アンバランスなキスをして
□十七話
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飛影の顔はぼんやりしてどんな表情かはよく見えなかったけれど、どうせまた意地悪な顔をしているに違いないから。見えないくらいで丁度いい。
私の顎を捕らえるその手を掴むと、指先がぴくりと動く。それをブンッと払い除けてやった。
「もう帰って。おやすみなさい」
顔を背けて、飛影を視界から追い出す。
今日はもう顔を見たくない。
飛影の言う通りだった。
二日前に霊力を戻すためと称して交戦し、同じ名目で気を送り込まれたあの時の事は、数日に渡り私の意識を縛りつけていた。
何より、本人の顔を正面から見られなくなってしまった。
なのに当の飛影ときたら。あんなことしておきながら、なんて事ない顔して私や蔵馬に会いに来る。振り回されているのは私だけだ。明らかに様子がおかしい私を心配する蔵馬をごまかすのも大変だった。
別にそれはいい。言葉の通り、私の霊力を取り戻そうとしてくれたと、思えるから。
でもこれはあんまりだ。揶揄するなんてあんまりだ。思春期なめるなバカ飛影。
「紅」
「私に構わないで…、あ、ぅ!」
私の肩に触れてきた手を再び払うと、今度は強く後ろから掴まれ、力任せに振り向かされてしまった。背中に鈍く衝撃が走る。
その際に、目元から滴が散って。クリアになった視界の先には飛影の、僅かな困り顔があった。
「…コエンマからの伝令がある」
「知らない、そんなのっ」
「霊力を以って使う霊界からの通信手段を今のお前は使えない。だから、」
「…なに?」
「少し我慢してくれ」
肩を掴まれ背面を壁に押しつけられて、それはとても乱暴な力なのに。吐く声音はどこか弱々しく感じた。額の包帯を解いた飛影が、それを私の額に寄せてくる。
そこにあった思いもよらない第三の眼の存在よりも、目を閉じた飛影の顔が普段より幼く見えた。
…心臓がどくんと鳴った、その理由は自分でも判らない。
……。
どれくらいだろう。
私は目を開けているというのに頭の中に鮮明に広がる映像と音声。
コエンマ様がデスク越しにこちらに向かって話をしていた。ゴーグルなしでVRを見ているような、そんな感じ。
恐らくは、飛影が見聞きした記憶を、この額に開く眼を通して視せてくれているのだろう。そう冷静に分析した。
「……」
「……」
頭の中を巡る映像が過ぎ去り終わっても、飛影が離れて行く気配はない。
その代わりに、閉じられていた両眼がゆっくりと開かれる。暗い夜の色だと思っていた飛影の瞳はよく見ると、揺らめく炎のような、仄かな紅の色を宿している。
不覚にも、あぁ綺麗だな、と思ってしまった。
「悪かった」
吐息すらも触れそうな距離で、飛影が小さく呟く。
「泣くとは、思わなかった。俺が嫌ならそれでいい」
もう、肩を掴むその手には大して押さえつける力はないのに。さっきはあんなに乱暴に触れてきた手で、今度は殊更優しく頬に触れてくるものだから。
「いいから…もう少しだけ、目を閉じていろ」
何も言えず、言われるままに、私の瞼は自動的に下りて行く。それと同時にふに、と唇に柔かな感触があり、命じられてもいないのに自然とそこが開いていった。
「…んっ」
ぬるりとした温かな舌が侵入してくる。反射的に喉の奥に逃げを打つそれを、飛影の舌に追いかけられて捕まってしまう。
息が…出来ない。鼻ですれば良いのに、狂ったように早鐘を打つ心臓が、脈が、どくどくと頭の中で響いて、走った後のように息が上がる。
苦しくて絡んだ視線で訴える。
離して、離れて、息が、吸えない。
一瞬飛影が、ふ、と吐息で笑ったかと思うと、穏やかに交わされていた行為は打って変わり、激しくなる。
あの時のように舌が音を立てて吸われ、表面を撫ぜられて、かと思うと啄む。それは噛み付くような、捕食のようにも感じた。餌は、私。
「…ん、…う…は、…ひゃっ」
なす術も無く翻弄されていると、背と腰に回された腕で下に引かれ、体が音を立ててベッドに沈んだ。
「気を送り込むのを忘れていた」
「は?!」
ようやく呼吸を解放されて酸欠の肺に酸素を送り込んでいると、伸し掛かって来る重みにギョッとする。
見ると、自らの濡れた口角を舐める凄まじく扇状的な飛影が私を見下ろしていた。
「改めて、有り難く受け取れ」
あれ?今さっきまでの困り顔はどこいった?
なんて思う間もなく、再び唇が塞がれてしまう。今度は舌を、唾液を介して、体の奥にじんわりとした飛影の気が入り込んでくるのが確かに感じられた。
あの時みたいに、見えない力で動きを封じられている訳ではない。
なのに結局飛影が満足して離れて行くまで、その目の奥の、炎のような紅に射竦められたままだった。