アンバランスなキスをして

□十四話
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「だからお前は危機感がないと言っているんだ」

サワサワと梢を揺らす背後の大木から、刺のある低音が落ちてきた。
私の肩がピクリと跳ねて、顔を上げてみる。同時に上から舞い降りて来たのは、昨晩蔵馬と共に駆けつけてくれた、もう一人の、

「飛影…?」
「……、」

もうすっかり見慣れた黒を纏うそのひとは、ギラリと不機嫌そうな眼差しで私を見ていて。かと思えば、視線が絡むとほんの一瞬目を見張った。

まずい。蔵馬の優しさに涙腺が滲んでいたのを忘れていた。咄嗟に顔を背けて目元を払う。ころりと一粒、水滴が落ちた。

「飛影、来てたんですか?」
「…どの口が言う。初めから気が付いていたんだろう?」
「さぁ?見ていたのなら早く出てきたら良かったのに」

ふたりの口振りからすると、この中庭には初めから飛影も居たようだ。

彼は私が朝目を覚ますと既に姿はなく、どうしているだろうと思っていたところだ。まさかここに居たとは。

「お前は簡単に相手を信用しすぎだ。こいつも人に転生しているとは云え妖狐だぞ?もっと警戒心を持て」

蔵馬から私へ矛先を変えた飛影は、最初に比べると僅かに…本当に僅かに刺々しさを収めてそう言った。

警戒心とな。二日間南野家で世話になるならないの件を言っているのだろうか。

「でも、その方が一番紅が安全だと思いますよ?」
「何…?」
「だから、俺と居た方が紅は安全だと思いますよ、って」

気の所為かな…飛影の不機嫌指数が目に見えて上がっていく気がするのだけど…。

蔵馬は気が付いているのか居ないのか、将又この状況を楽しんでいるのか、感情の読めない笑顔で飛影に受け答えしている。

「おい!」
「は、はい?!」

飛影は一度目蓋を閉じて蔵馬を自分の視界から排除した後、ギンっと目を見開いて今度は私に照準を合わせてきた。

「とっとと自分の霊力を回復させろ、今すぐにだっ!」
「そんな無茶苦茶な」
「やれと言ったら、や れ」
「えぇ…」

掴みかかってきそうな勢いの飛影からは、今の私には感じ取ることのできない筈の、怒気からくるドス黒いオーラが見える…気がする。
いや、何怒ってんだこのひと。

「まぁ、力技で霊力を取り戻す方法もなくはないですが」
「え、方法があるの?」

あるなら早く言え、と目で訴える飛影を意にも介さず、蔵馬は続けた。

「ひとつは、敢えて戦場に身を投じて無理矢理本能を呼び覚ます方法。ふたつめは、外部から少し気の補給をして呼び水にする方法。…どちらにしても荒療治だ」

そうか、それならやっぱり自然回復を待つしかないね。

と。思ったのは恐らく私と蔵馬だけだった。

「ならば試すまでだ。行くぞ」

普段は足音なんて大して立てないくせに、ザクザクと雑草を蹴散らさんばかりの大股で近寄ってきたかと思えば、私の体はヒョイと飛影の肩に担がれてしまう。それはもう実に乱暴な手つきで。

「え?!なに、今から!?ちょ、待っ…」

完全に嫌な予感しかしない。
飛影の腕から逃れるべくもがいてみても、全くびくともせず、盛大な舌打ちと共に「黙れ」とドスの効いた低音で威圧されて終わった。

そうして、ひぃ、と喉から悲鳴が上がる頃には、視界がブレて大きな浮遊感に襲われていた。




















中庭にひとり残された蔵馬は、パチパチと緑の虹彩を瞬かせる。

正に嵐のような一幕だった。
昨夜、飛影があまりにも蔵馬の気に入りの娘を乱雑に扱うので、ちょっとした意趣返でもしてやろうと思っていたのだ。

態とらしく側に寄り添い、分かりやすく彼女を甘やかし、敢えて甘さを含んでその名を呼んでみせた。
勿論、飛影が彼女を守るために何処かで見ていると知った上でだ。

機嫌を損ねるまでは想定内。
貴方には俺と同じ事出来ないでしょう?と言いたかったのかもしれない。

でも。
これは。

「…うーん。少し飛影を虐め過ぎたかな…?ごめんね、紅」

去り際にほんの一瞬振り向いた飛影の、なんとも表現し難い表情に、連行されていった少女の安否を祈ることしか今の蔵馬には出来なかった。
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