話、私の話、いろいろなことを話した。最近では烝も、今学んでる医学について少しではあるが話してくれるようになった。
月に一回が二回、三回になった。会えるのを指折り数える。

最初は本当にツンケンしていた烝も、今はよろけたら手を支えてくれたり少し優しい面も見えるようになってきた。
「ありがとう!」と笑顔でお礼を言うと決まりが悪そうに顔を逸らす。


そんな時いつも2人の間には温かな風が吹いて、あぁ、歩さんが見てくれてるんだ、そう思えるのだ。
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