アンバランスなキスをして

□十八話
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それは前日まで遡る。

これは、現在人間界に身を置く飛影がコエンマから呼び出され、渋々といった様子で姿を現した霊界の中枢たる事務的な一室での一幕である。

「あー…なんだ?ということは、紅への伝言をこのままお前に言えばよい、と云うことか?」
「そうだ。それをそのまま邪眼を通して、紅に見せてきてやる」

畏怖と敬いの象徴である閻魔大王の嫡子コエンマは、大いに困惑し、目の前の邪眼師と向き合っていた。
先日この無愛想な少年から齎された報告の衝撃の波が、やっと引いたと思っていたところにこれである。

「危惧していた紅の霊力の暴走の次は、その霊力の枯渇ときたか…あやつめ、ワシにどれだけ心配をかけさせれば気が済むのじゃーっ」
「嗚呼紅さん…お労しや」

おしゃぶり姿の霊界の権力者は頭を抱え、横に控える側近の青鬼はさめざめと涙を流すばかり。
埒が明かない、と飛影は僅かに嘆息を漏らした。

「コエンマ、さっさと要件を言え。俺はあまり気が長い方じゃない」

早く仕事を済ませ、俺を人間界に帰らせろ。飛影は喉まで出かかった言葉を飲み下した。

「分かった…おほん。紅よ、飛影から報告を受けたぞ。反吐鬼の件は難儀であったな。霊力が思うように使えない今のお前に、更に此度の件を課すのは心苦しいのだが…実は先だって飛影と共に捕縛してもらった邪鬼が、脱獄をしたようなのだ!」

すると、それまでコエンマの横で泣いていた青鬼もハッとし顔を上げる。普段は能天気な霊界の側要人のその様子からも、事態の深刻さが窺えた。

「ようだ、と言うのがな…檻に破損はなく看守に不備の一つもない、正に猫の仔一匹出入り出来ないその状態で、忽然と姿を消してしまった。これは霊界にとっても由々しき事態だ」

霊界の秩序を守る者として許しがたい事案であると、コエンマは卓上で組んだ拳を固く結んだ。

飛影は以前、自身が此処霊界の拘置所に入れられていた時の事を思い出していた。脱獄は大罪。それ以前にそこから抜け出すことは殆ど不可能に近かった。どうやって逃げ出したというのか。

「誘拐事件の任務と並行し、脱獄した邪鬼の追跡を頼む。紅、くれぐれも無茶のないようにな……。飛影、これでいいのか?」

飛影の瞳の向こうに紅がいるつもりで語りかけていたコエンマが、畏まった面持ちを崩して問いかける。録画はすんだのか?と言いたいらしい。
正確には飛影の記憶を見せるわけなので、録画とは言わないが。

「フン…無理難題を人間の女一人に押し付けた張本人が、無茶をするなとよく言えたものだ」
「…飛影、お前…」
「あいつに伝えることはそれだけか?ならば俺は人間界に戻らせてもらうぞ」

用は済んだとばかりに背を向け大扉に向かう飛影に、コエンマはたまげたと言わんばかりの口調で告げた。

「まさかお前がそこまで紅に心を砕くようになっていたとはなぁ…いやはや」
「…は?」

ピタリと歩調がとまり、見開かれたつり目顔が振り向く。

誰が、誰に、何を砕くと?

「正直な、お前の性格を考えると紅の補佐になどと、ワシも無謀であったかと心配していたのだが…その様子ではお前達、上手くコンビを組めておるようではないか」
「何…?」
「よもやお主…惚れてはおらぬだろうな… ?」

矢継ぎ早にコエンマからジト目で言葉を浴びせられ、飛影はカッと頭に血を上らせた。


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