アンバランスなキスをして

□二十一話
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「霊界の監獄から脱獄…っ?」

思わず少し大きめの声で返してしまい、己で己の口を押さえる。そこで、ああそうだった、ここは教室ではなかったと安堵した。

「蔵馬がそんな顔するくらいだから、やっぱり相当大変なことなんだね」

どうやら、俺の反応に不安を煽らせてしまったらしい。隣で肩を並べる紅は神妙な表情で俺を見上げてそう言った。





霊界探偵の任を負う紅を俺個人への怨恨に巻き込んでしまい、結果、職務にも自衛にも命綱となる霊力が使いものにならなくなる事態を招いてしまった。

その事に責任を感じたのは確かだ。でも紅の傍を離れ難いのは、決してそれだけでないと言う自覚もあった。

紅をあの中庭ではなく、飛影が入り込めない生物科準備室に、こうして彼女を連れ込んでいるのがいい証拠だ。
少々問題なのは…そんな下心を露とも知らない彼女が、俺を完全に信用仕切っているということ。
それは有難いことだけれど、飛影が紅に言った、相手を信用し過ぎだという言葉には、同感かな。
後々、じっくり教えてゆく必要があるかもしれない。

「霊界といえば三界を統べる存在だからね。権威を示したい彼等からしたら、これ以上体裁の悪い話はないだろう」
「あぁ…それで…。コエンマ様ったら酷い顔して話してるなと思ったの」

上司の慌てふためく姿を思い出しているのだろうか。その視線が俺から外れて、紅は記憶の中の霊界の王の息子に思いを馳せる。
そんなことにすら面白くないと感じているのだから、本当にお手上げだ。

彼女の保護者である幻海師範が不在の三日間、自分でも驚く程の講釈を並べ連ね、少々強引に自分の傍に留め置いた。
勤め先で役職に就く俺の母が、丁度地方に出張に出ていて、家を空けていたという都合の良さもあったと思う。
南野家には、その母を守る為の結界が常に張ってあり、危害を加えようという輩はその敷居すら跨げない。そんな実家で、整えた客間を彼女に用意して、三日間寝食を共にした。
紅へのぞんざいな扱いをする飛影へのお返しのつもりだなんて、取ってつけた言い訳を盾にして。

それは確かに紅の身柄を保護するのに最善の策だったけれど。
学校生活だけでは知り得ない素の顔を…、彼女の意外と抜けているところや、眠くなると無意識に小さな我儘を言ったりするところなんかを知り得る機会に繋がった。

優しく、朗らかで、可愛らしい紅。数ヶ月前まで感じていた脅威は何だったのだろう。

その彼女を、この三日間傍を離れようとしなかった飛影の手で家に連れ戻されてゆくのを見た時に。胸の内に芽吹いていたものの正体を、嫌でも思い知らされるに至った。

「…ま、…蔵馬」
「あ、ごめん。何?」
「珍しく溜息なんて吐いてたから。大丈夫?」
「なんでもないよ、大丈夫」

貴女のことを考えていましたなんて、もし言ったらどんな反応をするだろう。

そんなことを考えて、身長差からどうしても見下ろす形でその色素の薄い瞳をじっくりと見下ろした。

その時…彼女の綺麗な淡い茶色の虹彩の中、チラリと揺らめく紅を垣間見て、息を飲む。

炎を纏う者の、独特の妖気の片鱗だ。
俺は、この持ち主をよく知っている。

そうこれは。

…飛影の妖気、そのものだ。

「紅…これは何?」

壁を背にしていた紅との距離を詰め、静かに問い掛ける。
冷静であろうとすればする程に、反して自身から妖気が溢れ出してゆく。が、止めることは出来ない。

「…これって?…え、蔵馬…?何、なんのこと?」

さすがと褒めてやるべきなのか。
霊力を失い、俺の妖気を感知する術のない筈の紅は、本能で何かを察知したのか警戒心を滲ませて、壁沿いに逃げを打つ。

それを、先手を打って彼女の顔の横に腕を置いてしまえば退路は断たれる。
グッと近くなった距離。もう片手で頬に触れて、泳ぐ視線を俺に向ける。

そうすれば紅の中に揺らめく熱い焔が、俺を見つめ返してくる。

「…どうして貴女の中から飛影の妖気を感じるのか、答えてくれますか?」
「…っ」

途端に目を見開いて、紅はカァッと赤面させてゆく。何を思い出し、誰を思い浮かべているのか。これ以上に分かりやすい反応はないだろう。

あぁ、飛影。やってくれたな。

「蔵馬…?…きゃあ!」

俺は縮こまる紅の肩を掴むと、すぐ側に置かれた顧問用のデスクの上に、彼女を押し倒していった。
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