アンバランスなキスをして
□二十話
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チュンチュンチチチと、眩い窓の外から可愛らしい囀りが聞こえて来る。日に日に強まる日差し、それでも早朝にはまだ涼しげな風が開けられた窓から入り込む。
これ以上ない爽やかな朝だ。
「…またあたしのいない時に大変なことになっていたものだね。使えなくなった霊力に関しては蔵馬の言った通りだが、無理しても碌なことにならないよ」
「やっぱり、そっかぁ…」
昨日、丸三日ぶりにおばあ様が帰宅して、私も蔵馬の保護下から外れ家に帰ってきていた。
その間あったことを、今朝ちょっと早起きして朝食を摂りながら、おばあ様に報告連絡相談をしていたわけだ。
それにしても…おばあ様が家にいるというだけで、なんだろうこの安心感は。蔵馬が始終居てくれたのもとても有り難かったけれど、やっぱり私にとって“幻海師範”は、特別な存在なんだなぁと、改めて実感する。
「でも困ったな…霊界の指令も解決していないし、昨日飛影から聞いたコエンマ様からの話では、前に捕まえた邪気が脱獄したって言うし。…そんな時に肝心の霊力が使えないだなんて」
「自分でジタバタもがきな。これも修行の一環さ」
「…はい」
相変わらず甘くないよね、おばあ様。知ってるけど。
…由々しき事態だと語ったコエンマ様の様子は、普段の親しみ易さからかけ離れた雰囲気だったのを思い返す。
実は、私はその件を耳にした時から何か違和感を覚えていた。
霊界から脱獄するなんて…そんな大それた力を持ってるような小鬼には見えなかったのに。絶対、何かある筈だ。
「なに、そこまで難しく考える事もないだろう。妖気や霊気が感じられないのは確かに痛いが、お前には飛影もいるしな。…なぁ、飛影?」
どうやらおばあ様は、私がまだ戻らない霊力のことでうじうじしていると思ったらしい。コーヒーを片手に私の背後の窓の方を見ながら飛影にそう言って…、え?飛影?
「嫌なババアだな…、俺に気付いていたなら放っておけ。いちいち構うな!」
振り返ると、私の部屋に入る時と同じように窓の縁に腰掛けて恨みがましい目つきでおばあ様を睨む飛影が、確かにそこに居た。
「おや、褒め言葉かい?有り難く受け取っておくよ」
“有り難く受け取れ”
おばあ様が意趣返しに放ったその言葉に、ぶわぁ、と昨夜の出来事が脳裏に蘇る。
炎のように紅い虹彩、送り込まれる他人の気、私の上にのし掛かり見下ろしてくる……飛影。
「えっと…私今日早く学校行かなきゃ!ご馳走様でした、着替えてきまぁす」
飛影と目が合いそうになってしまい、反射的にそう捲し立てて、正にそそくさとした足取りで朝餉の席から離脱する。
え。無理、むり、ムリだから。
昨日の夜にあんなことあったすぐ翌朝、何事もなく「おはよう」なんて言えないから。
そんなに私、まだ全然、人生経験積んでませんから!
そんな風に心の中で叫びながら、私はおばあ様と飛影を残して自分の部屋に逃げ帰って行った。
「…なんだろうねあの子は」
「…」
急ぐったってまだ五時半だよ。殆ど手付かずの朝食のワンプレートを見ながら、幻海はそう溢した。
一方飛影はというと、見に覚えがあり過ぎて何も言えないし、言いやしない。
「…飛影。あの子をしっかり守ってくれたようだね、礼を言うよ。まさかと思って用意してあった封印札だが、渡しておいて良かった。迷惑掛けたね」
ほんの少し間を置いて、静寂を破ったのは年長者の幻海だった。その表情は心底安堵したような、娘の身を案じる親の顔をしている。
「別に」
この様な形で真っ直ぐ感謝の意を述べられる機会など、そうはない。飛影はどう答えたらいいのかも分からずそっぽを向いて、窓から出て行こうとする。
早く学校に行くと言っていた彼女を蔵馬に引き渡すまで、目を光らせておかなければならないからだ。
やっとあの狐の傍から紅が離れ、幾分か煩わしさから解放されたばかり。ここで何かあってはそれこそ、霊力が戻るまで蔵馬が送り迎えするとでも言い兼ねない。
それは、さすがに御免だと、飛影は思った。
「ところで飛影」
身軽さを活かして姿を消そうとしていたその背中に、口調を変えて呼び止めたのは彼女の引き取り親である、幻海その人だ。
「あたしは確かに、あんたに“あの子を頼む”とは言ったがね、…“やる”とまで言った覚えはないよ?」
ギクリ。まるで氷で足元を固められたかの様に一瞬身動きが出来なくなり、背筋を寒気が走る。
なんだババア、どこまで知っていやがる。
そう思うのは自由でも、背後の笑顔の凄みときたらげに恐ろしく、とても普段の横柄な態度で返すことは出来なかった。
「あの子が欲しけりゃ、あたしを納得させてみな」
「……」
それが何より一番厄介そうだと。
飛影は心の底からそう思い、目の前のコーヒーを啜るラスボスを見つめていた。