飛影夢短編
□酔(よいどれ)
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酔っ払いは質が悪い
その日飛影が彼女の部屋を訪れたのは、普段よりも遅い時刻だった。
いつもならば、確実に起きて活動しているだろう夕刻から就寝時間を狙っている会いにゆくのが常。
タイミング悪く着替えの最中や試験勉強の最中にぶち当たる可能性もなくないが、それはそれ。
例えそれでも、一言二言軽めの文句を名前に吐かれ、そして「いらっしゃい」と柔い笑顔で迎えられる。それを飛影はよく分かっていた。
だから、今夜もそんなつもりでいた。
もし寝ていたならば、顔を見て帰れば良い。起きていれば運が良いと思えば良いと。
今夜に限っては、それが間違いだったと気付かずに。
キシ。
築年数の深さを感じる家屋の床材が、飛影の体重を乗せて短く鳴いた。
「(寝てるのか…いや、)」
彼女の部屋の灯りは消えていた。完全消灯だ。飛影はそれに違和感を覚える。
真っ暗闇になることを厭う名前は、いつも一番小さな灯りを灯して眠りに着くからだ。
だとしたら外出しているのか。こんな時間に?一度外に出てみるべきか。
そこまで思案して、自分の鼓膜が僅かな呼吸音をキャッチする。すぅすぅと、まるで小さな小動物のような、空気を吸い、吐く音が。
「名前」
部屋に入って一番目に付くベッドしか見ていなかったのが発見が遅れた原因だった。
彼女はきちんと室内にいたのだ。床のラグの上に、ではあったが。
「起きろ」
「うーん…」
風邪をひく。と続けたかった飛影の言葉はその先まで紡がれない。屈んで緩く揺らした華奢な肩は、声を掛けるとがばりと上体を起こして。
「ん…?あ、飛影だぁ〜」
と言って彼に飛びついて来たのだった。
「!」
あまりに突然で、それでいて全く予想もしていなかった展開に、飛影はその軽い体を受け留め踏ん張り切れず、そして珍しく受け身も取れず、勢いのまま後ろに転倒した。
「…なんだ?」
とりあえず、自分の胸に飛び込んできた名前の背に腕を回す。無意識の内の出来事だった。彼はそれにすらまだ気付かない。飛影は状況把握に尽力した。
何かの罠に掛かったわけではない。
敵襲ではない。
ここは人間界、魔界じゃない。
ここは名前の家、百足じゃない。
…酒臭い。
「名前」
「んー?ふふふー」
「酔っているな…?」
名前を抱き留めたまま上半身を起こす。腕の中にすっぽり納まる者の名を呼べば、上げた顔は暗闇でも分かる赤ら顔。名前がいつも髪を清める石鹸の香りがふわんと香る。
そしてやはり、酒の匂い。
「今日ねー、飲み会だったー」
「はぁ」
まぁ、そうなのだろうな、と飛影は間延びした答え方をする彼女の笑顔を見下ろし納得した。
人の世のこの国は、生まれ落ちて二十年経たない飲酒は法に触れるものらしい。
その年齢制限を一歩ほど超えた彼女は、それでもあまり飲んでいるところを飛影は見掛けない。
それが良かったのか悪かったのか。
こうして稀に巡ってくる飲みの席で、時折こうして酒に呑まれることがある。
「私はねー、行かないよって言ってたんだよー。でも友達がねー、名前が来ないとダメ〜ってあんまり言うから〜」
「ほぉ」
すりすりすり。別に責めてもいないし咎めてもいないのに、何やら言い訳じみた言い方で飛影の背に手を回して擦り寄り、眉尻を下げ、目を潤ませ、更に上目遣い。そうして一生懸命そう言っている。ように見える。
なんだその目は。襲われたいのか?
素面なら絶対にしてこない仕草に困惑する。
「そんでねーお店に行ったらねー」
「…もういい。このまま寝てしまえ」
「女の子だけだって聞いてたのにぃ、合コンだったんだよぉ〜笑う〜」
くっついて来る細身を引き剥がし抱き上げて、ベッドへ下ろしたところでとんだ爆弾発言が投下された。
人間の世界の俗語を、飛影はあまり広く把握はしていない。それでも、人間界で暮らす名前や蔵馬と行動を共にするようになり、それなりに経つ。
故に「ごうこん」なるものがどんなものであるかを、大凡は理解しているつもりだった。
「何?男と呑んできたのか?」
「笑っちゃうよね〜」
いや笑えねぇよ、と内心で盛大に突っ込んでみるものの、この酔っ払いには何も伝わっていやしない。
この苗字名前という人間は、妖の類である飛影の目から見ても、器量の良い顔立ちをしている。
それこそあの蔵馬の横に立っても絵になるくらいには。
そして、それを面白くないと思うくらいには、すっかり飛影は骨を抜かれていた。